真鍮版の言い伝えと現代の比較


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2009/11/22 序文追加
2009/11/22 序文追加
2008/ 6/27 序文追加修正
2008/ 6/26 序文UP 


 聖典とされるものには必ず記されている事項として「争い」「戦争」があります。その原因は外部ではなく内部にこそ問題があるとしてこのサイトでは扱ってきました。ではどのようにして人は争うのでしょうか。何が原因なのでしょうか。また、それら聖典から現代に生きるわたしたちは何を教訓にしていけばよいのでしょうか。ここでは現在の日本における諸問題と真鍮版に記されてあることの比較を行ってみたいと思います。

 ここの考察は私個人が述べるものであって教会の総意ではありません。よって書かれてあることを聖典研究の対象とすることは誤りであり、読まれる方個人で問題解決に向かってください。
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 まず先に考察するに当たって、やらなければならないことがあります。私は日本人ですから、日本で起きた戦争についてよくよく知る必要がありました。教科書に載せられているものだけが戦争を語っているわけではありません。長年の私なりの追及において、近代から始まっている戦争はどれも「起こる必要がなかった」ものだという結論に至りました。それは、

 戦争というものは起こるべくして起こるのではなく、「起こされるべくして起きたもの」であるということです。時代が現代に近いものほどそう言えるでしょう。

 例えばイラク戦争はどうでしょうか。処刑されたフセイン大統領とテロ組織の関連はあったのでしょうか。大義名分であったはずの大量破壊兵器はあったでしょうか。戦争する理由が見つからなかった。なぜ戦争したのでしょうか。きっかけとなったWTCビル崩壊も、もはやアメリカ政府の自作自演とまで言われています。911事件はともかく、イラク侵攻は完全に誤りであったと世界各国が認める事実です。多くの人は言います。政府にだまされた。アメリカ政府にだまされた。しかしその人々はイラクに軍を送って人を殺してもよいということに賛成した人たちでした。

 では、人はだまされたとしても人を殺すことが許されるのでしょうか。100万人規模で人が死んだという大きな事に対して「私はだまされた」で済むのでしょうか。派兵に賛成した人々に全く罪がないのでしょうか。もっと拡大するとこの日本においてイラク派兵に心のうちで賛成した人、このような人も全く罪がないのでしょうか。この地域の人々は日本人を指して言う時に、「日本人の兄弟たち」という親愛をこめた言葉を使います。その人々が多く死ぬとわかっていたはずの戦争に賛成した人は一体何者なのでしょうか。

 一方的な情報のみを信じ、あるいはそれによって「知らなかったから」と遺族の方々を目の前にして言わなければならない自分を想像してみてください。民間施設に落とされた爆弾によってばらばらになった遺体を前にしている人に「だまされてやったことなんだ」と言えるでしょうか。また逆に自分がその被害者であったのならどう思いますか。戦争に賛成した方は自分の心に重苦しい気持ちがあると思います。つまり罪の自覚があるわけです。またイラク戦争に限らず、多くの関心を寄せなければならないことに「無関心」なのも同類まで言わずとも由々しき事です。知るべき事を知らずに出した判断で死ななくていい人たちが死んでいるわけです。

 人々の誤った認識の結果、大量の人が死ぬ。これが戦争と無知の結果です。そしてその戦争や無知は場合によって、魂までも滅亡させてしまう力を持っています。

 イラクに派兵される我が子を見送る時は誇りに思っていたことでしょう。しかしその我が子が冷たい死体となって帰ってきたとき、多くの人は思ったはずです。一体何のための戦争であるのかと。よくよく考えて頂きたい。戦争の疑問を持つのに自分の家族が犠牲にならないとわからないのですか、と。いざ戦争になってしまえば、あらゆることが起きます。人が生きる死ぬに直面すると、人は自分の身を守るために何でもやるようになります。あるいは長く続く緊張状態から理性のタガが外れて忌まわしい行為に及ぶ者もでてきます。しかしそれさえも「だまされて戦争に行ったから」「知らないで戦争に参加したから」で済むとは到底思えません。我々人間は何ゆえ人を殺す方法ではなく、人を生かす方法を思いつかなかったのでしょうか。

