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 このヤコブの手紙は、キリストの十二使徒で、イエスの実際の兄弟であるヤコブ本人が書いたと言われています。この書は、もともとは国外に離散しているイスラエルの十二部族にあてた手紙で、エルサレムから書き送ったと考えられています。ほかにヨセフ、シモン、ユダという名の兄弟と幾人かの姉妹がいました。(マタイ13章55〜56節、マルコ6章3節、ユダの手紙1章1節)。 彼はまた、義人ヤコブとしても知られており、エルサレムの教会で重要な地位にありました(使徒行伝12章17節、同15章13節、第一コリント人へ15章7節、ガラテヤ2章9〜12節)。

 ヤコブの手紙は、ローマ人、エペソ人、ガラテヤ人への手紙のように、一般的な意味でのテーマはありません。その手紙にはひとつの中心的な概念というものはなく、その内容は系統的に展開されています。しかし、ひとつのテーマと見なすことのできる目的はあります。この手紙によってヤコブが告げようとしていることは、一度福音を受け入れて信仰を持ったならば、その信仰を日常生活の中で実践するように期待されているということです。同時に聖徒たちは神の言葉を知ると共に、その教えに従って生活しなければ、よい結果を得られないことを告げる一連の説教でこの書は構成されています。

 この書が書かれた場所と時とを判断するには、この書が書かれた場所を知る手がかりを全く残していないこから、ほぼ不可能であるとされています。しかし、彼がエルサレムに住んでいたことから、多くの人はエルサレムでそれが書かれたと考えてきましたが、それは単なる推測に過ぎません。歴史家ヨセフスによると、ヤコブはエルサレムで著名な教会指導者として何年も過ごした後に、サンヒドリンの議会に引き出された後に死刑を宣告され、紀元62年に石で打ち殺されたとされています。そのことから、この手紙が書かれたのはそれ以前であることがわかります。

 また、確実とは言えませんが、ユダヤに住む異邦人に関する論争については全く述べられていないことから、この手紙は教会の初期、恐らく紀元50年または51年頃に書かれたと考えられます。もしこれが正しければ、


この手紙は新約聖書の手紙の中で最も初期に書かれたものの一つであることになります


 この手紙がヤコブという名の人によって書かれたことには疑いの余地はありませんが、しかしどの「ヤコブ」であるのかということについてはいろいろな説があります。イエスの兄弟ではないとする人の説ではゼベダイの子ヨハネの兄弟のヤコブであるとされています。このヤコブはペテロとヨハネとともに初期の教会を構成した人物ですが、彼は当時の教会に対する迫害の中で、ヘロデにより打ち首にされたと言われています(使徒行伝12章1〜2節)。彼がエルサレム議会によって処刑されたのは紀元44〜46年の間と推測されています。ヤコブの手紙が紀元50年頃に書かれたとするならば、この手紙を書いたのは、イエスの弟であるヤコブが正しいと考えられます。

 ヤコブの手紙は一般書間であって、それは教会の特定の支部や支部の集まりに送られたものではなく、すべての聖徒たちに宛てたものであると思われます。個人的な紹介やあいさつ、パウロの手紙に見られるような消息の記述を欠いているところからも、一般書簡である可能性が高いと言えます。その導入は極めて簡単であり、文章の終わり方も形式にこだわっていません。このことは表面的には有利でないように思われますが、


実際には具体的に時や場所がわからないことから、すべての時代に適用する価値をその手紙に与えています。


 ヤコブはその手紙を「離散している十二部族の人々(同書1章1節)」に宛てています。多くの学者たちは、血統上のイスラエルに比較される霊的なイスラエルの概念を失っており、この手紙はヤコブがユダヤ人のキリスト教徒にのみ書いたものであるとされています。しかしながらこのヤコブの手紙は、遥か将来にイスラエルの一族になる聖徒たちに宛ててヤコブが書いたものであるという説が最も正確でしょう。

 ヤコブは宗教心に富んだ人で、当時の厳格なユダヤ教を学びキリストの復活後に教会に加入して、殉教者であるキリストの死について語っています。また、彼は時の絶頂の時代の聖徒たちに手紙を書くという重要な責任を自らに課しています。パウロの14もの書簡は主に彼の時代の聖徒たちに書き送ったものであり、その教えと勧告は現代の人々にも祝福をもたらしていて、非常に役に立っています。これに対してヤコブの手紙は、教会に属する、離散しているイスラエルの十二部族の人々に宛てて書かれてあります。

 つまり、やがて集められて福音を受け入れ、キリストの群れに入ろうとする人々に書き送っています。彼の言葉がこの時代の教会に加わったユダとベニヤミンの部族の少数の聖徒たちにも受け入れられるとしたら、それは非常に喜ばしいことだったでしょう。
 第1章には、教えの実践についての幾つかの事柄が明確に宣言されていて、その一つに、智恵に不足してしている者は神に助けを求めるようにという、重要な助言があります。(1章5節

 第2章には、信仰と行いについての記術があります。
 第3〜4章には、舌を制する必要性と、互いに悪口を言い合ってはならないという聖徒への勧告が記されています。
 第5章には、忍耐強くあって、また病気のときは長老(一種の教会員の資格)を呼んで祝福を求めるようにとの、聖徒への勧めが記されています。さらに、人の改心を助けることによって得られる祝福についても教えています。



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