創世記 第18,19章研究解読



第18章1〜3節 第18章9〜15節
第19章4〜8節 第19章13節 第19章24〜28節 第19章36〜38節



神の使い



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2005/ 6/14  第19章24〜28節 追加
2005/ 3/ 3  第18章9〜15節 UP、第18章1〜3節 追加、神の使い UP
2000/ 2/17  第19章4〜8節追加
1999/ 1/30  第19章4〜8節、24〜28節 UP
1999/ 1/ 5  第18章1〜3節、第19章13節、19章36〜38節 UP



第18章1〜3節

1節 主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、
2節 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、
3節 言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。


 この「天の父」が他の天界の者と共に地上を訪れて、塵にまみれ疲れて、アブラハムと共に食事をしたと見るのは正しくないでしょう。創世記18章ではそのようなことを教えてはおらず、ただ「主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた」と書かれているだけで、これはその通りの意味です。


この1節の後半部分は神がアブラハムに姿を現したこととは無関係であって、全く新しい節、または文として読むべきです


 すなわち、この3人は地上の人で、肉体を持っていて食べたり水浴びをしたり、疲れを休めるために休憩もとっています。よってこの3人はどの人も神ではないことになります。

 「マムレのテレビンの木」のマムレとは、14章13節によるとアモリ人のエシコルとアネルという人物の兄弟のひとりであることが記されています。この時代なのか習わしなのかは明らかではありませんが、木を個人の所有としていたと思われる箇所が、ここの他にも創世記12章6節で「モレのテレビンの木」と記されています。恐らくこの「モレ」も個人名ではないかと推測されます。



第18章9〜15節

9節 彼らはアブラハムに言った、「あなたの妻サラはどこにおられますか」。彼は言った、「天幕の中です」。
10節 そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生まれているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入り口で聞いていた。
11節 さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。
12節 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。
13節 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。
14節 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生まれているでしょう」。
15節 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。


 口語訳聖書では「主」という語は色々な意味を持つ語として使用されており、場所によって読みにくい原因となっています。「主」という語は使用人の立場であればその雇い主を指し、神の僕は天使と語るときも天使に向かって「主」と言い、また神に向かっても「主」と呼ばわります。この9〜15節では2節に登場した3人の神の使いのうちの1人が、後に産まれるアブラハムとサラの子供について預言している部分です。13節の「主」はアブラハムが神の使いに対して使っている語であり、14節の「主」は神の使いが「神」を指して使っている「主」です。この神の使いは、実際に神からアブラハムとサラの子供についての「未来の情報」を預かってきています。しかし彼らの子イサクが生まれた時に(21章)、この神の使いが再び現れたという記述はありません。




第19章4〜8節

4節 ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、
5節 ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
6節 ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うくろの戸を閉じて、
7節 言った、「兄弟たちよ、どうか悪いことはしないでください。
8節 わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください。


 多くの学者が、古代中東に客をもてなして保護する厳格な慣習が広く行われていたことを理由に、ロトが2人の男の人をかばって代わりに娘を差し出そうとした、ぞっとする申し出を正当であると解釈しています。しかしある注解者は、ロトがソドムの人たちの不義な退廃した欲望を満足させることを拒んだ時に、ソドムの人々が怒り、男の人たちだけでなく娘たちも連れて行くと言ったと記録しています。ということは、ソドムの人々は男の人たちに対して退廃した欲望の対象としたのでしょう。いかに道徳的に堕落していたのかがよくわかります。




第19章13節

13節 われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」。


 ソドムとゴモラの悪はどのようなものであったかは、創世記の記述を読む限り、このふたつの都市の住民が極端に不道徳になって、同性愛をはじめ、あらゆる悪弊に耽っていたことがわかります。預言者であるエゼキエルは次のように言っています。

