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2000/ 6/28  序文追加



 ルツはモアブ人であって、イスラエル人のナオミとエリメレクの息子の妻です。すなわち、女性です。夫マロン(ルツ記4章10節)の死後、ルツはナオミの親戚ボアズと再婚しました。ルツとボアズの子オベデは、ダビデイエス・キリストの先祖に当たります。ルツの物語はイスラエル人ではない者が改心してイスラエルの群れに加わった過程を美しく描いています。ルツは自分の神や生活を捨てて、イスラエルの神に仕えて、信仰の家族に加わりました。

 第1章には、モアブでのエリメレクとその家族の生活が描かれていて、夫たちの死後ナオミとルツはベツレヘムに移りました。
 第2章には、ルツがボアズの畑で落ち穂拾いをしたことが述べられています。
 第3章にはナオミが、ルツに打ち場へ行ってボアズの足元で寝るように告げたことが書かれています。
 第4章は、ルツとボアズの結婚について記しています。この二人はオベデという息子を得ました。ダビデとキリストはこのオベデの子孫に当たります。




 ルツ記はかつて書かれた中で最も美しい物語のひとつと言われています。背景は、カナンの地の一部に政治的な混乱と道徳的な堕落があった時代ですが、つまらない箇所はひとつもなく、心を高め、また温かくしてくれる物語です。以下はこの物語の中に見られる地味な献身と従順の例です。


マロンとの結婚はルツをモアブ人からイスラエル人の生活様式へ導いた。
夫をなくした義母ナオミのもとにとどまるというルツの選択は、他の人々への無私の関心の好例である。
ルツとボアズが示した思いやりのある行ないは、その周囲の人々によい影響を及ぼした。
ルツの徳と誠実さは、高潔なボアズの心に強く訴え、ボアズはそれに対して親族としての責任を喜んで引き受けるとの意思表示をし、節度ある態度で応じた。
ボアズとルツの結婚によって王家の血統が起され、ダビデ王、そしてイエス。キリストを輩出するに至った。


 ある教会指導者はルツの例を挙げて、神が望む所へ行くために、自ら故郷を捨てて親族との絆を犠牲にした聖徒たちについて次のように言っています。

 「『有り難くもイスラエルの神は、我々を真理の原則を受けるにふさわしい者と見ておられる。』 あなた方はかつて遠く離れた自分の家でそのように心に楽しく思っていた。そして、これらの原則への従順はあなた方があの古の女性と同様の気持ちを持っているからである。彼女はこう言った。『わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。』そしてあなた方は命の律法の内に学び、神の御言葉に耳を傾け、ひとつの民、ひとつの国民となり、ひとつの霊にあずかり、自分自身と先祖と子孫を神の日の栄の王国の、永遠の受け継ぎに備えさせるために、シオンに集合している」。

 ローマ人への手紙第8章6節に、「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」とありますが、この宣言が真実であることは、サムソンとルツのふたつの対照的な物語の中で明らかになっています。預言者は、聖徒たちがキリストに倣った生活をする物に与えられる安らぎを見出せるように、常に腐心していました。ある教会指導者はキリストに倣おうとする人々に、呼び掛けています。

 「私たちは皆、常に家の中をきれいにするようにしているだろうか。私はわいせつな文学を排除することはできないが、私と家族はそのような物を買ったり、読んだりする必要はない。私にはいかがわしい商売をやめさせることはできない。しかし、名誉を危うくしたり、評判を悪くするような事柄から身を遠ざけることはできる。この国の離婚を大幅に減らし、破壊された家庭や失意の子供たちを皆救うことはできない。それでも、自分自身の家を楽しいところとし、幸福な結婚生活、そして天国のような家庭を築き、子供たちを正しく育てることはできる。

 道徳を基とする法律からの解放を叫ぶ声の高まりをとどめ、性的な放縦や堕落の深刻化に関する考えを全て変えることはできない。しかし、自分の家庭において、あらゆる気高い理想、標準に対する献身の気風を確立し、また、互いに助け合う幸福で霊的な家庭生活を築くための働きをすることはできる私には高い地位にある人々の汚職や不正な行為を一掃することはできないが、高潔さと真の誠実さで自分の心を満たし、正直でうそのない生活をし、家庭にもそのように教えることはできる。

 すべての同胞に、家族の祈り、家族の集会を行わせ、集会に出席させ、霊的で円満な生活を送るようにさせることはできなくても、自分の子供たちが幸福な家庭生活を味わえるようにすることはできる。子供たちは成長すると共に、自分たちの自由は家庭、信仰、清い生活、奉仕の機会にあることを理解するようになるであろう。そのことをキリストは、『そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』と言っておられる。我々が切に求める完全さの中で、正直さと誠実さに勝る重要な徳はない。だから、他の人を見る時に高く評価する内面的な特質を自分自身の中に養うために、完全な者となり、また挫けることなく、清く、誠実な者となろうではないか。」



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