ヨシュア記 第10〜12章研究解読



第10章1節 第10章10〜14節 第10章13節 第10章24〜25節 第10章28〜43節
第11章 第11章9節



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2004/ 5/ 3  第10章24〜25節、第10章28〜43節、第11章、第11章9節 UP
2004/ 5/ 1  第10章1節、第10章10〜14節、第10章13節 UP



第10章1節

1節 エルサレムの王アドニゼクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを全く滅ぼし、さきにエリコとその王にしたように、アイとその王にもしたこと、またギベオンの住民が、イスラエルと和を講じて、そのうちにおることを聞き、


 アドニゼクとは「正義の主」という意味のヘブライ語で、彼は自分で肩書きを付けたか、自分たちを治める上級の統治者から肩書きを与えられたかした数多くの行政官の一例です。アドニゼクは他のカナンの王たちのように、古代のサレムの王メルキゼデクであった「義の王」に模してこの名を取ったと考えられています。彼はギベオンに戦いを仕掛けた5人の王(10章3〜5節)の連盟の盟主となっていました。




第10章10〜14節

10節 主は彼らを、イスラエルの前に、恐れあわてされられたので、イスラエルはギベオンで彼らをおびただしく撃ち殺し、ベテホロンの上り坂をとおって逃げる彼らを、アゼカとマッケダまで追撃した。
11節 彼らがイスラエルの前から逃げ走って、ベテホロンの下り坂をおりていた時、主は天から彼らの上に大石を降らし、アゼカにいたるまでもそうされたので、多くの人々が死んだ。イスラエルの人々がつるぎをもって殺したものよりも、雹に打たれて死んだもののほうが多かった。
12節 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。
13節 民がその敵を打ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
14節 これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞き入れられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。


 この奇跡は、大洪水(創世記7章〜8章12節)、紅海割れ(出エジプト14章21〜29節)、ヨルダン川割れ(ヨシュア3章7〜17節)などと同様に大きな奇跡の一つとして挙げられることがあります。大洪水からはずいぶんと時間が経過していますが、紅海割れやヨルダン川割れはどちらもヨシュアが存命している時に起こりました。おそらく、奇跡を起こした原因と考えられるものは時間の経過から見て、先の2つの奇跡と同じ様なものである可能性が出てきます。

 地球の自転速度は時速1660`以上あるので、仮に自転が止まるにしてもいきなり止まれば地上のものは東に向かって飛ばされ、しかも慣性の法則がすぐに伝わらない地球大気は、自転が止まった瞬間に音速を超える速度で吹き荒れてしまい、これでは地球的大災害となってしまうのでこの考えは当てはまらなくなります。ある程度の時間をかけて止まったとしても、それでは「大石を降らし」を説明できず、止まった自転がどのようにして回復する力を得たのかが不明となるのでますます謎が深まってしまいます。「大石」、つまり隕石も落下しているので、ただ「単に止まった」だけではなく、また火山の噴火による火山弾についても、太陽や月が見えているのでどちらも違うようです。

 紅海の水を分けてエジプト軍の戦車の軸を軋ませたのは、鉄の軸にも影響を与えてしまう惑星規模の強力な電磁波でした。紅海を分けてから40年以上も経てから、この強力な電磁波を放射する天体は再び地球に接近してヨルダン川を分けます。どのような公転軌道をとったのかは分かりませんが、前回よりも短い期間で再び地球に接近し、今回はどこで捕らえたのか隕石を運んできました。12節から考えると、太陽や昼間に出ていた月が止まったのは、「アモリびとをイスラエルの人々にわたされた日」と記されているので、10節にある「主は彼らを、イスラエルの前に、恐れあわてさせられた」後であると考えられます。

 つまり、ヨシュアがアモリ人に対しての攻撃が成功し、残ったアモリ人が逃げたのを見てヨシュアが神に向かって呼ばわった後に、次のようなことが起こったと推測することができます。


隕石を伴なう天体が接近し、数時間かけて地球の自転止める、あるいは地軸を傾斜させて止まったかのように見せる。
ベテホロンからアゼカまでの地域に隕石を降らせた
自転が変化したことによってできた気象変動により雹が局地的に降った
天体が通過したことにより自転が回復、あるいは通過した天体の重力に引きずられるように、傾斜した地軸が引き戻される。


