類のない存在 突然の出現 動物の基本種 現在の変化 結論


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 現在、世界では事物の起源に関してある説が支持され、教えられています。この進化論という学説は、大体がチャールズ・ダーウィンの著作から。発展したものです。これは、生命の始まりと人の起源に関して異なった見解を提示しています。この学説については次のような声明が出されているので、当研究者が支持する創造論とは、天地創造と起源に関してどのように教えているのかを理解する上で、参考にして下さい。


 「一部に、アダムはこの地上における最初の人間ではなく、人類はもともと下等動物から進化したものであるとする説が支持されている。しかしながら、これは人の考えた説である。主ははっきりと、アダムこそ『すべての人の最初なる者(モーセの書1章34節)』であると言っておられる。それゆえ私たちは、アダムを全人類の最初の親と考える重大な義務を負っているのである。ジェレドの兄弟(金版に登場する人物)には、一切の人々が最初に神の形にとって創造されたことが示された。それが霊体としてのことか肉体としてのことか、あるいは両方のことなのかという点をどう理解しようと、必然的に同じ結論にたどりつく。すなわち、人間は天父の姿形にかたどられて、人間として生命の営みを始めたということである。」

 「天父の子供たちの間に見られる混乱のただ中にあっても、この偉大な教会の会員には人の起源に関する確かな知識が与えられていることに私は心から感謝している。その知識とは、私たちが霊界から来たこと、私たちの霊がそこで天父から生まれたこと、天父が地の塵から私たちの最初の両親を造られたこと、そしてその霊が肉体に吹き込まれたこと、さらに人の起源が、一部の人に信じられているように下等な生物にあるのではなく、私たちの先祖は天の家で暮らしていたあの霊たちのことなどである。私たちは、何か卑しいものから生まれ出たのではなく、私たちの祖先は天父なる神なのである。」

 では、こうした説明におそらく矛盾すると思われる科学上の証拠はどうでしょうか。あらゆる生命がある共通の源から進化したという証拠は、圧倒的な説得力を持つのではないでしょうか。ミシガン州アンドリューズ大学地球科学研究所で古生物学担当教授を努めるハロルド・G・コフィンは、生命がどのようにして始まったかについて、科学者の立場からひとつの見解を発表しました。次に掲げるのはコフィン博士の著わした創造についての小冊子から抜粋したものです。

 「チャールズ・ダーウィンがかつて進化論を支持するために用いた様々な証拠を、新しい視点で見直す時期が来ている。膨大な量の新しい科学的情報がもたらされたためである。生命の起源について諸説入り乱れる中で、目をしっかりと据えて見る勇気のある人なら、生命の起源を説明するには創造説が最も優れているという重要な証拠を今の科学が握っていることに気づくであろう。次の4点を深く考えれば、おのずとこの結論に達する。


1. 生命とは他に類を見ない存在である。
2. 高等動物は突然出現した。
3. 過去における変化は限られたものであった。
4. 現在における変化も限られたものである。


 真理に感心を持つ人ならだれでも、この4点について真剣に考察してみる必要がある。進化論に対するこの挑戦に応えて、現代の聡明かつ正直な数多くの科学者が生命の起源に関する自説の再検討を始めている。」







類のない存在


 進化論についての疑問は、今に始まったわけではありません。すでに45年も前にホーマー・ジェイコブソンという科学者がアメリカン・サイエンス誌に寄せた報告によると、「この地上で生命を誕生させるのにどれだけの時間と空間があろうとも、現在の環境に作用が加わって、アミノ酸1分子といえども出現する可能性はほぼゼロに近い。もし地球が1億年にわたって1km近いアミノ酸に覆われたとしても、発生できる可能性のあるものは、蛋白質の中でも最も単純な形のもの(サルミン)でしかないであろう。

 だからどれほど想像力を働かせようとも、現在の環境下でアミノ酸1分子といえども発生する可能性はまずないものと思われる。ましてやこの分子が、有機体を構成できるだけの自己再生や新陳代謝の能力を持つ原形質の配列に偶然なるなどというのは、まず考えられない。」

