サムエル記上 第1〜4章研究解読



第1章1節 第1章4〜5節 第1章6〜7節 第1章9節 第1章11節 第1章20節
第2章1〜10節 第2章8節 第2章12〜36節
第3章1節



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2004/ 6/29  第1章6〜7節 UP
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2004/ 1/14  第1章20節 UP




第1章1節

1節 エフライムの山地のラマタイム・ゾピムに、エルカナという名の人があった。エフライムびとで、エロハムの子であった。エロハムはエリウの子、エリウはトフの子、トフはツフの子である。


 ここにはサムエルの父の系譜が記されていますが、歴代志上第6章にはより明確な系譜が載せられています。1節ではエルカナは「エフライムびと」と記されているので、一見するとエフライム部族の出身のように思えますが、歴代志上を見るとエルカナの子孫はレビ族出身で、レビの子「コハテ」から連なっていることが記されています。イスラエルの祭司となるには、第1条件としてまず祭司の家系である「レビ族」の生まれであることが必要です。エルカナはエフライムの部族の中にいた「レビ人」の1人、祭司の家系であるので、エルカナの子サムエルが祭司に仕えることができたのは、ナジル人として神に捧げられたからではなく(第1章11節)、れっきとした祭司の家系であることから矛盾はしてないことが分かります。

 ラマタイム・ゾピムは「ラマ」と短く呼ぶこともあります(1章19節)。歴代志上ではエリウを「エリエル」、トフは「トア」、ツフを「ヅフ」という表記になっています(歴代志上第6章16〜27節、34〜35節)。





第1章4〜5節

4節 エルカナは、犠牲をささげる日、妻ペニンナとそのむすこ娘にはみな、その分け前を与えた。
5節 エルカナはハンナを愛していたが、彼女には、ただ一つの分け前を与えるだけであった。主がその胎を閉ざされたからである。


 エルカナは妻たちや子供たちを、イスラエルの人々がカナンを征服した後に幕屋を設けた所である「シロ」に連れて行って、犠牲を捧げたときに酬恩祭を行いました。脂肪や腎臓、その他の部分を焼いた後に、いつものように祭司たちへ犠牲の動物の胸部と右肩の部分が渡されました。そして残りが、特別な食事を行うために、供え物をしたエルカナに戻され、エルカナはその中から家族に分け前を与えていました。エルカナはハンナを愛していたので、おそらく彼女には他の人よりもたくさん良い部分を与えたと考えられています。




第1章6〜7節

6節 また彼女を憎んでいる他の妻は、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざされたことを恨ませようとした。
7節 こうして年は暮れ、年は開けたが、ハンナは主の宮に上るごとに、ペニンナは彼女を悩ましたので、ハンナは泣いて食べることもしなかった。


 ペニンナがハンナを悩ましていた理由は、はっきりと記されていないので知ることはできませんが、恐らく子供の生まれなかったハンナをかわいそうに思ったエルカナのやさしさが、ペニンナの目にうとましく見えたからでしょう。ユダヤ人の女性にとって、子供を産めない事は大きな恥とされていたので、ハンナは非常につらい思いをしていたと考えられます。また、この頃はすべての女性が自分の血統からメシヤが生まれることを期待していたとも言われています。




第1章9節

9節 シロで彼らが飲み食いしたのち、ハンナは立ちあがった。その時、祭司エリは主の神殿のかたわらの座にすわっていた。


 古代の中東では、ある役職にある人々が町の広場や門のそばに座っているのはよくあることでした。彼らはそこで人々から生活上の言い分や不平を聞いて裁きを下しました。これらの座には一般に背もたれがなく、壁や柱に背をもたれていたと考えられており、祭司エリが柱の傍らに座っていたのはこのことから説明がつきます。エリが息子たちの死の知らせを聞いてあおむけに落ちて死んでしまったのは、おそらくこのような背もたれのない座についていたためです(第4章18節)。




第1章11節

11節 そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」。


 子供を与えられたらその子の頭に「かみそり」を当てないとハンナが聖約したことは、後に生まれるサムエルをナジル人として育てるという約束をしたものと考えられます。ナジル人となる人は、決して髪の毛を切らないという特別な誓いを神に立てます。サムエルと同じようにナジル人としての誓いをしたサムソンは、サムエルとは好対照となっています。サムエルは生涯ナジル人の誓いを守り通して力強い人となりましたが、サムソンはあらゆる誓いを破り、神に仕えることができなくなった不幸な人物の典型となりました。(民数記第6章1〜21節




第1章20節

20節 彼女はみごもり、その時が巡ってきて、男の子を産み、「わたしがこの子を主に求めたからだ」といって、その名をサムエルと名づけた。


 サムエルという名前は、ヘブライ語で「神は聞きたもう」という意味です。この名は、ハンナにとってもサムエルにとっても、彼の誕生のときの出来事を思い起させるものとして大きな意味を持っていました。




第2章1〜10節

1節 ハンナは祈って言った、「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救いによってわたしは楽しむからである。
2節 主のように聖なるものはない、あなたのほかには、だれもいない、われわれの神のような岩はない。
10節 主と争うものは粉々に砕かれるであろう、主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、地のはてまでもさばき、王に力を与え、油そそがれた者の力を強くされるであろう」。


 ハンナの祈りから、彼女は偉大な信仰とへの愛を強く抱いていたことを知ることができます。「わたしの力は主によって強められた」と記されている部分は、子どもをもうける力を与えられたことを示しているものです。「岩」とは守りを表し、イエス・キリストイスラエルを悪からの守護者であることが、新約聖書に記されています(マタイ21章42〜44節)。10節では1節と2節の事柄が2つに合わさっています。メシヤは、神のあらゆる敵を粉々に砕く「油そそがれた者」です。そしてこのメシヤは強さを与えられて、その力は人々の前に表されるであろうとハンナは言いました。これは将来のメシヤであるイエス・キリストについて述べた旧約聖書中の代表的な文であり、ハンナに預言をする賜物が与えられていたことを示すものです。