 広島に原爆を落としたのは私が見るに明らかな国際法違反です。この事例をもっと問いたいですが、残念ながら日本は原発を多数抱える「原爆国家」です。毎年原爆の落とされた日に集まる人々の何人が原発に反対しているでしょうか。自分の家族を消滅させた同じ原理でいつ爆発するかもしれない原発を容認している。私には理解できません。そして関連団体の流す「安全」という神話を信じ、あとは無関心です。この地震の巣とも言われる日本で、原発が爆発しないでこれたのは奇跡であって道理ではありません。

 その無関心故、実際に原発が爆発したらどうなることでしょうか。はっきりいいますが、無能な人々共々無関心な人々の自業自得です。とは言えどもそのような人々の上にだけ死の灰が降ればいいのですが、おそらく日本という国が存続するかどうかのところまで被害が及ぶでしょう。もしそうなれば原発利権の人々と無関心な人々はもはや国賊であり、流された血の責任は彼らにあります。

 過去から現在に渡って戦争の原因となったもの、それは「情報」でした。現在の発達した情報機関がある時代でも、それらコンピュータや通信設備の無い時代でも一貫して理由はほぼ同じです。時には誤った情報を信じて暴挙に走り、ある時は目先の利便さ心地よさに目を背け、心を煩わせたくないという利己心から無関心にさせられ、重要なことを知らずに人は過ごしています。その結果はいいものでしょうか。特に私たち日本人にとって今は重大な時です。

 さて本題は、真実から目を背けた結果どうなってしまうのか、というところです。真鍮版において、それら争いや戦争の原因は「先祖の言い伝えが間違っていた」というところから始まっています。

「〜レーマン人はこれらのことについてはまったく知らず、たとえ教えられても、彼らの先祖の正しくない言い伝えがあるために信じないのである。(モーサヤ1章5節)」

 そして、この間違った言い伝えを各々個人で追求した後、正しい判断ができなかった人、あるいはまったく気にもかけなかった人は例外なくサタンの狡猾な罠に嵌められ、人生において命を落とすばかりか魂までも地獄に送る結果となりました。戦争の原因は何も先祖の言い伝えが悪かったところから始まるわけでもありません。人々の高慢な態度から不和や分裂を生み、家族間の対立から部族同士の抗争、それが発展し大規模な戦争へと導かれていきます。この場合では言い伝えが主な原因ではなく、別の部分における真実の見落としでしょう。ある意味これも「情報」が鍵となっています。大きな利益を得るために自分には有益な情報を、他人には不利な情報が必要となります。その道具として「先祖の悪い言い伝え」が使われることもあったでしょう。

 この方法は、一部の人が自分の利のためによく使う方法です。自分はなにかしらの鬱憤があるのでなんとかしたい、しかし一人では心もとない、では誰かをこちらの考えに賛同させてしまおう、といった経緯から始まる場合が多く見られます。一部の利己的な考えによって始まり、信じてしまった人はそれが正しいかどうかも自分で検証もせず、ただ目の前に起こった出来事の解決のみに夢中になってしまいます。そうして本題から全く外れ、最終的には何が原因かもわからないような状態に陥ります。

 原爆を落とされた人々は「原爆を落とされた」という事実にばかり目が行ってしまい、どうしてこの戦争が起こってしまったのかということについてあまり関心が見られません。またTV番組などで、原爆を投下した爆撃機の搭乗員や爆弾を製造した人に対しての責任を問うものがありましたが、彼らは「やれ」と言われてやっただけに過ぎません。さも彼らに大量殺戮の責任があるかのような表現をしますが、本来責任を問うべき相手は別にいます。それは「やれ」と言った人間たちです。この少々お門違いの責任追及は戦争をしかけて莫大な利益を手にした者どもにとって好都合なこととなりました。

