サムエル記下 第1〜5章研究解読



第1章13〜16節
第2章8〜11節
第5章6〜10節 第5章11〜12節



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2000/ 6/29  第1章13〜16節 UP



第1章13〜16節

13節 ダビデは自分と話していた若者に言った、「あなたはどこの人ですか」。彼は言った、「アマレク人で寄留の他国人の子です」。
14節 ダビデはまた彼に言った、「どうしてあなたは手を伸べて主の油注がれた者を殺すことを恐れなかったのですか」。
15節 ダビデはひとりの若者を呼び、「近寄って彼を撃て」と言った。そこで彼を撃ったので死んだ。
16節 ダビデは彼に言った、「あなたの流した血の責めはあなたに帰する。あなたが自分の口から、『わたしは主の油注がれた者を殺した』と言って、自身にむかって証拠を立てたからである」。


 サムエル記上31章1〜6節とサムエル記下1章1〜16節を注意して読むと、サウルの死を伝えるふたつの記述に違いがあることがわかります。サウルの求めに応じてサウルを殺したと報告した男は、サウルの従者ではありません。従者が主人に手をかけるのを拒んだ時、サウルは剣の上に伏して、その遺体はぺリシテ人の手に渡っています。サウルの従者は王に殉じて死の道を選びました。ある注解者は次のように述べています。

 「この若者の話はすべて偽りである。多くの細かい点を見ると、それはひどく矛盾している。その言葉の中で真実なのは、サウルの冠と、腕輪を持ってきたということだけである。この男は戦死者が身に付けていた物を略奪する盗賊だったと思われる。彼は戦場で冠と腕輪を見つけ、それをダビデのところへ持参し、単にダビデの歓心を買いたいという理由だけのことで、サウルを殺したとうそを言ったのである。」

 ダビデがこのアマレク人の心を見抜いていたことは、サムエル記下4章10節からも明らかです。サウルの死に対するダビデの嘆きは偽りのない心からのものです。彼は最も暴虐な敵の死を喜ぶどころか、イスラエルにふりかかった悲劇を深く嘆き悲しんでいました。




第2章8〜11節

8節 さてサウルの軍の長、ネルの子アブネルは、さきにサウルの子イシボセテを取り、マハナイムに連れて渡り、
9節 彼をギレアデ、アシュルびと、エズレル、エフライム、ベニヤミンおよび全イスラエルの王とした。
10節 サウルの子イシボセテはイスラエルの王となった時、四十歳であって、二年の間、世を治めたが、ユダの家はダビデに従った。
11節 ダビデがへブロンにいてユダの家の王であった日数は七年と六ヶ月であった。


 サウルの死後、イスラエルの諸族がすぐダビデの膝下に参集して、彼を王として受け入れたわけではありませんでした。サウルの軍勢の長アブネルはサウルの息子の1人をイスラエルの王として立てましたが、ユダ族はダビデを王として受け入れました。7年間このように分裂した状態が続き、対立する2人の王による統治が行われています(11節)。ダビデはヨナタンに、政権を取ってもサウルの一族に報復はしないと確約しており、イシボセテに対する粛清は拒んだと考えられます(サムエル上20章14〜16節)。




第5章6〜10節

6節 王とその従者たちとはエルサレムへ行って、その地の住民エブスびとを攻めた。エブスびどはダビデに言った、「あなたはけっして、ここに攻め入ることはできない。かえって、めしいや足なえでも、あなたを追い払うであろう」。彼らが「ダビデはここに攻め入ることはできない」と思ったからである。
7節 ところがダビデはシオンの要害を取った。これがダビデの町である。
8節 その日ダビデは、「だれでもエブスびとを撃とうとする人は、水をくみ上げる縦穴を登って行って、ダビデが心に憎んでいる足なえやめしいを撃て」と言った。それゆえに人々は、「めしいや足なえは、宮に入ってはならない」と言いならわしている。
9節 ダビデはその要害に住んで、これをダビデの町と名づけた。またダビデはミロから内の周囲に城壁を築いた。
10節 こうしてダビデはますます大いなる者となり、かつ万軍の神、主が彼と共におられた。


 エルサレムの町の原型は、すでに古代において姿を消しており、聖書の中にあるエルサレムに関する最初の言及は、創世記に記されています。そこには、「いと高き神の祭司」にして、「サレム(エルサレム)の王メルキゼデク」が王たちとの戦から帰ったアブラハムと会って、彼を祝福したと書かれてあります(創世記14章18節)。このメルキゼデクに、アブラハムは全財産の什分の一を納めました。ヨシュアがヨルダン川を渡った頃に、この町はカナンの1部族であるエブス人が領有していました。イスラエルのカナン侵攻後間もなく、一時的に征服されたことはありましたが(ヨシュア10章)、紀元前1000年頃にダビデが占領するまでは、エブス人が所有していました。

 ダビデはこの町を都としたのは賢明な選択です。なぜなら、エルサレムはイスラエルの北方と南方の部族の中間に位置しており、しかもカナンのエブス人の所有となっていたために、イスラエルのどの部族のものともなっていなかったからです。この町の征服方法に関しては、「縦穴」と訳された意味の不確かな言葉のゆえに、多くの論議が重ねられてきました。この言葉は溝あるいは縦抗の意味としてとらえるのが最も妥当と考えられます。律法学者が編集した口伝律法のミシュナの中でも、このような意味で用いられています。

 1867年にC,ワーレン卿が発見した縦穴は、エルサレムにあるギホンの泉から15メートルほど西に位置している岩盤を掘削して作った水路に、垂直に掘り下ろされたものです。エルサレムが包囲攻撃された場合、城壁内の人々はここから水をくみ上げたものと考えられています。逆に、敵にとっては、この穴を通って城壁内に侵入して、内側から城門を開けることもできました。ヨアブがこの縦穴を最初に登った人物であると伝えられています(歴代志上11章6節)。




第5章11〜12節

11節 ツロの王ヒラムはダビデに使者をつかわして、香柏および大工と石工を送った。彼らはダビデのために家を建てた。
12節 そしてダビデは主が自分を堅く立ててイスラエルの王とされたこと、主がその民イスラエルのためにその王国を興されたことを悟った。


 港湾都市ツロは、現在のイスラエルのベイルートとハイファの中間に位置しており、フェニキア人にとっては最も重要な町で、古い町の1つでもありました。ヒラムという名はダビデ、ソロモンと同時代のツロの特定の王、または代々複数の王の姓と考えられています。中でも最もよく知られているのが、エルサレムのダビデ王宮建設のため、レバノンから石工、大工、香柏(木材)を送ったヒラムです(歴代志上14章1節)。後にソロモンもエルサレムの神殿建設の時に、このヒラムか、または別のヒラムから大きな援助を受けました(列王記上9章2節、歴代志下2章)。



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