 「見よ、あなたの妹ソドムの罪はこれである。すなわち彼女と、その娘たちは高ぶり、食物に飽き、安泰に暮らしていたが、彼らは、乏しい者と貧しい者を助けなかった。彼らは高ぶり、わたしの前に憎むべき事をおこなったので、わたしはそれを見た時、彼らを除いた。(エゼキエル書16章44〜52節)」

 ヤコブは、汚れのない信仰とは、「困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まらずに、身を清く保つことにほかならない(ヤコブの手紙1章27節)」と述べています。


ソドムとゴモラは、性的放縦という不道徳に耽っただけでなく、困っている隣り人をも顧みなかったため滅ぼされました




第19章24〜28節

24節 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
25節 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
26節 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
27節 アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、
28節 ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。


 聖書のこの部分は、聖書学者に限らず世界的に議論の的となっています。
 色々な説があり、隕石説、核爆発説、その他の諸説がありますが、どれも決定的な証拠をあげているわけではありません。しかし、低地がさらに低地となり湖となってしまうほどの、大災害が起きたことには違いないと考えています。

 ロトの妻が塩の柱になったという記述に、これまで数多くの注釈者が、これは文字通りなのか象徴なのかで悩んできました。しかしよく聖書を研究すると「うしろを顧みた」という言葉が、「引き返した」あるいは「ソドムに戻った」という意味の一つの表現法であったことを示す形跡が有ります。新約聖書の中に、キリストが弟子たちに向かって、やがてエルサレムが滅びると警告していますが、それはその時に遅れずに逃げ、自分の持ち物を取りに家に入るなという警告でした。それは「畑にいる者も同じように、あとへもどるな。ロトの妻のこと思い出しなさい。」(ルカ17章31〜32節)というものです。この意味は、この世の富や財宝、財産を求めれば永遠の生命を失い、この世の物を犠牲にすれば、永遠の生命を得るということです。

 これらから、ロトの妻はソドムに向かって戻ったと解釈できることを暗示していると思われます。おそらくは、何か財産を取りに戻ったものでしょうが、結局は滅びに遭ってしまいました。しかし、これらのことは世紀末である現代にも強烈な印象を与えています。年々人々のモラルは低下しており、ほとんどの国々で治安が「良くなっている」というのを聞くことがありません。まさに今は、「地上がソドムとゴモラ」に近くなってきていると言っても、なんら反論の余地はないでしょう。

 ほとんどの学者の間で、ソドムの位置について、現在の死海の南部の湖底に沈んでいるという点でほぼ一致しています。死海はかなり塩分濃度が高い湖でもしロトの妻がソドムに戻ったのなら、滅びに遭ったことでしょう。ロトの妻が塩の柱になったというのは、この結果を表わしたものと考えられます。しかし、ロトの妻に何が起こったにせよ、彼女が警告を無視してソドムに戻り、滅んでしまったことには違いありません。

 旧約聖書ではソドムとゴモラの2つの町が滅んだとされていますが、旧約外典ソロモンの知恵第10章6節には、


知恵はまたソドムの不敬な者たちの滅びた時
五つの町に下った火から逃れた義人、ロトを救った。


とあって、ソドムとゴモラ以外に3つの町に火が下ったことが記されています。このことから考えられるものとして、現在の人々が目にすることのない失われた記録が存在していたことや、ソロモンが直接見た示現によって過去の出来事を知ることができた、などが挙げられるでしょう。




第19章36〜38節

36節 こうしてロトのふたりの娘たちは父によってはらんだ。
37節 姉娘は子を産み、その名をモアブと名づけた。これは今のモアブびとの先祖である。
38節 妹もまた子を産んで、その名をベニアンミと名づけた。これは今のアンモンびとの先祖である。