 莫大といっても一般の人が考える規模のものではなく、彼らは自分の投資額を数1000倍にしなければ満足することはありません。これらは、戦争によって天文学的数字の利益を得た人間が実際にいるということです。この狡猾な方法は近代の戦争で多用されてきました。疑問に思う方は是非お調べになってください。すると必ずと言っていいほど国際的な銀行家や企業の名前が出てきます。黙示録に記された額と手に刻印を入れる獣と多いに関係があると考えています。

 このように、過去の戦争と今日ではもはや質が違いすぎて比較にならないと考える方もおられるでしょう。しかしそれは聖典を理解していない、あるいは学んでいないのではないでしょうか。いつの時代も一部の人間が欲しがる特権的なもの、それは物質であれ精神的優越感であれ同じです。違うとすればそれは、規模です。聖書の世界はアジア・ヨーロッパ・アフリカでした。真鍮版は南北アメリカ大陸です。

 狡猾な計画が進行する現在は大洋という垣根の中、あるいは国という限定された地域のものではなく、地球規模の大きさで行われるようになりました。規模が大きすぎて想像が困難な故、人は理解できにくいのです。

 平和を手にしたニーファイ人たちは、神の祝福を得て大いに繁栄しました。しかし幾年も経たないうちにもとの戦争状態に戻ってしまいます。聖典には簡潔な言葉しか記されていませんので、そこから物事を推し量るにはどうしても限界があります。また人は身近な出来事でなければなかなか理解もしにくいものです。たとえどのような場合があるにせよ、声を大にして言わなければならないことがあります。

 
良心ある人々よ、無知ゆえにだまされてはいけない。

 しかし今、私たち日本人にとって現在の環境がニーファイ人たちの堕落した経緯を知るのにうってつけであると考えています。


 2009/11/22
聖書も真鍮版も、その歴史は勃興と衰退、そして滅亡の歴史です。その要因の1つが真鍮版ヒラマン書5章2節に記されています。

それは、ニーファイ人の法律と彼らの政体が民の声によって定められ、悪を選んだ者が善を選んだ者よりもはるかに大勢であったために、法律が改悪されて彼らの滅亡の機が熟していたからである。

 滅亡の機が熟するということは、法律が改悪されるという前提があることになります。結果を先に言ってしまうと、

国民が国防に関心が無くなった時、それが滅亡の始まりです。

 真鍮版を読んだ事のある人はご存知でしょう。そのような箇所は真鍮版のあちこちにあります。問題は繁栄していると思っていた矢先に突然不幸が訪れる、この「突然」という部分です。

「第六十五年も、大きな喜びがあり、平和であって、まことに多くの宣教が行われ、将来起こることについて多くの預言が述べられた。このようにして、第六十五年が過ぎ去った。さて、さばきつかさの統治第六十六年に、セゾーラムが、さばきつかさの席に着いていたときに何者かによって殺された。また、同じ年に、彼に代わって民によって任じられた彼の息子も殺されてしまった。このようにして、第六十六年が終わった。(ヒラマン書6章14〜15節)」

 ニーファイの民は「神の恩恵を受けて繁栄」していたはずです。宣教も多く行われたということは、精霊や御霊によって民衆に大きな徳をもたらしていたとも考えられることです。ではどうして突然さばきつかさが殺されてしまう事態になるのでしょうか。それは、

無知と高慢さから身の回りに起きている危機を見つけることができなかった

と言えるでしょう。自分たちの利益に目がくらんだ人々は「飢えている人に食物を与えず、着る物の無い者に着る物を与えず、謙遜な同胞の頬を打つなどして貧しい者を虐げ、神聖なものをあざけり、預言と啓示の霊を否定し、人を殺し、略奪し、偽りを言い、盗み、姦淫を犯し、ひどい争いを起こし(ヒラマン書4章12節)」、の状態に陥っていました。それは「大きな隙」を悪人たちに与えています。これは紀元前の事ですが、似たような状態がこの日本で、そして回復された教会でも見受けられています。特に日本人の教会員は政治的関心が極度に低く、自分たちの生活に密接な関わりのある政治活動を教会で話したり発言することをタブー視するという恐ろしい状態にあります。これは日本において福音が根付かない大きな原因の1つと私は考えるに至りました。また、教会員同士における福祉活動よりも外の団体への福祉活動のほうが活発であり、教会員間の友情と信頼感に問題を残しています。これも回復された福音が日本に根付かない原因の1つです。

