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2000/ 6/ 30  序文追加


 霊感によって作られたと言われていて、讃美歌にもなっているものもあります。詩篇は文字どおり詩を集めたもので、その多くはキリストのことを述べていて、新約聖書にしばしば引用されています。その多くはダビデによって神への賛美として書かれていて、旋律をつけられて歌になっているものも多くあります。



 詩篇の作者については、聖書学者間に大きな意見の相違があり、表題の内容を見ても、作者の指定がばらばらになっています。


表題のないもの・・・・・・・・・・・・・・・ 18
ダビデの歌となっているもの・・・・・・・・ 70
ソロモンの歌となっているもの・・・・・・
アサフの歌となっているもの・・・・・・・・ 12
コラの子の歌となっているもの・・・・・・ 10
ヘマンの歌となっているもの・・・・・・・
エタンの歌となっているもの・・・・・・・・
歌の題となっているもの・・・・・・・・・・・・
ハレルヤ集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18
都もうでの歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13
計 150


 詩篇の作者をダビデとすることについては、現代の批評家の間では否定することが常識になっていますが、イスラエルの偉大な詩人であり音楽家であったダビデが、詩篇の作者であったことを物語る内的証拠はふんだんに存在しています。このHPでダビデが詩篇の作者であるという説を支持する理由は以下の通りです。


ダビデの名は旧約の時代に、音楽と歌に長けた人として知れ渡っており、ダビデ自身、聖なる儀式によく通じていました。(サムエル下6章5〜15節、歴代史上16章4節、歴代志下7章6節、29章30節)
ダビデは特に聖霊から教えを受けています。(サムエル上23章1〜2節、マルコ12章36節、使徒行伝2章25〜31節、4章25〜26節)
ダビデの音楽と詩の才能は、旧約の歴史に何ヶ所も、永遠に残るものとしており込まれています。彼は「イスラエルの良き歌びと(サムエル下23章1節)」と呼ばれています。彼はまた琴を上手に弾き(サムエル上16章16〜18節)、サウルとヨナタンの死に際して、すぐれた哀悼の歌を書いています(サムエル下1章9〜27節)。また予言者アモスはダビデを「楽器を造り出」す者としています(アモス6章5節)。
詩篇それ自体からも、作者がダビデであることを示唆する内容を見出すことができます。ダビデの歌と書かれているもののほとんどは、彼の生涯の特定の時期を反映したものです。第23、51、57がそれに当たります。
聖書全体を通して、ダビデの作であると言明して引用してある詩が多くあります。使徒行伝4章25〜26節(詩篇2)、同2章25〜28節(詩篇16)、ローマ4章6〜8節(詩篇32)、使徒行伝1章16〜20節(詩篇69)、マタイ22章44節、マルコ12章36〜37節、ルカ20章42〜44節、使徒行伝2章34節などの4ヶ所は詩篇110を引用しています。


 古代において、ユダの民は旧約聖書を3つの部分に分けていて、モーセの五書である律法、予言者、文学となっています。詩篇はこの文学の部分において中心的なものです。昔ヘブル人は、150篇の詩を5書に分冊していました。今の聖書でいうと、第1篇から第41篇、第42篇から72篇、以下73から89、90から106、107から150の5つです。そして各部の最後には頌詠(しょうえい)、すなわち神の力と栄光に関する公式の宣言があります(詩篇41偏13節、72篇19節、89篇52節、106編48節)。第150篇はそれ自体が頌詠となっており、神をほめたたえよという言葉(原文ではハレルヤ)が最初と最後に用いられています。また「ほめたたえ(させ)よ」という語がほかに11回も出てきます。これはTehillim、すなわち賛美の歌と呼ばれる詩篇の結びとしてふさわしいものです。

 ハレルヤ(hallelujah)、つまり「Yah(エホバ)をほめたたえよ」も、語源的には同じです。人を堕落させる傾向の強い現代音楽と異なり、詩篇に納められている詩は人を高めて神に近づける力を持っています。残念ながら、音楽という音楽の全てが人を高めるということはありません。ルシフェルは、人を神のものではないものに向かわせるために音楽を使っています。言葉が使い方によっては祝福にも呪いにもなるように、音楽も神への賛美にもなれば、人の心に良くない思いや欲望を植え付ける媒介ともなります。神の目にかない、神から承認された音楽については、それを心から歌う人の頭に、祝福を持ってその応えとすると思われています。

 ある教会指導者はこのように述べています。
 「音楽は神の言葉の一部をなしている。主を賛美するために人に与えられたものである。詩の言葉と調べとをもって、心の中の深き思いを表現するのだ。その思いとは、イエスが神の御子であるとの証を持ち、父と子と聖霊によってなされた驚くべき栄光のみ業について知っている人々の感謝と喜びである。真の聖徒で、その心が創造主への賛美の歌で満ちない者はいない。そしてその賛美を声に出して歌う者には2倍の祝福がある。パウロの勧告はこうである。「・・・むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌をもって歌い合い、主に向かって心からさんびの歌をうたいなさい(エペソ5章18〜19節)。またこうも言っている。「・・・詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい(コロサイ3章16節)」。



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