箴言 第1〜4章研究解読



第1章1節 1章6節 第1章7節
第2章 第2章10節
第4章18〜19節



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2004/ 3/30  第4章18〜19節 UP
2001/ 7/ 6  第2章序文、第2章10節 UP
2001/ 7/ 5  第1章7節 UP
2000/ 7/29  第1章1節 UP
1999/10/28  第1章6節 UP



第1章1節

1節 ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。


 一般的な表題は、「ダビデの子、ソロモンの箴言」となっていますが、特定の箇所の著者を示す表題が数ヶ所に見られます。10章1節の「ソロモン」22章17節と24章23節の「知恵ある者」はそれに当たります。25章1節には「これらもまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤに属する人々がこれを書き写した」とあり、30章は「ヤケの子アグルの言葉」、31章は「王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたもの」という表題で始まっています。聖文によれば、ソロモンは3000の箴言を説き、または編集しており、1005首の歌を作っています(列王紀上4章32節)。ソロモンの知恵の一部は、後の著作者や旧約聖書の編集者によってほぼ確実に保存されて、知恵文学として今日に残されました。

  「箴言」と訳された言葉は、「象徴する」または「〜のような」という意味の語源を持つといわれていますが、やがて、類推の及ばない格言までを意味するようになり、簡潔な格言あるいはことわざを指すようになりました。しかし、箴言は広く知られている格言というよりは、


神の律法に通じ、その原則を生涯実践した教師たちの知恵の精粋といえるものです。




第1章6節

6節 人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。


 箴言の最初の数節に述べられているように、知恵を収集したひとつの目的は、人々が賢者の「謎」を理解できるように助けることにあります。ヘブル語の「謎」は、不可解な事や難問を意味しています。ここで言わんとすることは、賢者の箴言が愚かな者にとっては不可解な事や難問になるという事です。




第1章7節

7節 主を恐れることは知識の始めである、愚かな者は知恵と教訓とを軽んじる。


 この第7節は箴言に全体におけるテーマとなっています。ここで使われている「恐れ」は、神に対する畏れ、すなわち深い畏敬の念を表すものです。この書には、世の中の知恵の域を超えていない部分も多く見られますが、全体として思い起こさせるのは、神にとってはすべてが「霊」、またはその人の「人格」にかかわるものということです。つまり、


たとえ俗世にあっても、正しい物の見方をするならば、すべての物事が神を証しているのが分かる


ことを強調しています。




第2章


 この章で強調されているように、知恵は熱心に求める者にだけ与えられる神の賜物であり、神はその知恵を受けて忠実に歩む者を守り、祝福し続けます。この約束を正しく理解するには、イスラエルにとって知恵が神の律法の遵守を意味する事を忘れてはならないでしょう。




第2章10節

10節 これは知恵が、あなたの心にはいり、知識があなたの魂に楽しみとなるからである。


 東洋と西洋を比較すると、理解や感情について体の部分が象徴する概念に違いがあることに気がつきます。東洋では、心で「理解」して胸に「感じ」ますが、西洋では、頭あるいは精神で「理解」してから心に「感じ」ています。この10節を西洋的に表現すると、「あなたの胸を内から燃やそう」となります。(箴言22章17節)




第4章18〜19節

18節 正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。
19節 悪しき人の道は暗闇のようだ、彼らは何につまづくかを知らない。


 イエス・キリストを信じている人々に対する一般の人々の誤解の一つに、その信仰生活のおくり方があります。クリスチャンの生活とは、苦しみや艱難、悲しみ、堪え難い責苦、陰うつな気持ちを胸にして、悲嘆の内にあり、またその道には、わなや落とし穴、不安などがばらまかれていると思われることが度々見られてきました。しかしこれは大きな間違いであり、御霊と共に歩む人には18節のような明るい展望を秘めて歩み、悪人は照らすものがないのでその行動は19節にあるように、その生活にはどこか暗い影がつきまといます。


真の信仰は、暗闇に光りを、苦痛にやすらぎを、悲しみに喜びを、嘆きに慰めを、疑いに確信を、そして絶望に希望をもたらします



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