 またある科学者は、蛋白質が偶然に形成される可能性に関心を持って、次のように自説を発表しています。

 「この5つの元素(炭素、水素、窒素、酸素、硫黄)が一緒なって分子を構成する可能性や、絶えずかくはんしておく材料の量、そしてその仕事を完成させるために必要な時間などは皆計算可能である。チャールズ・ユージン・ガイというスイスの数学者は、これを計算して次の結果を得ています。それによると、このようなことが起こる可能性は10の160乗分の1、言い換えれば10の160乗という、言葉で書き表せないほど膨大な回転に1回ということになる。また、蛋白質1分子を生出すために、かくはんに要する材料の総量は、この宇宙にある物質の数百万倍の量がなくてはならず、それがこの地球上で起こるためにはおよそ無限ともいえる時間(10の234乗年)が必要だということである」






突然の出現


 1910年に偶然発見された化石は、極めて興味深い浅い海の生物のものでした。以来この地域は、カンブリア紀化石を多種にわたって数多く産出しています。ウェルコットは、この時極めて細かい粒子の中に軟体動物の化石を発見しました。様々なぜん虫、えび、かにの様な生物などが、すでに硬化している頁岩に痕跡を残しています。そうした痕跡の中には、腸や胃といった内臓も含まれており、そのような動物は、剛毛、とげ状突起、あるいは様々な付属器官で覆われていて、ぜん虫や甲殻類特有の構造を驚くほど隅々まで備えているものさえ存在しています。

 このような化石の固い外観だけでも丹念に調べると、こうした動物のことについてかなりのことまでわかるようになります。目や触角からはかなり高等の神経組織を持っいたことが推測可能で、えらの存在は水中から酸素を取り入れていたことを物語っています。この酸素を体内に送り込むために、血液の循環組織を持っていたことも確かといえます。またこの中には、バッタのように脱皮して成長する動物も見つかっており、この過程は複雑で、今なお生物学者たちが賢明に解明に努めています。このような動物には、非常に複雑な口器があって、この器官を働かせて水中から特定の栄養物を取り入れていました。

 これらの生物が単純であった、あるいは原始的であったと言うことはできません。その精密さは、現在のぜん虫やかに等と比較しても遜色はないでしょう。然るに、こうしたものが発見された岩石は、かなりの数の重要な化石を含有している最古の化石です。その祖先は一体どこから来たのでしょうか?

 ここまでに挙げたことは新しいものではありません。この問題は少なくとも、チャールズ・ダーウィンの時代からずっと提起されてきたものです。単純なものから複雑なものへという進化論が正しいとすれば、カンブリア紀に既に高度に発達していたこれらの生物の先祖も見つかるはずです。しかし今だに発見されてはおらず、また今後も発見される見通しもあまり立っていません。事実にのみ基づく限り、また実際に地中から発見されているものに基づく限り、創造は突然起こったことであって、その過程で生命体が組織されたと考える説が最も事態をよく説明できます。






動物の基本種


化石を研究している科学者たちは、他にも興味深い資料を得ています。高等動物が、前期カンブリア紀の岩石中に突然出現していただけでなく、


動物の基本種がそれ以来ほとんど変化していないという点です。


 もっとわかりやすく言うと、これは失われた環、つまりミッシング・リングの問題でもあります。しかもこれは、かなりの数の問題です。進化論を支持する学者が直面しているのは、生命体の進化の歴史をつなぐ環が各所でごっそりと失われているという問題です。G・G・シンプソンもこの問題に気づいて、次のように言っています。「既知の化石からわかる特徴は、ほとんどの種が突然出現しているということである。つまり、一般的にこれは、先駆となる生物が目に見えないような変化を行ってきた結果、次第に現在のようになったのではないということである。これは、ダーウィンが進化には当然あるものと考えといたこととは異なっている。」

 こうして見ると、高等動物が突然出現したという点が進化論の問題点であるだけでなく、ひとつの種から別の種への変化も起こらなかったという点も同様に重要な点であることがわかります。繰り返しになりますが、これも決して新しい問題ではありません。化石の採集が始まってから程なくして、こうした化石も現代の動物や植物と同じ大種族に属することが明らかになりました。近年になってかなりの数の科学者が、変化はなかったという説や、動物の特定の種と種を結ぶ環は存在しなかったという説を述べています。

