創世記 第12〜14章研究解読



第12章1節 第12章4節 第12章6節 第12章11〜13節
第13章1〜13節
第14章1〜7節 第14章18節



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2001/ 8/11  第14章18節 UP
1999/ 1/ 4  第12章11〜13節 UP
1999/ 1/ 4  第13章1〜13節、第14章1〜7節 UP




第12章1節

1節 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。


 ここには神がアブラムに向かって、父の家を離れるようにと命じられていますが、聖書にはなぜ離れなければならないのかが記されていません。アブラハムの書2章5節には父テラのようすが次のように記されています。


「そして飢饉が和らいだ。すると、父はハランにとどまり、そこに住んだ。ハランには多くの羊の群れがあったからである。父は再び偶像礼拝に戻り、そのためにハランにとどまった。」


 このように、テラが偶像礼拝に耽っていたのが、父や親族を離れさせられた原因であることがわかります。





第12章4節

4節 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。


 この節と11章32節に記されている父テラの寿命205年から、アブラム(アブラハム)が生まれたのは11章26節の70歳の時ではなく、ハランで父テラが死んだ205歳からハランを出ようとした75歳のアブラムの年齢を引くと、アブラムが生まれたのはテラが130歳のときであることになります。しかし、神の命令によってハランを離れたのが、テラが死んだすぐ後なのかは確認することができません。アブラムが生まれたのはテラが130歳であるとすると、紀元前1992年頃にアブラムが生まれたことになります。アブラハムの書では、「七十五歳」の部分が「六十二歳」となっていますが、何故記述が違っているのかはよく分かっていません。(アブラハム第2章14節




第12章6節

6節 アブラムはその地を通ってシケムの所、モレテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。


 「シケム」とは北のエバル山と南のゲリジム山の間にある地で、現在はイスラエル国パレスチナ自治区内のナブルスと呼ばれている所です。「モレ」とはこの地のある平地の名です(アブラハム第2章18節)。「テレビンの木」とは樹木の種類を示しており、赤松や黒松といった松科の植物のことです。この木からは虫除けや医薬品の材料となる油がとれるので、古代の人は重宝していたと考えられます。





第12章11〜13節

11節 エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。
12節 それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。
13節 どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。


 義人アブラハムが、自分の命を守るために意図的に嘘をついたものと思われることが、旧約聖書を研究する者を悩ましてきました。
サライ(サラ)の美しさのためにアブラハムの命が危険にさらされています。ちょっと異様に見えますが、エジプトパロたちは他人の妻と姦淫するのを極端に嫌っていた反面、配偶者である夫を殺害してその妻に再婚させることにはとがめを感じていませんでした。人妻を奪うためにその夫を殺すことは、当時の王室では普通に行われていたらしく、あるパピルスによると、ひとりのパロが王子のひとりに促されて軍隊を派遣して美しい女性を奪い、その夫を殺したと書かれています。また別の王の墓石には、僧侶の約束として、王はその死後もパレスチナの家長たちを殺し、その妻を自分の婦人部屋に取り込むであろうとも刻まれています。

 アブラハムがサラを自分の妹と言ったことには根拠があるとする学者もいます。ヘブライ語で「兄弟」あるいは「姉妹」を意味する語は、しばしばもっと遠い血族を指す時に使われたということです。実際に、アブラハムとサラの父ハランは兄弟であったため、サラはアブラハムのめいにあたり、「妹」と呼ばれても不都合はないことになります。

 もうひとつの古代の習慣では、結婚に際して女性に社会的にもっと高い地位を保証するために、夫の妹として縁組みすることも許されていたと考えられていることです。さらに、ハランが死んだ時にテラがハランの子供たちを自分の養子にして、その結果サラがアブラハムの妹になったということもあり得ないことではありません。

 結果、アブラハムが嘘をついたのではなかったとしても、サラを妹と呼んでエジプト人を欺いたことは事実です。この行為の正当化する理由はひとつで、神がそうするようにせよとの簡単な答えです(アブラハムの書2章22〜25節)。ある状況の時には間違っていることも、違った状況の下では正しいのかもしれません。このようなことがしばしば見られます。神はある時には「あなたは殺してはならない」と言っていますが、また別の時には「あなたはみな滅ぼさなければならない」とも言っています。

