太陽系探査の謎



宇宙・目次 太陽と太陽系






 ドイツのウィッテンベルグ大学の教授だった、ダニエル・E・ティティウス(1729〜1796)は、太陽系の惑星配列に何らかの法則があるのではないかと思いつづけてきました。しかし、当時は土星までの6個の惑星しか発見されていなかった時代でした。それでもティティウスは、何らかの法則を見つけようと、毎日計算式とにらみあっていました。そういう中、ついにティティスはある法則を発見し、1766年にそれを発表しました。

 ところが、その数式を発表しても、これぞという天文学的根拠が薄かったためか、誰一人として注目する天文学者が現れませんでした。その6年後なんとドイツの天文学者、ヨハン・ボーデ(1747〜1826)が、このティティウスの数列を勝手に「ホーデの法則」と変え、天文学会に自分の名で発表してしまったのです。その結果天文学会は大騒ぎとなり、ボーデの名は一躍世界に広がり、「ボーデの法則」としての地位を得て有名になりました。現在ではティテイウスの数列、叉はボーデ・テイティウスの法則と呼ばれています。



惑星名 水星 金星 地球 火星 小惑星帯 木星 土星 天王星 海王星 冥王星
ティティウスの数列 10 16 28 52 100 196 388 772
実際の公転半径 3.9 7.2 10 15.2 27.7 52 95.4 191.9 300.6 395.3



 1781年3月13日、イギリスの音楽家で天文学者でもあったウイリアム・ハーシェル(1738〜1822)によって天王星は発見されました。彼は、手製の15センチ反射望遠鏡で天体観測をし、ティティウスが予測した位置に、無数の天球の星の中から見つけ出しました。それまでは、そんな位置を観測する天文学者がおらず、ほとんど無視されていました。しかし、ハーシェルがティティウスの数列を土星から先に当てはめた事により、見事に天王星を発見します。ところが、最初ハーシェルはそれが惑星だとは思わず、数ヶ月後軌道計算から惑星だと気づくまでは、単なる彗星だと思ってしまいました。

 すでに18世紀後半になっていたとはいえ、それまで確認されている太陽系の惑星は、古代と同じ土星までだったからです。
 そこでハーシェルは、時の国王ジョージV世の名にあやかり、その惑星の名をジョルジュム・シドゥス(ジョージV世の星)と名付けましたが、後に他の惑星と同じように、ギリシア神話の神々の名に変えて、ウラヌス(天王星)と命名しました。ちなみにウラヌスとは、ギリシア神話に登場するサターン(土星)の父の名前です。この新しい惑星発見の功績により、彼は国王ジョージV世(1738〜1820)に仕える直属の天文学者となり、以後も天王星の衛星を2個土星の衛星も2個発見したばかりか、生涯に430個もの天体望遠鏡を持ち、多くの星雲と星団を発見しました。

 こうして天王星は発見されましたがその結果、他の天文学者たちもティティウスの数列の持つ意味の重要さに気づきはじめました。実際にこれがきっかけとなって、1801年の小惑星の発見、及び1846年のドイツ人ガレの海王星の発見とつながりました。
 ティティウスの数列の表を見るとわかりますが、天王星の位置が数列では196ですが、実際の惑星の公転半径は192となり、誤差は2パーセントしかありません。これは太陽系規模から見た場合、ほとんど無視してもいい誤差の範囲です。

 このようにティティウスの数列が当たった以上、それは単なる数列ではなく、そこには何か重大な情報が隠されているとしんじられるようになりました。この星は地球の4倍の赤道半径を持つ巨大惑星ですが、


天王星内部は木星と同じ地殻惑星です。


 天王星は、金星や冥王星を除く、他の惑星と違って自転軸が公転面に対して98度も傾いた、”横倒し天体”です。それも天王星本体だけでなく、天王星の輪も98度傾き、15個の衛星の全てが98度傾いた上を公転しています。そのため、以前に何らかの大きな天体が天王星に衝突したか、ニアミスしたためだろうと言われています。その証拠の一つは、衛星「ミランダ」の表面に残されている、不気味なひっかき傷です。ミランダの表面の各所には異様なまでの深い傷があり、天文学者の中には、二つの衛星が衝突して再び合体したと考える人もいます。


これは明らかに巨大な天体が残した傷痕として考えるべきであり、遠い昔宇宙規模の大激変が太陽系を襲った証拠になります。


 天王星と太陽までの距離は28.6億キロで、太陽から土星までの距離の約2倍にあたり、海王星までは45億キロです。海王星の大きさは直径4万7400キロで、天王星の5万キロよりわずかに小さい程度ですが、どちらも自転速度が速く、天王星は10時間49分、海王星は15時間が一日です。当初、学者たちが天王星の軌道を算出している時、時間経過と共に、最初の予測よりも天王星の軌道がずれていくことに気がつきました。そして天王星の発見後60年も立った1840年には、その差は相当のずれを生じていました。その原因は、天王星の軌道が「摂動」を受けて、揺らいでいたからです。

