サムエル記下 第6〜12章研究解読



第6章6〜8節
第11章2〜27節
12章1〜9節



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2004/ 3/ 4  第6章6〜8節 UP
2000/ 6/29  第11章2〜27節、12章1〜9節 UP



第6章6〜8節

6節 彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押さえた。牛がつまづいたからである。
7節 すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。
8節 主がウザを撃たれたので、ダビデは怒った。その所は今日までペレヅ・ウザと呼ばれている。


 この出来事は神の性質や神聖さを理解できない、あるいはしない人にとって非常に不思議で理解の及ばないものです。契約の箱というものは神聖な器であて、その中にはイスラエルの歴史上最も神聖で重要なものが幾つか納められています。箱やその中身に触れることは、神の命令によって厳格に禁じられており、権能を与えられたレビ人だけが、それも特定の条件下においてのみ、その聖なるものに触れることを許されていました(民数記4章15節)。神が触れてはならないと禁じていたものに手を出してしまったウザには、何かしらの思い上がりがあったものと考えることができるでしょう。

 もしウザの思いが純粋に箱が車から落ちないようにすることであったとしても、神がそうしようとするなら、自身の契約の箱を支えることなどはたやすいことであることを覚えておく必要がありました。この出来事については詳細な点まで記録されてはいませんが、神の戒めは神聖であって、神が命じたままに厳格に守らなければならないことを教える例ともいえるでしょう。現代にもこれに通じる事例が数多く見られます。




第11章2〜27節

2節 さて、ある日の夕暮れ、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。
3節 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バデシバではありませんか」。
4節 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうしてその女はその家に帰った。
5節 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。
10節 人々がダビデに、「ウリヤは自分の家に帰りませんでした」と告げたので、ダビデはウリヤに言った、「旅から帰ってきたのではないか。どうして家に帰らなかったのか」。
11節 ウリヤはダビデに言った、「神の箱も、イスラエルも、ユダも、小屋の中に住み、わたしの主人ヨアブと、わが主君の家来たちが野のおもてに陣を取っているのに、わたしはどうして家に帰って飲み食いし、妻と寝ることができましょう。あなたは生きておられます。あなたの魂は生きています。わたしはこの事をいたしません。
14節 朝になってダビデはヨアブにあてた手紙を書き、ウリヤの手に託してそれを送った。
15節 彼はその手紙に、「あなたがたはウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼の後ろから退いて、彼を討死にさせよ」と書いた。
26節 ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。
27節 その喪がすぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻なって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこと事は主を怒らせた。


 ダビデは屋上を歩いていました。現在もそうですが、パレスチナ地方の家の多くは平らな屋上を持っています。この中東地域は熱気が強く、人々は夕方でも日中でも涼を求めて屋上を歩いたりして過ごすことが多くあります。おそらくダビデの王宮の屋上は、近くにある数多くの家の中庭を見下ろせる程に高かったと言われています。
 この時期、ダビデにとって万事があまりにも順調に進んでいて、ヨアブや家来たちが外に出てアンモン人やシリア人と戦っている時に、ダビデは屋上から隣人の妻に目をとめました。暇と情欲はダビデを姦淫、そしてついには殺人へと導いてしまいます。その罪は現世を悲劇の場としただけではなく、永遠にわたる結果までも生んでいます。それは、


いかに徳高く偉大で傑出した人物といえども、自己向上の機会に深刻なかげりと頓挫をもたらすような過ちを犯す可能性を弱点として持つ


ことを教える、旧約聖書の衝撃的かつ厳粛な警告のひとつと言えます。




第12章1〜9節

1節 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
2節 富んでいる人は非常に多くの羊と牛とを持っていたが、
3節 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれをそだてたので、その羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
4節 時に、ひとりの旅人が、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅人のために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
5節 ダビデはその人の事を非常に怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。
6節 かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。
7節 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
8節 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
9節 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。


 よくあることですが、自分の罪が人に知られなければ悔い改めようとしない人がいます。顔と顔を合わせて、たとえ話を用いて王の非を大胆に告発するナタンの姿が目に浮かぶことでしょう。ナタンの寓話は巧みに展開されて、「アター、ハー、イシュ(あなたがその人です)」というとどめの言葉は、最後の裁きの日の先触れの如く、ダビデの良心を貫いています。ダビデの悔恨の情は間違いなく真摯なものでしょう。しかし、いかに悔い改めても、友ウリヤの命とその妻の貞操を元に戻すことは不可能でした。ダビデは後に自分の魂を永遠に地獄にとどめないで欲しいと祈り求めていますが、そのような二重の罪を犯した者に幸福な行く末があると考えるのは納得のいくことではないでしょう。(ヘブル6章4〜6節黙示録22章14〜15節



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