 どうやらここに天の統治が行われる原則があるのでしょう。つまり、義人の置かれている状況に応じて与えられる啓示があるということです。神が人に求めることはその場では人に理解できなくても、それは正しいということになります。神が完全であると考えるならば、一見違うように見えることでも必ずその人にとって良い結果を示してくれると考えても、間違ってはいないでしょう。




第13章1〜13節

1節 アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出て、ネゲブに上った。ロトも彼と共に上った。
2節 アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。
6節 その地は彼らをささえて共に住ませることができなかった。彼らの財産が多かったため、共に住めなかったのである。
8節 アブラムはロトに言った、「わたしたちは身内の者です。わたしとあなたの間にも、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間にも争いがないようにしましょう。
9節 全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」。
12節 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。
13節 ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはたしい罪びとであった。


 聖典では富を所有することが危険であることをたびたび警告しているために、富自体が悪であって、富んでいる人は皆自動的に邪悪な人間であると考える人がいます。しかし、パウロは、「金銭を愛することは、すべて悪の根である」(テモテ6章10節)と教えたのであって、金銭それ自体が悪の根と言っているわけではありません。当然ながら、この世の物に心を奪われるという誘惑は、多くの人にとって抵抗しがたいものです。

 アブラム(アブラハム)は多くの富を持ちながらも、大きく深い信仰と義の人でいることができるという模範を示しています。アブラムとロトとの間の出来事は、アブラムのキリストらしい性格を上手に描き出していて、道理からいえば、ロトは最初に選ぶ権利をアブラムに譲るはずであったと思われます。ロトは、アブラムの保護を受けていたし、アブラムが部族の長だったからです。しかもアブラムは自分の権利を行使して、ロトに残り物を与えることができたはずですが、アブラムの考えた事は、ふたりの間に「争いがないように」ということだけでした。それなのに彼はロトに最初に選ぶ権利を与えています。

 ロトは、水の豊かなヨルダンのとても良い土地を選んだようですが、それでもアブラムが怒った様子もありません。それどころか、次の数章にわたってロトの命を救うために仲裁にまで入ったことが記されています。これこそ、同義を第一としてこの世の物を二の次にする人物の典型と言えるでしょう。神がアブラムと契約を更新して、彼を忠実なる者の父としたのも納得のいくことです。




第14章1〜7節

1節 シナルの王アムラペル、エラサルの王アリオク、エラムの王ケダラオメルおよびゴイムの王テダルの世に、
2節 これらの王はソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シナブ、ゼボイムの王セメベル、およびベラすなわちゾアルの王と戦った。
3節 これら五人の王はみな同盟してシデムの谷、すなわち塩の海に向かって行った。
4節 すなわち彼らは十二年間の間ケダラオメルに仕えたが、十三年目にそむいたので、
5節 十四年目にケダラオメルは彼と連合した王たちと共にきて、アシタロテ・カルナイムでレバイムびとを、ハムでズジびとを、シャベ・リキアタイムでエミびとを撃ち、
6節 セイルの山地で、ホリびとを撃って、荒野のほとりにあるエル・バランに及んだ。
7節 彼らは引き返してエン・ミシパテすなわちカデシへ行って、アマレクぴとの国をことごとく撃ち、またハザゾン・タマルに住むアモリびとをも撃った。


 ここには、5人の王が同盟して征服した地が挙げられていますが、忘れてはならないことは、古代の最も通常の政治体制は、小さな都市国家であり、そこではひとりの王が中心都市とその周辺を治めていたということです。この境界は時に拡張されることもありまたが、当時の王は、大きな国家や王国を支配することはなかったように見られます。ソドムに王がいて、ゴモラにも王がいてといった具合に、各国に王がいました。




第14章18節

18節 その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。


 メルキゼデクという人物には、「神の御子の位に従う聖なる神の権能」を指すのに、至高者の名を頻繁に繰り返すのを避けるために、その代わりとして彼の名前を使用するという名誉が与えられています。昔の大祭司たちの中でも、メルキゼデクより偉大な人はいないと定義する説もあり、神の地上の王国の権能の序列において、メルキゼデクの占める位置は、アブラハムとほぼ同様でした(ヘブル7章4〜10節)。メルキゼデクは、アブラハムと同時代に生活した人であり、大祭司である彼から祝福を与えられて(創世記14章18〜20節)、権能をアブラハムに授けていたと考えられます。