 高校生ならだれでも、おそらくは生物学の教科書で、衣類らしい衣類をまとわずに、体中毛だらけというネアンデルタール人の絵を見たことがあるでしょう。首が短く、猫背で、膝も湾曲していて、いかにも獣といった感じの絵です。このような絵は、1911年から1913年にかけてフランス人のブールが初めて説明したネアンデルタール人の記述[Marcellin Boule,Fossil Man]が元になっています。この絵はその後、何の変更も加えられずに本から本へと受け継がれて、以来87年が経過しています。しかしブールが説明する際に用いた骨は、近年の研究で、極めて重傷の関節炎のためにかなりの奇形を伴なったものであることがわかっています。

 ウィリアム・ストラウスとA・J・E・ケーブという前述の発見をしたふたりの科学者は、次のように述べています。

 「このことから、第四氷河期のネアンデルタール人の姿勢が、現代人の姿勢と大幅に異なっていたという仮説を、積極的に肯定する根拠はなにもない。それどころか、ネアンデルタール人が今仮に生まれ変わってニューヨークの地下鉄の中に置かれたとしても、・・・もちろん風呂に入ってびけをそり、今風の服装をしてという条件はあるが・・・ニューヨーク在住の外国人ほどの注目を集めるかどうかさえ疑わしい。」

これが書かれたのは、もう何年も前のことです。現在ではネアンデルタール人もひげを剃らなくてもニューヨークでは以前ほど注目を浴びることはないでしょう。






現在の変化


チャールズ・ダーウィンの「種の起源」発刊100周年を祝うテレビ討論会で、ジュリアン・ハクスレー卿は冒頭で次のような発言をしました。「ダーウィンの学説について最初に申し上げたいことは、これは既に学説というより、事実だということです。まじめな科学者なら、進化が起こったという事実を否定する人はいないでしょう。地球が太陽の周りを回っているという事実を否定する人がいないのと同じことです。」これは、真理の一部しか伝えていない、ちょっと混乱を招く発言であって、「進化」という言葉の定義から始める必要があります。

 この言葉自体には、「変化」という意味しかなく、この定義を基にすると進化は事実となります。しかし、大方の理解によれば、進化というものは単純なものから複雑なものへ、あるいは下等のものから高等のものへと、時と共に変化していくという意味です。進化をこのように定義すると、これは事実に基づいてはいません。遺伝の研究からは、進化を証明する原理や事実が明らかにされています。しかしこれは、進化を変化という意味に限定した場合だけです。現在の生物にも明らかに小さい変化は起こってはいますが、だからといって、


過去に際限なく変化が起きたと結論する程の根拠はありません。


 確かに現在、動植物の新しい種が作り出されています。世界中の動植物のほとんど止まることのない遷移、寄生生物の驚くほどの退化、弱肉強食による適応といったことから変化が起きたというのは、動かせない結論です。しかし、ある基本種から別の基本種にどのように大変化が起こったかということは、今も未解決のまま、進化論者の頭を悩ませている問題となっています。現在の動物も植物も変化はすることでしょう。しかし、その変化の幅には限度があります。科学の実験室では、これまである基本種から別の基本種への変化を証明できてはおらず、


化石からわかることを額面通り受け入れる限り、地球の過去の歴史上、そのような変化は起こってはいないと言えます。






結論


 生物の起源に関して、たったひとつの学説に絶えずさらされてきた結果、多くの人々は他に選択の余地はなく、進化論こそ完全無欠の回答に違いないと確信させられてきました。教育を受ける機会に恵まれながら、創造論と進化論の両論の証拠を吟味する機会がほとんど与えられないということは、大多数の人にとって、いかにも不幸なことではないでしょうか。化石を調査すれば、高等生物がこの地上に突然、つまり何の前触れもなく出現したことがわかります。更に、どれほどの時間が経ったとしても、その基本的な関係に変化をもたらすほどの力はありませんでした。現在の生物を見れば、変化は生命と時に必然的に伴なうものであることがわかります。しかし同時にそれには限界もあって、生物は本来それを超えないし、人間もそれを強制する力もありません。

 過去及び現在の生物を考えるにあたり、人は自分が、生命という、人間の決して創造できなかった無比のもの、また、人間が必死に理解しようと努めているものと取り組んでいるということも忘れてはならないことです。事実も証拠もここに存在します。生命は創造という行為によって始まったとする正当な理由がここに存在しています。現在これだけの情報社会の中で、今こそ一人一人が事実を知って、賢明な選択をする時期と言えるでしょう。



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