申命記 第4〜6章研究解読



第4章2節



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2004/ 2/26  第4章2節 UP



第4章2節

2節 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。


 聖書以外に「聖典」が存在することを認めない人々は、あらゆる啓示が聖書に含まれている証拠であるとして、黙示録第22章18〜19節を挙げる事がよく見られます。しかしながら、モーセも申命記第12章32節で同じようなことを警告しました。このことから、


書かれてあるものに書き加えてはいけないという警告は、その預言者が書いたものに限定されている


ということがわかります。これらの「書き加えてはならない」という警告は、聖書全体に与えられた言葉ではありません。もちろん、書かれたものを改ざんするという行為は神に背くものですが、新たに書を追加するということとは全く別の問題です。ましてや、当時の聖徒や将来の聖徒が、自分たちのために新しい啓示を受けるのを禁じたものではありません。これだけではなく、モーセの書いたものに目を向ければ、同じ趣旨の言葉があり、使われている言葉もほとんど同じです。2節にあるこの言葉が、天を閉ざしてこれ以上新しい啓示を受けないという目的で与えられているとすれば、モーセの後に登場した預言者たちに与えられた啓示も、イエス・キリストと使徒たちに与えられた啓示も、ヨハネとヨハネがパトモス島で与えられた黙示録も含めて、それらが価値のない物となり、聖書自体が全く意味のない物になってしまいます。

 「聖書だけが全てである」という問題も、よく調べれば「問題にすらならない」ことがわかります。さらに言えば、ヨハネの福音書も、兄弟たちに当てた手紙も、ヨハネがパトモス島で黙示録を書いた後に書かれたものです。そうするとヨハネは、自分で自分の言ったことを破ることになってしまいます。ですがこれは、


預言の霊であるイエスの証を持たない人々の、無知と先見のなさを示すものです


 無知と先見の目を持たない人は驚くほど多いものです。新約聖書、特に冒頭の4福音書は多くの場合その中のキリストの良い教えが心地よいばかりに、なぜキリストは殺されたのか、誰に殺されたのか、あるいは旧約聖書において義人や預言者たちもなぜ同様な惨い結果になったのかという、「最重要項目」に対して明確に答えることができない人や答えるのを避ける人が多くいます。これらの人の中には、ある事柄に対して反対意見があると、それまで信じていたものを検証しようともせず簡単にくつがえしたり、信仰生活をしているのに生活が良くならないのを、教会や教義に責任をなすりつけ、生活の責任は生活者自身にあることを認めようとはしません。言い換えれば、無知と先見の目を持たない人の罰は、今のその人の状態がそれを表しているとも言えるのではないでしょうか。

 信仰生活を始めたからと言って全てが良くなるものではありません。重要なことは、なぜ信仰生活をするのかという理由にかかってきますが、表面上の教えにとらわれ、「キリストを受け入れる」という「本質」から逃げてしまっていては、いくら聖書が良いものだとしてもその教えが根付くことは難しくなります。



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