 そこで多くの天文学者たちは、これほど天王星の軌道がずれるのは、未発見の惑星が天王星の向こうに存在しているからではないかと考えるようになりました。そこでこの問題に真正面から取り組んだのが、ケンブリッジ大学で数学を学んでいたジョン・Cアダムスです。天王星の向こう側に、未発見の惑星があるに違いないと思ったアダムスは、1842年から3年間もかけて、昼夜を問わず確認計算を行い続けました。そして導き出された数値を持って、グリニッジ天文台長ジョージ・ビドル・エアリ卿と、ケンブリッジ天文台長ジェームズ・チャリスを訪れ、自分が示唆した場所を観測してほしいと依頼したのです。ところが彼らは、若いアダムスを小馬鹿にして、全く相手にもしませんでした。

 その後、フランスの天文学者のユルバン・ジャン・ルベリエも同様の計算を行い、アダムスの推測が正しいことを証明することになります。このことで、彼らは天文学者として自分たちの名を後世に残す特権を失い、汚点だけを永久に残すこととなりました。
 1846年、今度は有名なルベリエの発表なので、天文学会は本気で天王星の向こう側に別の惑星が存在することを考えはじめました。そこでドイツの天文学者ヨハン・ゴットフリー・ガレがアダムスが最初に導き出し、ルベリエも導き出した数式上の位置で、見事に海王星を発見します。天王星の発見につづく海王星の発見により、天文学会は大いに活気づきました。

 実は、海王星が発見された頃から、ティティウスの数列の存在価値が疑われ始めていました。というのは、ティティウスの数列の海王星の予測位置が338なのに比べ、実際の位置が300.6と大分違っていたからです。いくら太陽系規模といっても、この差は大き過ぎます。ところが後のさらなる観測により、海王星には天王星にはない異様な特徴が数多く発見されました。

 まず、海王星の最大の衛星「トリトン」の公転方向が、太陽の自転方向とは全く逆であることが判明したのです。海王星は天王星より一回り小さいだけの巨大惑星ですが、トリトンの公転方向を180度も変えるには、計算上では地球の3倍の大きさの天体が必要です。

 このことは、アカデミズムが唱えている「斉一論」とは全く相容れない結果でした。斉一論とは前述したように、何事も無く平穏無事に変化無く経過していくという意味で、太陽系もそのような状態で経過してきたと考えられてきています。しかし、そんな昔まで確認できる人間などいない以上、斉一論も所詮は一つの仮説にしか過ぎません。しかし、今でも斉一論は、永遠の絶対常識として、アカデミズムの根幹的部分を成しています。ところが探査が進むにつれ前述の海王星の衛星トリトンが、アカデミズムの足場をさらに揺さぶりはじめました。トリトンの北半球と南半球の地形が、同じ天体とは思えないほど全く違っていたからです。

 北半球は、溶けたようなのっぺりした地形ですが、南半球は全く逆で、荒々しい火山地帯が一面に続いていたのです。これは明らかに、天王星のミランダと同じく、何かがトリトンの片側を通過したのです。このことから、ティティウスの数列が間違っているとも、いえなくなりました。

 海王星の発見から冥王星の発見までには、85年を有する時間がかかっています。アメリカ人のC・W・トンボーによって冥王星が発見されたのは、1930年のことでした。そけだけ冥王星は遠い距離にあったということで、大きさも月より一回りも小さい1100キロほどしかなかったので、発見が困難でした。しかし、その最大の原因は、ティティウスの数列における冥王星の予測位置772と、実際の位置395.3が大きく違っていたからです。海王星と同様、またしてもティティウスの数列と違う位置での発見で、とうとうティティウスの数列は、太陽系外惑星には当てはまらないとして、徐々に相手にされなくなっていきました。ところが、今度も冥王星で奇妙な現象が起きていることに天文学者たちは気づきました。

 それは、他の8個の惑星全てが、太陽の黄道面上を公転しているのに対し、冥王星だけが17度も傾いた公転軌道を持つ上に、最も細長い楕円軌道を描いていたのです。そのため、冥王星の近日天が、海王星の公転軌道よりも内側に入り込んでいるのです。わかりやすく言うと、冥王星より内側を回っているはずの海王星より、ある時期にくると外側の冥王星の方が、海王星より内側になるという、実に奇妙な公転軌道を持っていたのです。これは、冥王星の大きさが惑星クラスではなく衛星クラスであることや、冥王星の公転軌道が、海王星と交差している事実からも、
 


かつて冥王星は海王星の衛星の一つであった


と言うことができます。

 19世紀から20世紀にかけて、天王星と海王星に大きなゆらぎが生じています。そのため海王星の彼方に巨大な天体が存在すると考えられました。火星に運河があると発表した、アメリカの天文学者パーシバル・ローウェルは、海王星の運動の影響を度外視しても、なお天王星の起動の乱れは理論通りではないと見ていました。そこでローウェルは、ハーバード大学のウィリアム・H・ピッカリングと組んで、この大きな摂動は未知なる「惑星]」によって起こされていると断定し、1915年に正式に発表しました。しかし、これは冥王星の発見より15年も前のことですが、翌年の1916年に他界してしまい、助手をしていた天文学者のトンボーが後を引き継ぎ、1930年の冥王星の発見となります。

