申命記 第7〜10章研究解読



第7章1〜5節



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2004/ 6/ 9  第7章1〜5節 UP



第7章1〜5節

1節 あなたの、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびとギルガシびとアモリびとカナンびとペリジびとヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追い払われる時、
2節 すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約もしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。
3節 また彼らと婚姻してはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。。
4節 それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされるこししなるからである。
5節 むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。


 ヘテ人、ヒビ人、およびエブス人は、ハムの息子であったカナンの直系子孫なので、これらの人をカナン人と呼びます。ギルガシ人、アモリ人、ペリジ人はカナンの子孫ではありませんが、カナン人というのはその出生に関係なくカナンの地に住んでいる人をすべてカナン人と呼ぶので、彼らもカナン人と呼ばれています。イスラエルが約束の地に近づく頃には、これらのカナン人たちは極端に邪悪で不義な民になっており、婚姻によってそれがイスラエルに流入し始めたために、彼らとの結婚が禁止されました。父祖アブラハムが、子孫はカナンの地受け継ぎを得ると言ったときに、神はイスラエルはまずエジプトに囚われて行くいくであろうと付け加えています。それは、「アモリびとの悪がまだ満ちないから(創世記15章16節)」という理由によるものでした。

 それから数百年が過ぎましたが、その悪は今完全に満ちています。ある行為が社会の秩序にとって極めて悪影響かつ破壊的な場合、唯一の正当な修復は、罪のある方の死によるものです(出エジプト21章12〜17節)。人が人を殺しても罪とされない場合は、神による特別な許可が必要です。そこには、


義にかなった目的を果たすためには、神は悪人を滅ぼす


という神の原則が存在しています。同様にカナン人が関わっていた罪悪の種類は伝染性のものであり、民衆の間に広がり始めていました。これに憐れみをかけたり生かしておいたりすることは、イスラエルに霊的な堕落をもたらして多くの人を不義によって失うことを意味しています。イスラエルがこうした指示に従わなかったので、後にここで言われていることが列王記、歴代志などに記録されています。モーセは、イスラエルが約束の地を受け継いだのは自分たちが何か特別な義を行ったからだなどと、夢にも考えてはならないと警告しました(申命記9章5節)。

 元々イスラエルは、その敵をこのような方法で扱うように命じられていたわけではありませんでした。ラシュドゥニーという聖書学者はカナン人がなぜイスラエルと異なっていたのかについてつぎのように説明しています。

 「第2の戒めにより、偶像を崇拝することは禁じられている。そのような礼拝の対象となるものはすべて、打ち壊さなければならないということである。『あなたは彼らの神々を拝んではならない。これに仕えてはならない。あなたは彼らを全く打ち倒し、その石の柱を打ち砕かなければならない(出エジプト23章24節)』。申命記12章1〜14節には、対照的なことがはっきと書かれている。従順というのは、ある面では、偶像崇拝の場所をことごとく打ち倒すことであり、また別の面では、定められた方法で、定められた場所へ、神の供え物を持っていくことなのである。偶像崇拝の場所と偶像とを打ち壊せという命令は、申命記7章5、16章21〜22節、民数記33章52節、そして出エジプト34章13〜14節にも書かれている。

 しかし、ある場合には、偶像を打ち壊すためには、偶像を崇拝する民を滅ぼす必要があることもあった(申命記7章1〜5節)。カナン人と契約を交わすことも、相互に結婚することも禁じられていた。カナン人は、神の命令によって、死にささげられた。あるいは死にゆだねられた。これは重要な点であって、慎重に考える必要がある。律法では、明らかにエジプト人やそのほかの異国人に対する復讐を禁止していた。復習をする代わりに、エジプトで虐げられたことを覚えておかなければならないかった。神の律法の下にあるすべての人々を、正義にゆだねるためである(レビ記19章33〜37節)。異国の地で不正に苦しんだために、イスラエルは、自分たちがエジプト人の二の舞を演じないように注意していた。自分たちが不正の器とならないためである

 エジプト人はヘブル人を全滅させようとした(出エジプト1章15〜22節)が、イスラエルは、エジプト人にはすべて正義を行うよう求められていた。律法に対して一人一人が従順であるか否かによって遇するのである。その基準は、イスラエルに対する悪意ではなく、神の律法であった。エジプトも、カナンと同様、神の敵ではあったが、カナン人の悪は神の目から見て、『満ちて』いた。売春や同性愛が宗教行事となり、それも民が悪事に浸るあまり、それを自慢するほどであった。彼らの悪は『満ちて』いた。したがって、神は彼らに死の宣告をし、イスラエルにその役目を託した。・・・カナン人は、概して、死に価する部族であった。神は、アブラハムの時代からヨシュアの時代に至るまで、数世紀にわたって忍耐を続けられた。

 そして今、神の裁きを執行せよとの命令が出された。イスラエルはそれを完全に行わなかったため、やがて災いのもととなった。」



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