第2章8節

8節 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、
乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、
王侯と共にすわらせ、
栄誉の位を継がせられる。
地の柱は主のものであって、
その柱の上に、世界をすえられたからである。


 地の柱に世界がすえられたという記述は、最近ある教会が公式見解を出したように、中世における迷信からそのように信じられていました。しかしこの時代にもこのような迷信が信じられていたかというと、そうではないとする説が有力のようです。ハンナがこのような表現を使用したからといって、文字通りそのようなことを信じていたわけではなく、これは神の力を表現するのに使った詩的な文です。古代人ほど原始的な考えを持つわけではなく、原始的な考えをする人ほど神の恩恵から離れていたと考えると、いかに中世の時代が悪辣なものであったかが分かります。




第2章12〜36節

12節 さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった。
16節 その人が、「まず脂肪を焼かせましょう。その後ほしいだけ取ってください」と言うと、しもべは、「いや、今もらいたい。くれないなら、わたしは力づくで、それを取ろう」と言う。
17節 このように、その若者たちの罪は、主の前に非常に大きかった。この人々が主の供え物を軽んじたからである。
22節 エリはひじょうに年をとった。そしてその子らがイスラエルの人々にしたいろいろなことを聞き、また会見の幕屋の入口で勤めていた女たちと寝たことを聞いて、
23節 彼らに言った、「なにゆえそのようなことをするのか。わたしはすべての民から、あなたがたの悪いおこないのことを聞く。
27節 このとき、ひとりの神の人が、エリのもとにきて言った、「主はかく仰せられる、『あなたの先祖の家がエジプトパロの家の奴隷であったとき、わたしはその先祖の家に自らを現した。
31節 見よ、日が来るであろう。その日、わたしはあなたの力と、あなたの父の家の力を断ち、あなたの家に年老いた者をなくすであろう。
34節 あなたのふたりの子ホフニとピハネスの身に起こることが、あなたのためにそのしるしとなるであろう。すなわちそのふたりは共に同じ日に死ぬであろう。


 犠牲の分け前として祭司が律法上受け取るのを許されていたのは、揺祭の胸部と足となっていました。これらを受け取れるのは、犠牲の脂肪を祭壇上で焼いた後です(レビ記7章30〜34節)。供え物をする前に犠牲の動物の肉を取ること、またそれを煮ることは、神の物を盗むに等しい行為と見なされます。さらに祭壇上で脂肪が焼かれ、祭司たちへの分が与えられた後に犠牲を捧げた人が煮た肉を求めることもできませんでした。エリの息子たちホフニとピハネスは、明らかにこの律法に反する行為を公然と行い、神の目に重大な罪として映っています。

 こうした悪い祭司たちの模範があったため、イスラエルの人々は神に捧げる供え物を敬遠するようになります。しかしエリの息子たちの罪は供え物に関するものだけではなく、幕屋の入口で姦淫を行いました。これは祭司の職権乱用であると言われています。モーセの律法の下では、故意に親に従わなければ死罪でした。そしてその親には、罰の執行を見届ける義務がありました(第21章18〜21節)。ホフニとピハネスは父親に不従順であることによってすでに重大な罪を犯しており、父エリは、親の責任と管理祭司としての職務を十分に果たしていないことが記されています。

 エリは息子たちを叱りましたが、叱るだけで家族内と幕屋での重罪について彼らを正そうとする行動は起さず、半ば放置してしまいました。その後1人の名前の記されていない預言者がエリのもとを訪れて、神はエリの家の行く末を宣言します。エリが神より息子たちを尊んだことをその理由として挙げました(27、29節)。ホフニとピハネスの事例は、神の儀式を軽んずる行為が重罪であると明言するだけではなく、神の真理を一度知った者がそれらをないがしろにすると、一般の人よりも激しい呪いが下ることを示しています。




第3章1節

1節 わらべサムエルは、エリの前で、主に仕えていた。そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。


 この時代に神の言葉がほとんど聞くことができなくなった理由を、ある教会指導者は次のように述べました。

 「これは当時、地上に一人の預言者もいなかったという意味である。主は預言者を通じて、預言者の個人的な経験か啓示かにより、主の御心を明らかになさるからである。あるとき、エリは自分の家で寝ていた。当時のエリはすでに目がかすんでいた。また少年サムエルも寝ていた。皆さん御存知のように、その夜、『サムエルよ』と呼ぶ声が聞こえた。そこでサムエルはエリが呼んだものと考え、エリの部屋に行ったが、エリは呼ばないということであった。そこでサムエルがもう一度寝に行ったところ、再び名を呼ばれた。こうして3度名を呼ばれた。このときまでには、エリも見えざる御方がサムエルに語りかけていることを悟り、こう言った。『もしあなたを呼ばれたら、「主よ、お話ください」と言いなさい。』

 そこでもう一度主に呼ばれたとき、サムエルは指示されたとおりに答えた。記録にあるように、『(このときまで)サムエルはまだ主を知らず、主の言葉がまだ彼に現されなかった。』 サムエルは主を認めた後、『しもべは聞きます』と語った。次いで主はサムエルに言われた。『わたしはイスラエルのうちに一つの事をする。それを聞く者はみな、耳が二つとも鳴るであろう。』 さらに主は、エリが主から言葉を受けることができない訳を告げられた。『その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。』 言い換えれば、エリは息子たちが神に不敬な態度を見せるのを許し、それによってイスラエルの人々を誤った道に導いたのである。」




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