創世記 第30〜32章 研究解読



第30章37〜43節
第31章3〜4節 第31章7節 第31章19節
第32章24〜28節



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1999/ 1/29  第30章37〜43節、第31章3〜4節、第31章7節、第31章19節 UP



第30章37〜43節

37節 ヤコブははこやなぎと、あめんどうと、すずかけの木のなまの枝を取り、皮をはいでそれに白い筋をつくり、枝の白い所を表わし、
38節 皮をはいだ枝を、群れがきて水を飲む鉢、すなわち水ぶねの中に、群れに向かわせて置いた。群れは水を飲みにきた時に、はらんだ。
39節 すなわち群れは枝の前で、はらんで、しまのあるもの、ぶちのもの、まだらのものを産んだ。
40節 ヤコブはその小羊を別においた。彼はまた群れの顔をラバンの群れのしまのあるものと、すべて黒いものとに向かわせた。して自分の群れを別にまとめておいて、ラバンの群れには、入れなかった。
41節 また群れの強いものが発情した時には、ヤコブは水ぶねの中に、その群れの目の前に、かの枝を置いて、枝の間で、はらませた。
42節 けれども群れの弱いものの時には、それを置かなかった。こうして弱いものはラバンのものとなり、強いものはヤコブのものとなったので、
43節 この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだ、ろばを持つようになった。


 ヤコブは群れの動物がはらんだ時、多色の子を産むように木の枝の皮をはいで動物の前に置きましたが、これは広く受け入れられていた迷信を反映していたと考えられています。つまり子をはらむ時は、受胎の時に母親が経験したり見たりするものに影響されるものであるということです。現代の科学をもってしても、ヤコブのした事と、動物の遺伝の表われ方との間に、何らかの関連性を見つけることはできません。おそらく、原典から何かしら紛失した部分があるのかもしれず、あるいは神は、ただ雑種の動物の繁殖力を利用していたとも考えることができます。

 いずれにせよ、神は確かに何らかの形で介在しており、その結果ヤコブの群れは増えて神はヤコブを祝福し、またヤコブが群れを分けたことは、生産的な酪農の原則に従ったまでのことで、多色の羊を所有する可能性も増加したものと思われます




第31章3〜4節

3節 主はヤコブに言われた、「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとに行きなさい。わたしはあなたと共にいるであろう」。
4節 そこでヤコブは人をやって、ラケルとレアとを、野にいる自分の群れのところに招き、


 ヤコブは重要な移動のことを深く考えていましたが、これについて妻たちにも相談をしています。これは注目しなければならないことであって、現代の学者たちは、旧約聖書における女性の立場や地位が低く抑えられていて、夫の財産として扱われていたと主張する人もいます。しかし、この例からも、その他の同様な例からもそのような説は間違っていることがわかります。




第31章7節

7節 しかし、あなたがたの父はわたしを欺いて、十度もわたしの報酬を変えた。けれども神は彼がわたしに害を加えることをお許しにならなかった。


 ヤコブはラバンが十度も報酬を変えたと言っていますが、これは記録からは確定することができません。つまり、十度も報酬を変えたという根拠を全部はつかみきることができないということです。しかしラバンの性から見て、ヤコブが豊かになるにつれて、ラバンの方で絶えず協定の条件を変えていったということは十分にあり得ることです。しかし神は約束したように、ヤコブの資産を豊かに祝福しています。




第31章19節

19節 そのときラバンは羊の毛を切るために出ていたので、ラケルは父の所有のテラピムを盗み出した。


 ラケルの盗んだ神というのがどんな像であったのか、また何の神であったのかという点については、学者の間でも激論が交わされています。ヘブライ語では、偽りの神を表わす小さな像という意味で、特に『テラピム』という言葉が使われます。翻訳者の中にはこの語を『家族の神』と訳す人もいます。ここで少々の疑問が生じます。まずラバンは本当に偶像崇拝者だったかということや、もしそうだとしたら、なぜヤコブはカナン人のような偶像崇拝者の中から、妻を捜しにわざわざハランに戻ったかということです。この像というのは、預言をするための占星術の道具であった考える人もいますが、それでも同じ疑問が残ることになります。

 ある学者は、このような像は嗣業の法的権利と何らかのつながりがあると推論しています。もしこの推論が正しければ、テラピムの所有者が父親の財産を受け継ぐ権利を持ったことになります。このように考えると、なぜラケルが像を盗んだのか、その理由を説明することができます。それは、ラケルの父が、ラケルの嗣業を「盗んだ」からに他なりません。また、像をなくした時のラバンの異常なほどの動揺も、罪を犯した者に対してヤコブが厳しい処罰をしようと言ったことにも納得がいく理由になります。




第32章24〜28節

24節 ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。
25節 ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。
26節 その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないならあなたを去らせません」。
27節 その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。
28節 その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。


 ペニエルの山(30節)でヤコブと組打ちをしたのは、聖書では「人」であったと記録していますが、「天使」であったと考えられています。おそらくは祝福を与えるためにヤコブに送られた使者である可能性があります。しかし、ヤコブが天使と組打ちをして押え込み、天使が逃げられなかったという考え方は少々短絡的かもしれません。それは、聖書の中で使われている「天使」という言葉は時々重要な指示を携えて遣わされた使者のことを指す場合があるからです。30節の「・・・顔と顔をあわせて神を見た・・・」というのは組打ちの相手のことではなく、その使者の神による重要な祝福や指示の影響がヤコブにあったと見ることができます。



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