創世記 第22,23章研究解読



第22章1〜13節 第22章14節 第23章1〜2節



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1999/ 1/ 6  序文追加
1999/ 1/ 5  第22章1〜13節、14節、序文 UP


 創世記からアブラハムについて読んだ時に、彼が息子をどんなに待ち望んだ末に与えられたかをよく知ることができます。
 アブラハムにとってイサクは何にも増して貴重な存在であったに違いありません。しかし神は彼らが喜びの只中にあるあるときに、このひとり息子を犠牲に捧げよという信じられない程過酷な試練をアブラハムに告げました。アブラハムはこれに応じました。犠牲を捧げる場所へ向けて3日の旅に出るイサクが母親であるサラに別れを告げるのを見た時、アブラハムは深い落胆と悲しみの気持ちで胸が痛かったはずです。

 ふたりは指示された場所に向かって3日の間歩きつづけ、イサクは生け贄を燃やすたきぎを背負っていました。そくて山の麓まで来てアブラハムとイサクは休息をとり、従ってきた僕たちをそこへ残して山へ登りました。そのときイサクは「お父さん、生け贄を燃やすたきぎはありますが、生け贄はどこですか」と言いました。この言葉はアブラハムにとって心を鋭くえぐったに違いありません。信じきっていた息子はなおも、「生け贄を忘れてきたのではありませんか」と問いかけます。もう哀れとしかいいようのない父親アブラハムは、この約束の子を見つめ、「主が備えてくださる」と言うのが精一杯です。

 彼らは山に登り、石を集めてその上にたきぎを載せ、そしてイサクは手足を縛られ、祭壇の上にひざまづきました。ここでアブラハムは別れの接吻をして、祝福と愛を息子に告げたものと言われています。その後、今まさに父親の手にかかって死んで行かねばならない息子に対して、彼の身も霊も引き裂かれる思いであったに違いありません。準備が整い、やがて刃物がさやから抜かれ、アブラハムがその刃物を振りかざしてまさに息子を打とうとした時、神の使いが現れ、「わらべに手をかけてはならない。またなにも彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子でさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」と言い、アブラハムはこの試練を乗り越え、その結果偉大な約束を自分のものとしています。

 なぜ神はアブラハムにこのような試練を与えたのか疑問に思う人がたくさんいることでしょう。それは、神がアブラハムの将来がどんなものか実は知っていたのであって、また彼が数知れないほどの人々の父祖となることも知っていたので、そこで神は彼を試すことになりました。神は自分のためにこれらをしたのではなく、アブラハムがどうするかを前もって知っていたと考えると話しが見えやすくなります。

 この試しの目的は、アブラハムの心に神の教えを深く刻みこむためであり、


この方法でしか得ることのできない知識を、アブラハムに得させるためです。これこそ、神が人に試しを与える理由であり、神は予め人の生涯を知っているということになります。


 そこで神は、人が自分でそれらを知るようにいろいろな試しを送るのではないかと考えることができ、自分で知ることこそ最も重要なことだと思います。しかし、知っておかなければならないことは、神は神の律法に従おうとする人には、堪えられないような試練には遭わせないということです。ここで、神に対する信頼度がわかってくるのではないでしょうか。




第22章1〜13節

1節 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。


 ここで「試みる」と訳されている語は、ヘブライ語のnissahという語で、「試す、試験する、試練に遭わせる」といった意味です。アブラハムが受けた試みは、彼にとって極めて貴重なものを捨てるように求められたことであり、子供を殺すということはそれだけでる恐ろしいことですが、何十年も待った末にようやく神の使いから、契約はこの子を通して成就すると約束された子供を生け贄にせよとの、理解を越えた試しでした。以前アブラハムは、偶像崇拝教の祭壇の上であやうく命を落しそうになっており、神の直接の介入によって救われた経験があります。これによりアブラハムは神の律法が人を生け贄として捧げたり、殺したりすることを禁じていることを理解していたと考えられます。

 このような超人的試練が課せられた時、アブラハムはひときわ優れた信仰を示しています。しかしアブラハムは、国々の父となる運命を背負った若き「約束の子」を生け贄の祭壇に差し出さなければなりません。神の命令ではありますが、矛盾がありすぎるようにも思えてしまいます。息子のイサクは数え切れないほどの人々の父となると言われているのに、こんなに若くしてこの世の生涯に終わりを告げたら、一体どのように約束が成就するのでしょうか。なぜ、こんな忌まわしいことをするために自分が召されなければならないのか、考えたはずです。通常は理不尽であり得ないことです。でもアブラハムの不屈の信仰は、胸が張り裂けんばかりの彼をモリアの地に向かわせましたが、イサクは父親の心中にはほとんど気づかなかったと言われています。それでも彼は、将来の人類の約束を考え、愛するイサクを喜んで神に捧げようとしました。

