ルツ記 研究解読



第1章1節 第1章16節
第1章22〜2章17節
第3章1〜2節



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第1章1節

1節 さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダベツレヘムを去り、モアブの地に行ってそこに滞在した。


 イスラエル人ヨルダン川を渡り、カナン中部の高地において、拘束的要素の少ない部族連合を形成してから、かなりの年月が過ぎていました。彼らは定植地を確立するにつれて、次第に遊牧民としての慣習を捨て去ってしまい、農耕的な生活様式を取り入れてます。しかし、彼らが置かれた状況は依然として不安定でした。北方の部族は、今だにカナン人の勢力下にあった城塞都市と絶えず交戦状態にあって、その上、アンモン人やミデアン人などの東からの侵攻に対する防御をしなければならないことも度々です。対照的に、イスラエル領土の南端を占めていたユダは比較的平穏な状態にあり、さばきつかさたちを悩ませた大きな戦いに巻き込まれることもなかったようです。

 ユダ族の人々は気候という別の種類の敵と絶えず戦っていました。彼らが所有していたのは、死海沿岸の半乾燥気候の起伏の多い高地です。通常ならこの地は肥沃で、小麦や大麦、ぶどう、オリーブ、いちじくなどをよく実らせていますが、時として干ばつあり、作物が枯れ、飢きんとなることがありました。そのような飢きんがあったある時に、ベツレヘムに住んでいたエリメレクという名のユダびとが妻のナオミとふたりの息子、ルツの夫マロン(4章10節)とキリオンを連れてその地を出て、彼らは死海の東の境にあったモアブという国へ行きました。死海沿いに100`ほどの道のりと言われています。




第1章16節

16節 しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。


 モアブ人はケモシという異教の神を信じていました。ルツと相嫁オルパがこの偽りの神を信じていたという記述はありませんが、ルツがイスラエルの神に改宗していたことは2つの節に示されています。ナオミに対する忠節と献身を表明した美しい言葉の中で、ルツはしゅうとめと一緒にいたいというだけでなく、ナオミの民を自分の民とし、ナオミの神を自分の神にしたいとまで語りました。後にボアズは、ナオミに対するルツの思いやりをたたえて、次のように言いました。

 「どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように。(ルツ2章12節)」

 これらはいずれも、ルツが改宗していたことを示しています。




第1章22節〜2章17節

2章2節 モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当たるならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミは彼女に「娘よ行きなさい」と言ったので、
2章17節 こうして彼女は夕暮れまで畑で落ち穂を拾った。


 当時刈り入れは、若者たちが麦の茎を手にたくさん握っては鎌で切りながら畑の全面を移動していくという大変な労働で、長い時間がかかりました。この刈束は1つに束ねられるときに、刈り手が忙しく動くに連れて穂が落ちてしまいます。慎重に時間をかけて仕事をすれば穂を落とさずにその分を集めることができ、落ち穂はそのままにしておくようにと言われていました。貧しい人々は食料が乏しいので、飢えを満たすためにこの落ち穂を自由に拾い集めてもよいことになっていました。また畑の端の鎌を入れにくい部分も鎌を入れずにおいておき、貧しい人々がそれを自分の物にすることも許可されています。働き手である夫や息子、子供たちを失ったナオミとルツはベツレヘムの貧者に数えられてしまいました。ルツは飢えを防ぐため畑に行って、落ち穂拾いをしようとしました。




第3章1〜2節
1節 時にしゅうとめナオミは彼女に言った、「娘よ、わたしはあなたの落ち着き所を求めて、あなたをしあわせにすべきではないでしょうか。
2節 あなたが一緒に働いた女たちの主人ボアズはわたしたちの親戚ではありませんか。彼は今夜、打ち場で大麦をあおぎ分けます。


 ナオミは忠実な義理の娘が再婚して、家族を持てるようにしてやりたいと願っていました。そのためにナオミが考えていたのが「レビレート婚」です。これはイスラエルで昔から広く行われていた慣習で、日本でも第2次大戦時頃までこの慣習を行う家族が度々見られています。申命記25章5〜10節には、イスラエルの家族で行われたレビレート婚の義務について述べられているものです。ここで表記されている「親戚」とは、ヘブライ語「ゴーエール」であり、正確な翻訳は「あがない人」となります。このゴーエールの役割は、家族も財産もなくした寡婦を以前の状態に戻し、扶養して家族を絶やさずに子供を持てるようにするものです。

 後の時代の預言者たちは、イスラエルの社会生活に関わる律法の中にこの言葉を借りて、の使わす御子の使命を表すのに用いましたが、その理由を理解することは難しくありません。



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