 248年で太陽を一周する冥王星は、別の異教の神から名をとって、プルウト(PLUTO)と名づけられました。最初の二文字のPとLは、パーシバル・ローウェルを現し、Tをトンポーの頭文字を表わしたといいます。ところが、冥王星の大きさが地球の5分の一しかなく、非常に小さな天体であることが判明すると、冥王星が海王星に巨大な摂動を引き起こした「惑星]」ではないことが明らかになりました。


冥王星の外側にもう一つの惑星が存在します。


 意外と一般的に知られていないことですが、1997年6月、NASAがその天体の事を公表しました。現在でも惑星探査機「ポイジャー1号」と「ボイジャー2号」は、冥王星を離れ続けており、わずかですが地球に信号を送ってします。探査機が順調に飛行していると言う事は、順調に情報が入り続けているということになります。実は、それ以外にも「パイオニア10号」と「パイオニア11号」も、太陽系を遠く離れており、合計4機もの探査機が、それぞれ別方向に向けて飛行を続けているのです。


その目的は第10番惑星の発見です。


実際にNASAは1982年6月パイオニア計画の最終目的を、第10番惑星の発見にあることを正式に表明しています。


 もし超冥王星がはっきりと確認されれば、太陽系に対する認識がまた大幅に変わってくることは間違いないでしょう。この第10番惑星が太陽系に加われば、太陽系の半径は数倍の広さを持つことになります。現在では超冥王星の影響で起こる摂動が天王星と海王星で全く起きていないことから、超冥王星の軌道が、それらとは違う角度で公転することが推測されています。そこで、1987年にNASAが発表した、超冥王星の推測軌道図は斜めもしくは、垂直の軌道の可能性を示唆したものになっています。

 また、アメリカ海軍天文台のトマス・Cフランダースンとそのスタッフは、超冥王星の質量を地球の約2倍と算出し、約1000年周期で公転していると発表しています。それによって、超冥王星の発見は、軌道面が他の惑星とはまったく違うため、発見するのは非常に困難なのです。しかし、その存在は確実なため、パイオニアやポイジャーなどの探査機が太陽系の最果てで発見しようとしています。パイオニア計画は、1972年3月2日に打ち上げられたパイオニア10号と、1973年4月5日打ち上げのパイオニア11号で幕をあけました。

 この2つの探査機は、高度な観測装置を搭載し、木星の大赤班とイオの観測を行い、11号は土星の輪の観測を行いました。両探査機の太陽系から外に飛び出す方向は全く逆向きで、これは打ち上げの時期と探査する惑星の配置を考慮した最適のコースを選択した結果です。TVカメラ撮影の性能ではパイオニアはボイジャーの100分の1程度の能力しかなく、画像の鮮明度も大幅に欠けるますが、摂動に対しては極めて敏感なセンサーを装備しています。

 一方のボイジャー計画は、1977年8月20日にボイジャー2号が、同年9月5日にボイジャー1号が打ち上げられてスタートしました。そして、木星の新たな輪の発見や、衛星イオの火山噴火、海王星の大黒班の発見など、数々の実績を上げた後、現在は両探査機とも別々の方向で冥王星軌道から離れ続けています。しかし問題なのは、両探査機の方向もさることながら、ボイジャー1号の黄道面からの35度上昇角度と、2号の48度下降角度にあります。これは、明らかに両方向の上下角度のいずれかの先に、何かが存在していることを示しています。

 ところが、1981年8月25日の土星最接近の前に、JPL(ジェット推進研究所)が強い要望をだし、ボイジャー2号の飛行コースを変更させており、このことは、NASAも正式に認めて公表した情報です。ということは、ボイジャー計画の飛行コースが決定された時点で、すでに超冥王星の位置がある程度つかめており、ボイジャー1号の方が間違いなく超冥王星に向かっていることが、遠ざかるパイオニアからの情報で確認されたと見て良いでしょう。それで、すでに必要でなくなったボイジャー2号の方を他の惑星探査に回すゆとりができたのです。そこで急遽飛行コースを変更し、まだ間に合った天王星と海王星を探査したというわけです


この探査で発見された中に、アカデミズムが絶対に認めたがらず、NASAが隠しつづけたきた衝撃の事実があります。


木星にはクレーターが存在し、木星は地殻天体です。


木星には巨大な火山が噴火していて、それは大赤斑と呼ばれており、NASAがつけたコードネームは「クロノス」といいます。


同様な火山は、土星、天王星、海王星にも存在し、海王星の火山は「大暗斑」と呼ばれています。


要するに、太陽を含めた太陽系の惑星はすべて地殻天体だといえます。


パイオニア計画とボイジャー計画の最終目的が第10番惑星の発見にある以上、近い内に間違いなく超冥王星の発見のニュースが世界中をかけめぐるでしょう。



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