 旧約聖書を読む人はたいていの場合、アブラハムの試練と天の御父の犠牲との間に類似点があることに気づくはずです。しかし、天の御父が将来独り子が犠牲になることについてアブラハムに教えようとして使われたこのひな型の詳細な天について、見逃している人も多いのも事実です。真鍮版には、アブラハムがイサクを喜んで捧げようとしたのは、神と独り子であるイエス・キリストとのアブラハムとイサクに対する相似であると書かれてあります。

 アブラハムは明らかに御父のひな型であると言えます。面白い事に、アブラムという名前は「昇栄した父」という意味で、アブラハムという名前はや「多くの国民の父」という意味です(創世記第17章5節)。これらは両方とも天の父にふさわしい名前といえます。イサクは神の御子を象徴していて、「彼は喜ぶ」という意味があり、キリスト同様イサクも奇跡的に生まれた人物でした。イサクの誕生はキリストほど奇跡的ではありませんが、90歳という高齢で生まれたということは、通常では奇跡的と言ってもよいでしょう。パウロはこの出来事について話す時は、イサクを指して「そのひとり子(ヘブル人11章17節)」と呼んでいます。

 神はアブラハムに、神自身が将来とるであろう行為のひな型となる行うように求めただけではなく、特別に御父の命じた場所で行うように指図しています。この場所はモリアといって、「わたしが示す山」(創世記22章2節)であり、現在は「岩のドーム」という美しい回教寺院が建っています。同じ山の回教寺院から数100m北の小高い地点も世界的に有名な場所で、ゴードンのカルバリーと呼ばれていて、そのヘブライ語の名称は「ゴルゴタ」です。この出来事は、アブラハムがただひな型となる行為を行っただけでなく、後の時代にキリストが犠牲になるその同じ場所で行われたといことです。

 ふたりがモリアに着くと、創世記の記載は、「アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせた」(創世記22章6節)となっていて、これはアブラハムがイサクの背中に置いたと考えることができます。それはこの背負うということが、はりつけの場所に向かう十字架を背負ったキリストとの類似性がよく見てとれるからです。


しかもイサクは自らの意志でアブラハムに従っていました


この類似性こそが、この出来事の重要な意味となります。

 旧約聖書には、この出来事があった時、イサクが正確には何歳であったかを決定するだけの情報はありませんが、すでに成人であったことは十分考えられます。モリア山での出来事に続き、サラが127歳で死んだことが記録されています。そうするとイサクは母親が死んだ時は37歳だったことになり、また、モリアへ出かけたのがサラの死ぬ何年か前だったとしても、イサクは30代であったことになります。これはキリストが十字架に架けられたのと同じような年代といえます。しかしながら、正確な年齢はさほど問題ではなく重要なのは、この時アブラハムはすでに100歳を越えていて、一方イサクはおそらく屈強な青年で、しようと思えば抵抗することはできたと思われます。しかし、イサクは喜んで父親の意志に従っています。それはちょうど、キリストが喜んで御父に従ったのと同じ光景ではないかと考えるひとが多くいます。




第22章14節

14節 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。


 この箇所は「この山で主がみられるだろう」と翻訳するべきであると言われています。このことから考えて、アブラハムの捧げた生け贄は「代理」のものと考えられており、言い伝えでは、この山上で生け贄という形をとって、神が見られるだろうとなっていました。以上の事から言えることは、アブラハムがイサクを捧げたこの山で、後のキリスト(神)が十字架に架けられて、「見える」ということです。イエス・キリストは、アントニア塔の城壁の中で死刑の宣告を受けており、それはアブラハムが生け贄を捧げたと伝えられている場所からは、ほんの数100mしか離れていません。キリストはゴルゴタで死刑にされましたが、ここの同じモリア山系であるということです。

 学者たちは、キリストが生け贄となった場所の意義を重視しているだけでなく、この場所がモーセの時代には生け贄を捧げ、またソロモン神殿があった場所と関係があることを指摘しています。生け贄の場所がモリア山であったことはすでに明確となっていて、律法の秩序に従ってあらゆる形の代表的な生け贄であるキリストが、後の時代に捧げられることになったわけです。この「時の絶頂」の時代まで象徴的だった生け贄が、キリストにより真実のものとなりました。




第23章1〜2節

1節 サラの一生は百二十七年であった。これがサラの生きながらえた年である。
2節 サラはカナンの地のキリアテ・アルバすなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは中に入ってサラのために悲しみ泣いた。


 アブラハムが忠実なる者の父であり、信仰と義の優れた模範であるということがよく言われます。しかし、サラもアブラハムの生涯を通じて夫のかたわらに立って、脚光こそ多くは浴びませんでしたが、常に女性らしさと信仰と義の模範であったと思われます。義なる人はアブラハムの子孫になると言われますが、新約聖書のペテロは義人の女性はサラの娘たちと呼ばれると言っています(1ペテロ3章1〜6節)。



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