 恐らくこのヒラマン書の舞台でもニーファイ人は政治に関心が薄かったことでしょう。はっきりいってしまえば、

政治(危機管理)に関心のない民は衰退や滅亡から逃れられないということであって、現在の日本がその状態です。

 日本では第2次大戦後に現在の法律になりましたが、敗戦国ということもあって国防に関する部分は骨抜きといった状態でした。戦勝国側の都合でつくられたものです。聖書も真鍮版も、滅亡は国防をおろそかにした結果導かれると見れる部分がいくつかあります。どちらの舞台も大陸ですが、この日本の場合は海に囲まれたある意味閉鎖地域であるがために、聖書や真鍮版とは違った様相を見せます。民度の低い国が高い国を侵略する場合、武力に頼ることはしません。当然民度の高い国は優れた軍事兵器と訓練された軍隊が存在するので正面からの勝負では勝ち目がないからです。それは白人たちが第2次大戦で日本を、その後のベトナム戦争でベトナムを相手にしたとき痛感しました。

 白人植民地支配者はどうにか戦争には勝ちましたが、植民地の殆どを失い多額の損害を出したことで方針を転換させました。以来、圧倒的軍事力でもって制圧するのは軍事的に勝ち目のある場合、湾岸戦争、イラク戦争のような場合にだけ行うようになります。戦後GHQが取った対日本の政策は、戦前放逐、監禁されていた左翼活動家を復活させて、日本は悪い国であるという自虐史観を植え付け民衆の教育を低下させることにしました。

この自虐史観こそが、日本における「先祖の悪い言い伝え」であって、人々の教育を60年以上にも渡って影響を及ぼしています。

 日本は海で隔離されているため、移民によって国内に内乱を誘発させるということができにくいので、国力を削ぐ反乱移民は日本国内に置いておく必要があります。在日朝鮮人の問題は戦前からありましたが戦後それをうまく利用された形となり、大量の朝鮮人が日本国内に送り込まれています。しかしこれは強制されたものではなく、戦後の復興著しい日本で一旗揚げようと思った人々が自らの意思でやってきており、いわゆる「強制連行」ではありません。その簡単な証拠として、これらの人々が強制的に日本へ連れてこられたのなら3世、4世と長い間日本に住み続けたままでどうして祖国に帰ろうとする人がいないのか、また韓国や北朝鮮はなぜ自分たちの民を日本から取り戻そうとしないのかを考えればわかることです。

 その方法は確実に効果を表し、現在の日本では帰化しない在日外国人が2008年現在2,217,426人、つまり222万人近くおり、その57.2%が反日思想を持つ中国と朝鮮人で占められており、日本では団塊の世代という大体60歳代から80歳代の人々をある程度左翼思想へと洗脳することに成功しました。また北朝鮮の組織であると言われる日本教職員組合「日教組」による教育の偏向は反日思想を子供たちに植え付けるものです。そして中国や朝鮮は日本のメディアを乗っ取り、極力これらの国に不都合な出来事を放送、出版しないように強い影響を与えていますが、その背後にアメリカに住む国際的支配階級の人間が控えていることを忘れてはなりません。

 国が国たる由縁はなんでしょうか。極端な思想や心情を持つ人々が同じ地域にいるばあい、そこには争いしかありません。多少の幅はあっても、似たような思想や道徳観を持つ人々で構成される地域であるなら、そこには人々の間での取り決めができて経済活動が活発になってきます。大まかに言ってしまえばこれが「国」というものです。しかし移民よって地域が支配されてしまえばそこに元からの国は存在しなくなります。なぜなら移民たちはそこで自分たちのルールで生活するからです。移民の問題で成功したという国はごくわずなことからも、移民によって国力を低下させるのは兵器を使って国を侵略するよりも時間はかかりますが効果的な方法です。

