創世記 47〜50章 研究解読



第47章9節
第48章22節
第49章1〜27節
第50章24節



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2004/ 4/11  第47章9節追加
1999/ 4/19  第49章1〜27節、第50章24節UP
1999/ 4/17  第47章9節、第48章22節UP



第47章9節

9節 ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。


 175歳で死んだアブラハムや180歳で死んだイサクと比較して、当時130歳だったヤコブはその時点で自分の年齢を短い、あるいは「わずか」ということができたのでしょう。「ふしあわせ」と訳されている言葉は欽定訳では「悪い」となっていますが、実際には「悲しみに満ちた」あるいは「労苦と困難に満ちた」という意味になります。ヤコブがエサウの怒りから逃れるためにハランに行ったこと、ラバンのために働いた年月、妻たちや女同士の不和、カナンの地での長旅、ラケルの死、ヨセフを失ったゆえの悲しみの日々など、こうしたことを思い起こせば、何故ヤコブが自分の齢の日々が困難と苦労で満ちていたと言ったのかがわかってきます。

 ヨセフが30歳の時にエジプトのつかさ、宰相になっており、その後7年の豊作の後に飢饉が起こって兄弟たちが食料を買いにエジプトに来ました。おそらくヨセフが37歳頃の時、ヤコブがパロと会ったのが130歳の時であることから、ヨセフが生まれたのはヤコブが93歳頃であると推測できます。(出エジプト1章8節




第48章22節

22節 なおわたしは一つの分を兄弟よりも多くあなたに与える。これはわたしがつるぎと弓とを持ってアモリびとの手から取ったものである。


 ヤコブの息子ヨセフは神に忠実であったので、イスラエルの家督権を与えられました。古代にあっては、長子に特別な特権と祝福が与えられるのが慣習であってこの特権は生まれながらにして長子に所属するものと考えられていました。ヤコブの長子であったルベンは、罪を犯したため家督権を失っています。そしてヤコブの息子のうちの最もふさわしいヨセフに与えられました(歴代志上5章1〜2節)。ヤコブはヨセフを祝福した時、彼に2倍のもの、すなわちパレスチナにおいて兄弟たちの2倍の受け継ぎを得ました。同時にシオンの地の、「永久の丘」の祝福も得ています。ヤコブはまたヨセフに、上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、それに子孫の祝福を与えました。ふたりはこれを受けましたが、ヤコブは若い方のエフライムを年上のマナセの前に立たせて、神からの霊感によりイスラエルの家督権をエフライムに与えています




第49章1〜27節

1節 ヤコブはその子らを呼んで言った、「集まりなさい。後の日に、あなたがたの上に起こることを、告げましょう、
2節 ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルの声を聞け。
3節 ルベンよ、あなたはわが長子、わが勢い、わが力のはじめ、威光のすぐれた者、権力のすぐれた者。
4節 しかし、沸き立つ水のようだから、もはやすぐれた者ではあり得ない。あなたは父の床に上って汚した。ああ、あなたはわが寝床に上った。
5節 シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。
6節 わが魂よ、彼らの会議に臨むな。わが栄よ、彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、ほしいままに雄牛の足の筋を切った。
7節 彼らの怒りは、激しいゆえにのろわれ、彼らの憤りは、はなはだしいゆえにのろわれる。わたしは彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。
8節 ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵のくびを押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。
9節 ユダはししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上ってくる。彼は雄じしのようにうずくまり、雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起こすことができよう。
10節 つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時まで及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。
11節 彼はそのろばの子をぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を良きぶどうの木につなぐ。彼はその衣服をぶどう酒で洗い、その着物をぶどうの汁で洗うであろう。
12節 その目はぶどう酒によって赤く、その歯は乳によって白い。
13節 ゼブルンは海辺に住み、舟の泊まる港となって、その境はシドンに及ぶであろう。
14節 イッサカルはたくましいろば、彼は羊のおりの間に伏している。
15節 彼は定住の地を見て良しとし、その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、奴隷となって追い使われる。
16節 ダンはおのれの民をさばくであろう。イスラエルのほかの部族のように。
17節 ダンは道のかたわらのへび、道のほとりのまむし。馬のかかとをかんで、乗る者をうしろに落すであろう。
18節 主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。
19節 ガドには略奪者が迫る。しかし彼はかえって敵のかかとに迫るであろう。
20節 アセルはその食物がゆたかで、王の美味をいだすであろう。
21節 ナフタリは放たれた雌鹿、彼は美しい子じかを生むであろう。
22節 ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。
23節 射る者は彼を激しく攻め、彼を射、彼をいたく悩ました。
24節 しかし彼の弓はなお強く、彼の腕は素早い。これはヤコブの全能者の手により、イスラエルの岩なる牧者の名により、
25節 あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳房と胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。
26節 あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、永久の丘の賜物にまさる。これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する。
27節 ベニヤミンはかき裂くおおかみ、朝にその獲物を食らい、夕にその分捕物を分けるであろう」。