実に、メルキゼデクという人物が、神の目から見ても、民の目から見ても、極めて優れて気高い人物であったため、彼は神の御子自身の原型とまで考えられています。


 真鍮版の中にも彼は登場しており、次のように書かれてあります。「メルキゼデクは、サレムの地を治める王であった。彼の民はかつて罪悪と忌まわしい行いを募らせていた。彼らは皆迷って、あらゆる罪悪にふけっていたのである。しかし、メルキゼデクは力強い信仰を働かせ、神の聖なる位に従う大神権の職を受けたので、民に悔い改めを説いた。すると見よ、彼らは悔い改めた。そして、メルキゼデクは生涯その地に平和を確立した。そのために、彼はサレムの王であったので、平和の君と呼ばれた。彼はその父の元で国を治めた(アルマ13章17〜18節)。」

 パウロは、たまたまメルキゼデクについてその手紙の中に多少書きましたが、明らかにこれ以上のことを知っていたと思われます。そのパウロは「義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し(ヘブル11章33〜34節)」た信仰深い人について名前を出さずに記していますが、この手紙では大祭司のことをメルキゼデクと定義している個所が多いので、そのように考えることもあながち間違いではないでしょう。

 古代のユダヤの伝承では、メルキゼデクはしばしばノアの息子であるセムであると考えられています。この名前は固有名詞として使われていると同時に、「義の王」を意味する称号でもあります。現代のある研究者は、


セムとメルキゼデクが同一人物であるかどうか、その可能性について調べ上げて、結局確実とは言えないまでも、同一人物である可能性は著しく高いと結論しました


 まず、セムについて分かっていることを調べてみると、聖書ではセムをノアの長子としていますが(創世記5章32節)、近代に出た書物ではヤペテを長子としています(モーセ8章12節)。しかし、両方の記録とも一致してセムをイスラエルの先祖として、神の権能がノアの後、セムを通してすべての大族長たちに伝えられたとしています(歴代志上1章24〜27節)。この族長制度の下では、セムはノアに次ぐ地位が与えられており、セムは権能の鍵を持ち、その当時の偉大な大祭司でした。

 セムと同時代にメルキゼデクがいて彼も大祭司であり、聖文はセムの誕生と先祖については詳細に伝えてますが、彼の事績とその後の生涯については沈黙したままです。ところがメルキゼデクについて言えば、状態はまったく正反対であって、誕生や先祖については沈黙したままとなっています。誕生や先祖については何の記録もなく、かろうじて真鍮版から彼には父がいたことがわかる程度ですが、ところが彼の事績とその生涯については、かなり興味深い重要な事実が、創世記14章18〜20節、ヘブル7章1〜4節により分かっています。

 以上のことから、幾つかの疑問が湧くのでその答えが欲しいところです。その疑問点は、同時代に2人の大祭司がいたのであろうかというものと、何故聖文は何も語らないのか、メルキゼデクの先祖について、なぜ何も分からないのか、というものです。

 現在分かっている知識はこのような状態ですので、数多くの聖徒や研究者が、この2人の人物が同一人物ではないだろうかと考えています。実際のところ、この問題に対する明確な答えはありませんが、聖文を調べるとこの2人が同一人物であると思われるところが幾つか出てきます。


セムが受け継いだ地には、サレムの地も含まれていた。メルキゼデクは聖文ではサレムの王として登場し、この地方を治めていた。
セムは、後代の啓示によれば、義にかなって治め、権能は彼を通じて伝えられた。メルキゼデクも、「義の王」という意味の称号で同時代に登場している。
セムは当時の偉大な大祭司であった。アブラハムは大祭司であるメルキゼデクをたたえ、彼の手から祝福を得たいと望み、彼に什分の一を納めた。
アブラハムは、権能の族長制度の下ではセムの次の位置を占めていて、当然、セムから権能を受けたと思われる。後代の啓示にはアブラハムはメルキゼデクから権能を受けたと書いてある。
ユダヤの伝承では、セムをメルキゼデクとしている。


 一方、2人がやはり別の人物であると思われる論拠もあります。上の表の2により、メルキゼデクとノアの間恐らく何世代かの隔たりが存在していたとするものです。この部分は「アブラハムはメルキゼデクから神の権能を受け、メルキゼデクは先祖の血統を通してそれを受けてノアまで至る」とされています。しかし、もしセムとメルキゼデクが同一人物だったとしても、この部分は別に障害とはなりません。それは、権能はアダムに始まり、代々父を通じてノアにまで至って、さらにセムに至ったという意味であると解釈することが可能だからです。



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