 そしてその国の政治に国民の目が向かないように、関心のないように仕向けてからひそかに国の国たる法律を変えてしまいます。また多くの民の信頼を集めるために重要なことは表に出さずに隠して、表向き民衆の気を引く政策を掲げて大事な部分に目がいかないような工作をします。そうして先に記したヒラマン書5章2節の通り、法律は改悪されて滅亡の危機を迎えます。それが現在の日本です。

2009/11/25
 2009年11月現在、日本の法律は変えられようとしており、そのほとんどが混乱と暴虐を生み出す移民に関するものばかりです。以下の表にまとめました。

売国法案リスト
リンク先は【国民が知らない反日の実態】というサイトにつながります。
国籍法改悪
外国人参政権付与案
外国人住民基本法
移民1000万人受け入れ
人権擁護法案
児童ポルノ法改正案
沖縄一国二制度
国家主権の委譲
国立国会図書館法の一部を改正する法律案
北朝鮮への経済制裁解除
(自称)従軍慰安婦への保障
IMFを通さず韓国への経済支援
国家主権の委譲を柱として日本国憲法改悪
帰化の簡素化
移民受け入れ

 どれ1つとして日本のためになるものはありません。これを現政権である民主党は推し進めようとしています。「外国人」というのは詭弁でありその中身は日本に敵対感情を持つ反日国家中国、韓国、北朝鮮を指しています。ヒラマン書5章2節のにある通り、「悪を選んだ者が善を選んだ者よりもはるかに大勢」であったために政治は腐敗してきました。そしてこれからもさらにひどい腐敗が暴虐を生み出します。自民党時代の政治は良い面も悪い面もありました。しかし流される情報を鵜呑みにして調べもろくにせず安易に民主党を選んだ結果出てきたのがこれらの法案です。民主党に変わって幾つかの良い変化、例えば自民党内の悪徳議員落選、カルト宗教団体創価学会が支持母体の公明党との連立解除等がありましたが、悪い政治体制が更に悪くなりつつあります。危機感の無さと無知、無関心が引き起こした結果がここにあります。

 日本が日本という国を維持してこれたのは、島国という立地が日本の伝統的風習をある程度保ってきたおかげと言えるでしょう。世界でも類を見ないほどの治安の高さを誇ってきましたが、最近は外国人による犯罪が横行するばかりか、思考力を低下されられた日本人がとんでもない事件を起こすようになりました。

 古代イスラエルは、周辺諸国の国や部族との争いが絶えませんでした。またニーファイ人も同様です。どちらも神に忠実であった時は神自らが盾となり、民衆を守ってきました。しかしエルサレムで堅固な町を築いたダビデは防衛の軍に力を入れていたのに対して、ニーファイの民は争いが起こってから軍隊を作り出す事が多くあります。その結果多大な犠牲が出ることになりました。日本民族はどうでしょうか。私の見解では滅びたニーファイの民に似てきたように思えます。イスラエルやニーファイの民のような確固とした神や預言者はいませんでしたが、日本では天皇を初め宮司、僧等によって高い思想を教えられ、民はまじめで礼儀正しく勤勉でありました。紆余曲折を経て様々な文化に触れた現在の日本人はどうでしょうか。年が進むにつれて「日本人らしさ」が失われつつあります。

 法律の改悪と大量の移民は日本国家が消滅することを意味しています。しかもその移民、ただの移民ではなく強い敵対意識を持つ民族に国政へ参加できる権利を与えようというのです。今こそ日本人はこのような危機を見分けられるような知恵を求めるべきです。マタイ書にはこのように書かれてありました。

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう(25章29節)」

 無知と無関心ゆえに滅亡を招くことはどうか避けて頂きたいと切に願っています。


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