 神がヤコブを通じて12人の息子に宣言した祝福を研究し、熟考すると、その約束が全く平等に与えられたのではないということが明らかです。ユダとヨセフに与えられた祝福が、他の兄弟たちに宣言された祝福よりもはるかに勝っています。このことは、おそらく個人がこの地上に来る前の段階の、霊界における働きや役目などに関係があるのではないかと考えられます。申命記32章8節に、「いと高き者は人の子らを分け、諸国民にその嗣業を与えられたとき、イスラエルの子らの数に照らして、もろもろの民の境を定められた」とあります。ここで注意したいのは、この言葉が「約束の地」、すなわちやがて嗣業の地となる場所へ到着する以前に、イスラエルの子らに対して言われた言葉であるという点です。これに続く聖句を見てみると、9節に「主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。」とあります。

 以上の事から明らかになる事は、後にイスラエルと呼ばれるヤコブの血統と、イスラエルの子と呼ばれるようになったヤコブの子孫たちが、この世に人として生まれた者の中で最も傑出した血統のもとに生まれているという点です。こうした報いは皆、この世が存在する前に約束されていたか、あるいは受けるために予任されていたのではないでしょうか。しかしこのような考えに疑問を持つ人もいることでしょう。しかし、天上の会議ですでに「自由意志」を行使してこの地上をに来る事を選んでいたとすると、この地上に来るにあたり、個々の性質や行いに応じて、人間としての境遇に関係があるはずです。

 申命記33章6〜29節で、モーセは再び各部族に与えられた祝福を列挙しています。この部分を創世記第49章に書かれているヤコブの祝福と比較して研究するのもよいでしょう。


8〜12節
 ユダに与えられた家督権の祝福では、王がユダの血統を通じて生まれると言われています(歴代史上5章1〜2節)。旧約聖書の歴史は、この約束が確かに実現したことをはっきり示しています。ダビデ王、ソロモン王、レハベアム王などは、ユダの血統を通じて生まれた王たちの一部です。王の王ともいえるキリストは、ここでは「シロ」と表現されていますが、やはりユダの血統を通じて降臨しています。このユダに与えられた祝福は、シロなる人物が現れて、その民を自分のもとに集めるということを期待させる点にあります。このシロの予言は、ユダヤ教の中でもキリスト教の中でも大きな論争の的となっています。


22〜26節
 この予言から幾つかの事がわかります。まず第一に、ヨセフは数多くの国民になるということと、第二に、ヨセフの枝が垣根を越えるということです。この第二の意味は少々難解ですが、これは、ヨセフの部族数が増えてカナンのささやかな嗣業の土地よりも、はるかに広い土地に移り住むということです。ヨセフに与えられた独特の祝福は、ヨセフがヤコブの先祖以上に永久の丘の祝福を得ると言う意味があります。これは、パレスチナから離れた地のことを指していると考えられ、アメリカ大陸から、「ヨセフの子孫」が残したと書かれてある金版が出土したことからも、「垣根を越える」というのは、海を越えた南北アメリカ大陸のことを指し示しているという考えに至ります。つまり、「永久の丘」とは、南北アメリカ大陸のことです




第50章24節

24節 ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしはやがて死にます。神はかならずあなたがたを顧みて、この国から連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られるでしょう。


 この部分は真鍮版にも書かれてあり、聖書同様、エジプトに売られたヨセフの偉大な予言が記載されています。しかし、真鍮版の記載の方が情報量としては多く、ヨセフの予言について聖書より詳しく書かれてあります。それをまとめると、イスラエルの子らをエジプトから解放するために、「モーセ」が「ジョセフ(ヨセフ)」なる人物が聖見者として末の日に立てられ、ユダの書物(聖書)のような物をもたらし、偽りの教義を打ち破るであろうと書かれてあります。モーセが立てられることは、聖書では創世記の続編である出エジプト記に書かれてあります。



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