 現在の太陽系創造論では、観測の不足から9つある惑星以外には天体は存在しないとされています。しかし、太陽系の生成についてのこれまでの説はどれも不完全であり、正確な説の登場を待つばかりです。

 太陽系の惑星には必ず不明である部分が存在しています。太陽に最も近いのに氷が存在する水星、自転が逆向きで磁場のほとんどない高温高圧の金星、惑星の規模に対して衛星が大きすぎる地球、過去には豊かな水が存在したのに現在はなくなってしまった火星、火星と木星軌道の間に集中する小惑星帯、太陽から受ける熱よりも自分で出す熱量のほうが大きく、水素やメタンが燃え上がらない、消えない斑点のある木星、赤道軌道上に広範囲にわたって環がある土星、地軸が横倒しになっている天王星、他の衛星とは逆の公転をする衛星を持つ、自転と一緒に移動する斑点を持つ海王星、海王星起動と交わる傾いた公転軌道を持ち、不釣合いなほどに大きい衛星を持つ冥王星など、太陽系の惑星でも説明ができないものばかりです。

 このような問題に対してだけではなく広範囲についての謎を、与えられた「常識」とされる不完全な説で納得している科学者や批評家たちに対して、チャールス・マーストン卿は次のように述べました。


「知者の批評の底に流れる『批評家の関知しないことは存在しないのだ』という前提が常軌を逸したものであることを、そろそろ認めなければならない。」


太陽系に関してはこちらへ




第10章13節

13節 民がその敵を打ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。


 旧約聖書や新約聖書の中に言及されているものの、聖書に含まれていない多くの書物と同じように、「ヤシャルの書」は古代イスラエルにおける英雄的な行為を記した書物であると考えられています。多くの人は散文で書かれたと考えていますが、韻文(いんぶん)でも書かれていた可能性があります。この名前の書物が現在入手することができますが、ほとんどの学者がその信憑性を疑っており、ここに記されている書とは別のものであると言われています。




第10章24〜25節

24節 この王たちをヨシュアのもとにひき出した時、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分と共に行ったいくさびとの長たちに言った、「近寄って、この王たちのくびに足をかけなさい」。そこで近寄って、その王たちのくびに足をかけたので、
25節 ヨシュアは彼らに言った、「恐れおののいてはならない。強くまた雄々しくあれ。あなたがたが攻めて戦うすべての敵には、主がこのようにされるのである」。


 倒れた敵を踏みつけることは、完全な降伏を勝ち取ったことを表す象徴的な行為です。この姿は、エジプトアッシリアの彫刻にしばしば描かれており、この節に記されているように文字通り足元に踏みつけられたと考えられています。




第10章28〜43節

40節 こうしてヨシュアはその地の全部、すなわち、山地、ネゲブ、平地、および山腹の地と、そのすべての王たちを撃ち滅ぼして、ひとりも残さず、すべて息のあるものは、ことごとく滅ぼした。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。


 ヨシュア率いるイスラエルが攻め取ったカナンの人の国、マッケダ、リブナ、ラキシ、エグロン、ヘブロン、デビルの破滅は、ギベオンの戦いのように1日で攻略できたわけではなく、ある期間の中において達成されています。




第11章


 この章は、北部カナンの征服について要約してあり、この北方諸国を滅ぼすには長い時間がかかりました(11章18節)。22節には、後にダビデに倒される巨人ゴリアテの出身部族ガテ族について記されています。




第11章9節

9節 ヨシュアは主が命じられたとおりに彼らに行い、彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼いた。


 馬の足の筋を切ることとは、攻撃力の強い馬の機動力を奪って使えないようにしてしまうことです。イスラエル人は戦車を使わずに、人の足で移動する兵士がほとんどなので、戦いを有利にするために敵の戦力を弱体化させる必要がありました。また、馬や戦車を戦争の道具として使用すると、イスラエルが神に頼ることをやめて、勝利を得るために攻撃力のある馬や戦車に頼ることを恐れていたという側面もあります(サムエル下8章4節、イザヤ31章1節)。



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