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2000/10/ 5  序文追加


 パウロは一時的にローマでの獄中生活から解放されたときに、クレテにいたテトスにこの手紙を書いています。この手紙は主に、教会の内部規律や組織についての問題を扱っています。

 第1章には、パウロのあいさつと指示や、監督に求められる一般的な資格が述べられています。
 第2〜3章には、一般的な教えとクレテの教会の様々な層の人々への対処の仕方が書かれていて、パウロは聖徒たちに不品行をやめ、慎み深く、忠実であり、良い業を続けるように励ましています。



 この書とテトスへの手紙のテーマは、キリストによって定められた模範に従う時に、霊性を培って、感受性を養う上で障害となる事柄全てを克服する強さを身につけることができるというものです。

 パウロは恐らくエペソに戻って間もなくこの手紙を書いたと考えられています。最初と2度目の投獄の間、すなわち紀元67年か68年のことでしょう。この手紙を書く前に、パウロとテトスはクレテ島を訪問していました。パウロはその島に残れないことが明らかになった時、教会の諸事を整理させるためにテトスをその地に残しています(テトス1章5節)。パウロはテトスを強めて励ます手紙を書くに当たって、教会で神の業に携わっている人々の義務について明確な指示を与えました。特に偽りの導き手と教義に気をつけるようにテトスに警告をしています。また、教会の指導者として召されている人に望まれる性格や行動に関しても述べています。

 テトスへの手紙では、従順であることの大切さが述べられています。パウロは愛する子テトスに、また彼を通して全ての聖徒たちに、真理と正義の道を歩むことの必要性を勧告するように御霊によって促され、この手紙を書いたと言われています。テトスへの手紙は聖徒たちへの実際的な勧告であり、世にあって世の者ととならずに生活しようとする時に直面する問題への一般的対処法を語ったものです。パウロがこの世の使命を最初に果たした場所はローマです。

 たゆまぬ60年間の奉仕の間に、タルソのサウロはキリストの熱心な使徒パウロに変わっていました。再び投獄されたパウロは今や死に直面しています。彼は友人たちから見捨てられ、人々からも裏切られましたが、しかし彼の心は平安であり、意気揚々とさえしていました。それに後悔する様子もなく、次のように記しています「わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた(2テモテ4章6節)」。とは言っても、パウロには心配が無いわけではなく、この世で業を果たす兄弟たちのことを考えていました。

 彼は最後の投獄前に、テトスに手紙を書き送り、彼が義務を果たす上で役立つ指針を与えています。パウロは彼の「愛する子」テモテへも手紙を書いています。死を間近にしたパウロは、永遠の将来を考えて勧告を与えており、若いテモテがこれから直面するに違いない数々の試練について感動的な言葉を残しています。中でも彼自身の強さとテモテの将来の幸せにとって鍵となる教え、すなわち霊性を築くことの必要性を明らかにしています。

 パウロは自ら次のような教訓を学んでいました「わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていたものであって、さまざまの情欲と快楽の奴隷となり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互いに憎み合っていた(テトス3章3節)」。パウロは自分の若い頃のことをこのように言っていました。しかし何が彼を変えたのでしょうか。死の時を間近にして、どうして彼は確信を持ってこのように神の最大の栄光について語ることができるようになったのでしょうか。彼は何を知ったために、恐れや強さや愛、それに自制に変えることができたのでしょうか。テトスへの手紙とテモテへの第二の手紙の2つは、死を間近にして厳粛な気持ちを持って語るパウロの最後の言葉です。

 これらの手紙はパウロの遺産であり、彼の経験と知恵の枠とも言えるものです。パウロは教会の兄弟たちに数々の危険について警告を発していますが、それはこの現代にも当てはまるものと言えます。しかしそれ以上に大切なことは、霊性を培う方法、すなわちキリストが約束しているように、人生の旅を成功裏に終えて、大きな喜びを得られるようにするための方法をパウロが述べていることです。



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