士師記 第5〜7章研究解読



第5章21節
第6章1〜6節 第6章11〜24節 第6章25〜32節
第7章19節



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第5章21節

21節 キションの川は彼らを押し流した、激しく流れる川、キションの川。わが魂よ、勇ましく進め。


 キション川はエズレル平原を北西方向に流れ、現在のハイファ付近で地中海に注いでいます。エズレル平原は非常に平坦な地形となっており、川の流れも通常は穏やかなものですが、大雨が降ると氾濫して河畔を湿地状にしてしまうので、ほとんど通行ができなくなります。デボラの歌は、雷を伴なう予想外の大雨が突然この地域を襲ったことを言ったものと考えられます。シセラの戦車隊はキション川の氾濫によって、泥にはまり込み動きが取れなくなりました。デボラとバラクがわずかな軍勢で勝利を治めることができたのは、氾濫したキション川のおかげです。デボラはこの出来事の中に、まさしく神の手が働いていたことを認めて、勝利の誉を士師記第5章の歌にして神を褒め称えました。




第6章1〜6節

1節 イスラエルの人々はまた主の前に悪を行ったので、主は彼らを七年の間ミデアンびとの手にわたされた。
5節 彼らが家畜と天幕を携えて、いなごのように多く上ってきたからである。すなわち彼らとそのらくだは無数であって、彼らは国を荒らすためにはいってきたのであった。
6節 こうしてイスラエルはミデアンびとのために非常に衰え、イスラエルの人々は主に呼ばわった。


 ミデアン人アマレク人(3節)は砂漠に住む人々です。彼らの定住性のない放浪の習慣は盗奪への禁忌の念を薄くして、農耕民であったイスラエルの民からの大がかりな略奪行為となりました。彼らは収穫の時期南や東の荒野から、いなごのように押し寄せて、穀物や家畜などイスラエル人の命の食糧を奪い去ってしまいます(3〜4節)。7年間もこのようなことが続き、イスラエルの人々は日々の生活にも窮する状態となり、財産を隠し、ミデアン人の殺戮の脅威から身を守るために、ありとあらゆる手段を尽くしました。イスラエル人が当時パレスチナ南部の至る所に作った洞穴が、現在も残っています(2節)。

 それでも彼らの攻撃には手を焼いたのか、結局彼らは非常な苦しみと屈辱の中から、イスラエルのに訴え出ました。その神こそ、彼らが自らの意志で礼拝を止めていた神でしたが、そのときのひどい束縛の境遇から逃れるためには、イスラエル神ヤハウェに頼るほかに道はありませんでした。彼らが学んだことは、最後に頼れるのはイスラエルの神だけであるということです。





第6章11〜24節

11節 さて主の使がきて、アビエゼルびとヨアシに属するオフラにあるテレビンの木の下に座した。時にヨアシの子ギデオンはミデアンびとの目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていたが、
12節 主の使は彼に現れて言った、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」。
15節 ギデオンは主に言った、「ああ主よ、わたしはどうしてイスラエルを救うことができましょうか。わたしの士族はマナセのうちで最も弱いものです。わたしはまたわたしの父の家族のうちで最も小さいものです」。
17節 ギデオンはまた言った、「わたしがもしあなたの前に恵みを得ていますならば、どうぞ、わたしと語るのがあなたであるというしるしを見せてください。
18節 どうぞ、わたしが供え物を携えてあなたのもとにもどってきて、あなたの前に供えるまで、ここを去らないでください」。主は言われた、「わたしはあなたがもどって来るまで待ちましょう」。
21節 すると主の使が手にもっていたつえの先を出して、肉と種入れぬパンに触れると、岩から火が燃えあがって、肉と種入れぬパンとを焼きつくした。そして主の使は去って見えなくなった。


 ギデオンが「しるし」を求めたのは、主の使であると宣言した存在が本当に神の使であるという確証を得たい、と思っただけのようです。ギデオンはまだこの時「大勇士」ではなく、マナセ族の一人にすぎない者であり、そのような自負は全く持っていませんでした。この点に関して、


使いの中にも悪しき存在者があり、その識別が重要になる


ということに注意する必要があります(1コリント12章10節、2コリント11章13〜15節、1ヨハネ4章1〜2節)。また、


しるしとは、人の信仰と神の意志に基づいて与えられる


という原則があることにも注意が必要です。

 ギデオンが、肉、パン、あつもの(19節)を持ってくると、その使は奇跡的な方法でそれらを焼きつくし、ギデオンは完全に圧倒しました。しかしこの使はやさしく彼の心を静め、後にギデオンはそこに立てた記念の祭壇に感謝の心を込めて、「主は平安」と名づけています(24節)。




第6章25〜32節

25節 その夜、主はギデオンに言われた、「あなたの父の雄牛と七歳の第二の雄牛とを取り、あなたの父のもっているバアルの祭壇を打ちこわし、そのかたわらにあるアシラ像を切り倒し、
26節 あなたの神、主のために、このとりでの頂に、石を並べて祭壇を築き、第二の雄牛を取り、あなたが切り倒したアシラの木をもって燔祭をささげなさい」。
30節 町の人々はヨアシに言った、「あなたのむすこを引き出して殺しなさい。彼はバアルの祭壇を打ちこわしそのかたわらにあったアシラ像を切り倒したのです」。
31節 しかしヨアシは自分に向かって立っているすべての者に言った、「あなたがたはバアルのために言い争うのですか。あるいは彼を弁護しようとなさるのですか。バアルのために言い争うものは、あすの朝までに殺されるでしょう。バアルがもし神であるならば、自分の祭壇が打ちこわされたのだから、彼みずから言い争うべきです」。
32節 そこでその日、「自分の祭壇が打ちこわされたのだから、バアルみずからその人と言い争うべきです」と言ったので、ギデオンはエルバアルと呼ばれた。


 日本聖書協会発行の口語訳聖書の25節の「アシラ像」は、欽定訳では森や木立を意味する「grove」という言葉にも訳出されています。ギデオンの父ヨアシは、偽りの神バアルにささげる木立ちや祭壇をもっており、古代の異教礼拝において森は重要な役割を担っていました。神々を壁の中に閉じ込めるのは良くないという考えがあって、森を自然の神殿として用いる例が多く見られたと考えられています。この森の中で、異教の官能的な儀式が行われました。ギデオンと10人の男は神の戒めに従って木立を切り倒し、祭壇を壊してその場所に神のための祭壇を築きました。その町の人々はギデオンの死を求めますが、ヨアシは息子の行いを擁護しています。そこでヨアシは息子ギデオンに、「バアルに言い争わせよ」という意味の「エルバアル」という名を付けました。

 「バアルに言い争わせよ」とは、もしギデオンがバアルを倒したのなら、バアル自身が申し立てをすべきだということです。エルバアルという名は、これ以降もギデオンの名として何度か登場しています。





第7章19節

19節 こうしてギデオンと、彼と共にいた百人の者が、中更の初めに敵陣のはずれに行ってみると、ちょうど番兵を交代した時であったので、彼らはラッパを吹き、手に携えていたつぼを打ち砕いた。


 古代イスラエルにおいては、夜の12時間が3つに区分されていました。第2区分帯である中更(ちゅうこう)は、午後10時から午前2時となっており、士族が散乱した後もユダヤ人はこの区分法を続けています。新約聖書の時代になると、ローマによる4区分が登場しました。



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