 ロトとそのふたりの娘たちとの近親相姦の記述には驚かされますが、これもまた、旧約聖書が人々の善も悪も記録しているということを例証するひとつの記述です。ふたりの娘のした邪悪な行いを正当化する余地はありませんが、しかしこの場面は、ふたりの娘たちがソドムとゴモラを襲った大破壊のために全世界も滅んでしまい、ふたりが子供をもうける唯一のよりどころとしては、ロトしかいないと思い込んだと考えた時、よく理解できると思われます。おそらくモーセがこの部分を記録したのは、この出来事がモアブ人とアンモン人の始まりについて述べたものであって、このふたつの民族がイスラエルの民の歴史の中で重要な役割を果たすからであったと考えたからかもしれません。



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神の使い


 創世記第18〜19章には3人または2人の「神の使い」が登場し、アブラハムに預言をしロトソドムとゴモラの滅亡から救い出しました。彼らの行動や言動は一般人とはかけ離れており、まさに「神の使い」であることを実際に証明しています。アブラハムに現れたのは3人で、ロトの住むソドムに入ったのは2人の神の使いです。ひとりは残り、アブラハムと問答を交わした後に去っていきました。ここではもう少し詳しく、彼ら「神の使い」について考えてみましょう。

 まず幾つかの注目するべき点があります。アブラハムやロトは彼らを見た時に疑うこともなく、彼らをの使いであると認識しています。あらかじめ夢や示現などで彼らを見ていたのでしょうか。それとも以前に出会ったことのある、面識のある人々なのでしょうか。残念ながら聖書には彼らについて18〜19章についての記述しか載せられていません。それでは推測の範囲を広げて考えてみましょう。アブラハムやロトは一目といっていいほどの視覚確認で彼らを神の使いであると判断しました。またソドムに来た彼らを、ソドムの住民は「よそ者」以上の注目でもってロトの家に押しかけています。神の僕であるアブラハムやロトが霊感を持って彼らを使いであると判断できるのは考えられることですが、悪事の限りを尽くしているソドム住民に神の霊感である御霊はありません。

 つまり御霊を持たない人々までも、彼らを見て「只者ではない」と感じさせる何かを持っていると推測できます。御霊のない人が一目で判断できる基準としては、


その地方に住む人種ではなかった。
着る物や持ち物が見たことのないものであった。


などが挙げられます。またアブラハムやロトは「神の霊感」で判断しましたが、邪悪な住民は「サタンの霊感」ともいうべきもので自分たちに降りかかる災難を感じていたのでしょうか。ロトの家に押しかけてきた勢いには殺意すら感じ取ることができます。

 次の注目点は、彼らは一般の人々にはない能力を持っていると感じられる点です。サラの心を見透かしたり、ロトに迫った群衆の目を眩ますなど、心眼的要素、科学的要素が彼らから感じ取ることができます。科学的要素は、彼らの最大の目的であるソドムとゴモラの消滅にも関係があるとも推測できます。

 3人の神の使いは「すべてを神から伝えられた使い」ではないようです。神から託されていたのは、アブラハムに子供が生まれることを告げて尚且つアブラハムの疑問に答えること、ソドムとゴモラの現状を確認した後、あまりに正しい者が少なければ、その少ないものを町と共に滅びないように脱出させて町を消滅させる判断を下すことでしょう。その彼らもまたアブラハムと同様に神から「試練」を与えられ、その悩み、苦悩が18章17〜21節に描かれています。これはソドムとゴモラに向かう使いの「会話」であって、筆記者モーセは恐らく示現によってこれらの場面を見たのかもしれません。すべてを知っていない証拠としては、使いたちがロトに「身内の者がここにおりますか(19章12節)」と聞く場面からも分かります。

 この神の使いたちに対する最大の感心は、ソドムとゴモラをどのようにして消滅させたのか、ということではないでしょうか。18〜19章をよく見るとわかりますが、「主」と「神」の語の使い分けがされています。部分的にわかりにくくなっていますが、18章では神の使いが指している「主」は天の神であって(13節、19節、19章16節)、19章半ばにかけての「主」とはこの3人の神の使いを指しています。「神」という語はソドムとゴモラが滅ぼされた後に使用されています。これらのことから町の滅亡に関して、何らかの方法をもって「火と硫黄の固まり」を操ることのできるこの使いたちにほとんど委ねられていた、と考えてもよいのではないでしょうか。

