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2000/ 9/28  序文追加
2000/ 9/22  序文追加


 この書はパウロがローマで投獄されていたときに、ピリピの聖徒たちに書き送った手紙です。

 第1章には、パウロのあいさつと、一致や謙遜さ、忍耐についての教えが書かれています。
 第2章では、すべての者がキリストの前にひざをかがめるようになることや、また各人が自分の救いの達成に努めるべきことが強調されています。
 第3章には、パウロがキリストのためにすべてを犠牲にしてきたことが述べられています。
 第4章には、ピリピの聖徒たちの助けに対するパウロの感謝の言葉が書かれています。




 この手紙はパウロがローマで最初に投獄されていた時に書かれた最後のものであると考えられおり、紀元63年頃に書かれています。ピレモンへの手紙と同様に、ピリピ人への手紙もパウロの個人的な書簡のひとつです。この手紙は論文ではなく、キリスト教界への指針でもありません。それは数多くの福音の教えをつづり合わせた美しい言葉です。現在の聖書はこの手紙があることによって非常に大きな価値を与えられていると言っていいでしょう。この手紙はパウロが揺るぎない信仰を持っていたことを告げていて、彼はキリストに仕えるという堅い決心をしていました。彼が福音を宣べ伝える責任を勤勉に果たしていたことは、この手紙からも明らかです。福音の訪れと、救い主イエスを通してのみ神に近づくことができる(1ペテロ3章18節)、つまり神のようになるという喜びを宣言しています(ピリピ1章11節)。

 この手紙は友情と愛、信頼、助言、喜びについて記したもので、これはパウロの書いた手紙の中で最も喜びに満ちたものです。と言うのは、ピリピ人は信仰の篤い喜ばしい聖徒たちであると言われているからです。この自伝的な手紙から、パウロはピリピ人から心の平安と強さを得ており、更に、パウロが獄中でキリストのことを深く考えて、交わりを持っていたことがわかります。彼が忍耐をもって業を達成したときに、霊的に大きな報いを得ていることも知ることができます。




 パウロはある夜、示現の中でひとりの人を見ました。彼は「マケドニヤに渡って来て、わたしたちを助けて下さい(使徒16章9節)」と言ったので、パウロはマケドニアに向かって旅立ちます。ピリピはルカの記述よると、「マケドニヤのこの地方第一の町(使徒16章12節)」であり、ヨーロッパ大陸の中で最初に福音を受け入れた町でした。そして「紫布の商人」であったルデヤとその家族が、ピリピで最初に改宗しています(使徒16章14〜15節)。またパウロは神の力を使ってひとりの女性から悪霊を追い出していますが、そのことでパウロとシラスは迫害を受け、むち打たれて牢獄に入れられています。この迫害は二人がローマの市民権を持っていることがわかるまで続いています(使徒16章39節)。

 ピリピの町はマケドニヤ東部、パンガエウス山の麓、ローマとアジアを結ぶエグナティア街道に位置しています。パウロはこの道で初めて福音を宣べ伝えてから、ピリピ人へ手紙を書き送るまでに10年経過していました。ローマで投獄されたという知らせを聞いたことによって、ピリピの聖徒たちは、パウロのことを思い出したのか、彼らはエパフロデトという名の教会員に贈り物を託しています。彼らがエパフロデトをパウロと共に滞在させて、できる限り彼を助けさせようとしたことは明らかです。

 エパフロデトは、ピリピの聖徒たちを状況を詳しく伝える手紙を携えていったと思われています。ピリピ人へのパウロの手紙から、ピリピの教会員がキリストを信じる信仰を堅く保っていたことがわかります。パウロの手紙によれば、彼らの中には異端の教えはなく、また教義面でも儀式の面でも大きな過ちはなく、またこの手紙には叱責の言葉がひとつもありません。ユダヤ教の律法主義については述べられていますが、これはただの注意であって実際には聖徒たちの脅威とはなっていませんでした。エパフロデトが帰国することになった時、パウロはピリピ人への手紙を彼に託しました。



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