 御使いたちの行動の推測は次のようなものです。

 一人残ってアブラハムと語っていた御使いは、ソドムとゴモラに様子を見に行った2人の御使いの決定を待つために、天界に戻ります。アブラハムにはもし10人の正しい者がいればソドムとゴモラは滅ぼさないと約束しました。注目すべきは決定権は神にあるのではなく、御使いたちにあるということです。自分達の使命に考えをはせながら2人の御使いは夕暮れにソドムに到着しました。アブラハムの住んでいたヘブロンからは直線距離で約45km、ヘブロンからはほとんど下りなので翌日か、翌々日と考えられ、その前にゴモラにも立ち寄ったのかもしれません。そこでロトに逢い家に泊まっていくように勧められますが、長い時間ロトといると彼に危害が及ぶかもしれないと思った御使いは広場で夜を過ごそうとするも、ロトの強い勧めで彼の家に泊まることにします。

 その時の時間はロトにとって生涯忘れることのできないものになったはずです。叔父アブラハムの近況はもとより、ロトが知りたかった天界のことや、様々な神学的疑問を御使いたちは教えてくれたことでしょう。それはロトにとってまさに至福ともいえる日であったに違いありません。しかしそんな楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまいます。食事が終わってしばらくすると、見慣れない人がロトの家にいるのを見たり聞いたりした人々が集まってきました。彼らはロトが神を信じる人間であるのを知っていたので、見慣れない人は神の使いではないかと思い、自分達の悪行の故にこの人たちが何か天罰を下すのではないかと考えました。

 そこで彼らは天罰が下る前に御使いを慰み者にして始末すればよいと考え、ロトに彼らを引き渡すように強く迫ります。しかしロトは神から遣わされた御使いたちを守るため、退廃的で粗暴な人々の前に自分の身を呈して説得に当たりました。しかし、どうしても引き下がらないロトに対して業を煮やした住民はまずロトを殺そうとするも、御使いに救われ、その御使いは何かわからない方法で家の前にいる人々の目を眩ませることに成功しました。そう長くは閉じこもっていられないのを感じた御使いは、ロトに身内の者がいないかを尋ねて、いれば彼らを連れて町から脱出するように指示をします。その理由とは彼ら御使いの使命が、善人のいないソドムとゴモラを滅ぼすことである、というものでした。

 たいへんなことを告げられたロトは、急いで娘の婿となる者たちにソドムが滅ぼされることを告げます。しかし彼らはロトを嘲って信用しませんでした。そうこうする内に夜が明けてしまい、御使いはロトに妻と2人の娘を連れて町から逃げるように言います。明るくなれば再び住民が押しかけてくるばかりか、ソドムから逃げなければロトたちも悪人の滅亡の巻き添えになるという恐ろしいものでした。滅ぼされるのは悪人だけと思っていたのか、にわかには信じられずに躊躇するロトを見て脱出能力がないと判断した天の神は、彼らを哀れに思って2人の御使いに命じて予定になかった脱出を手伝うことにしました。御使いたちは町の外まで彼らを逃がし、山に逃れよとロトに指示しますが、か弱い女3人を連れての山への脱出は無理と見たロトは、近くの小さな町ならば安全ではないかと思い、御使いにそこへ逃れさせてほしいと進言します。

 御使いたちもそれは思ったのかロトの提案を受け入れ、これも予定を変更し、「滅ぶ予定だった」その小さな町を破壊から免れるように、天界で連絡を待つ御使いに破壊の度合いの調整を伝えます。その結果その町の安全を確保できると連絡を受けた地上の御使いはロトに向かって、「急いでそこへのがれなさい。あなたがそこに着くまでは、わたしは何事もすることができない」と告げ、天界の御使いには、ロトたちがその町に入るまで火と硫黄を降らせないようにも伝えました。太陽が地平線に上がろうとしていた時、ロトたちは後にゾアルと呼ばれた小さな町にもう少しで到着するところまで来ました。ちょうどその時、ソドムの住民は夜の間に襲撃の準備を整え、明るくなったのを見計らって武器をとってそれぞれの家を出てロトの家に向かい始めます。人々は次第に人数が増え、群衆となるほどの規模になりました。

 天界で連絡を待っていた御使いは、彗星にも匹敵する「火と硫黄の固まり」の軌道計算を、ロトの逃げ込むゾアルの町に極力影響がないようはじき出すことに集中していました。早くしなければロトと御使いたちが逃げたことを知って、暴徒化した住民が探し出してしまう可能性もあります。ソドムからゾアルまでは10数キロしかなく、馬を使えばわずか10数分で暴徒はロトたちに追いついてしまいます。また、ロトたちの逃げる速度も計算にいれなければなりません。彼ははじき出された軌道計算が正しいことを祈るばかりです。ロトたちがゾアルに到着するのと日が昇るのは同時でした。やがて何らかの方法でロトたちがゾアルに逃げ込んだのを確認した2人の御使いは、天界で待つ火と硫黄の固まりを制御している御使いに連絡をします。必死で計画が成功するよう祈っている天界の彼のもとにソドムにいる御使いの、決行せよとの指示がきました。暴徒化した群衆がロトの家に着いた時に見たものはロトの妻ただ一人と、太陽の方向からではない降り注ぐ光です。

 一瞬の出来事でした。半径10kmにも及ぶ範囲を焼き尽くす灼熱の火と硫黄の固まりは、秒速数10kmという猛スピードでソドムとゴモラの上に激突し、もともと低地であった場所をさらに低くして現在の死海を形作りました。激突の衝撃は大きな地震と空震を引き起こし、朝早くから起きていたアブラハムがその衝撃に驚いて天幕から出てみると、ロトの住んでいるソドムの方向から煙が「かまどの煙のように立ちのぼって」いるのを目撃します。

 こうして邪悪な町ソドムとゴモラ、またその周辺の同じく邪悪な町々は3人の御使いによって滅ぼされました。また御使いの言うことを最初から疑い、途中でソドムに引き返したロトの妻はソドムと共に滅び、低地に溜まった濃い塩水の中に「塩の柱」となって現在に至っています。アブラハムはソドムが滅ぼされるに当たって御使いに尋ねていました。「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申し上げます。もしそこに十人いたら」。御使いはこう答えています。「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。しかし実際に助かった正しい者はわずか3人でした。もしロトの身内の者が10人以上であったなら、神はこの計画を遂行しないで別の方法をとったことでしょう。

 さて、ロトたちを逃がした2人の御使いはどうなったのでしょう。上の文ではひとり天界にいた御使いも本当にそこにいたのかはわかりません。またソドムに残った2人の御使いも最後までソドムにいたかどうかも確認することはできません。もしかしたら2人の御使いともう1人の御使いとは、どこかで合流したのかもしれないし、またロトたちをゾアルまで連れて行かなかったのは、合流場所がソドムだったのかもしれません。彼らはいかに神の使いであろうとも、「不死ではない」ことは明らかです。まだキリストによる復活も始まっておらず、おそらく彼らの体は「この世の人と同じ」ようであったのかもしれません。事実、彼らは飲み食いをし、体を休めています。霊体が飲み食いをしない以上彼らは人間、または人間に近い存在です。

 もし人間のような体であればソドムにいれば死んでしまいます。憶測はいくらでもできますが、ただ言えることは彼らは非常に高貴な存在であり、また高い知性を持っているということです。肉体があってもなくても、ソドムが滅びてから数千年たった今では実際に天界にいて、本当の意味での御使い、つまり「天使」になっていることでしょう。



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