旧約聖書の神は誰か 進化論 バビロニアとユダ征服
旧約聖書の象徴と表象 古代のユダヤ暦 ユダの滅亡と補囚

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 旧約聖書の歴史と文化は、現在のものから遥かにかけ離れています。書によってはモーセの律法に関する詳細な記述がありますが、その中で儀式については既に目的を達してしまっているものや、回復された儀式にとって代わられたものがあります。その結果、旧約聖書の中の長々しい系図や人口統計、廃止されている儀式の細かい記述といった部分は重要性が低いとみなされています。また旧約聖書には、翻訳から生まれる独特の言い回しによって読みにくさがついてまわります。実際にキリスト教関係者に、多少慣れ親しんだ物語があっても全体を通して読んだことがないと言う人が多いのもその為です。

 しかし聖書の中の予言者達は、旧約聖書は人が神を知る上で非常に貴重な助けになると言っており、その価値を絶えず強調しています。使徒であるパウロは現在旧約聖書となっている書物について次のように言っています。


旧約聖書は、人が救われる知恵を与えることができる。
旧約聖書は、神の霊感を受けて書かれた。
旧約聖書は、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに欠かせないものである。
旧約聖書は、神の人が、あらゆる良い業に対して十分な準備がてきて、完全に整えられた者になるための助けとなる。


 真鍮版の中の予言者の一人であるニーファイが、神の指示によって家族を約束の地に連れて行くために船を造ると言った時、反抗的な預言者の兄達は彼の考えを嘲笑しています。またこの預言者は真鍮版に書かれていた事を使って兄達をいさめた記述があります。この記述とは現在の旧約聖書中のイザヤ書であって、真鍮版には旧約聖書があちこちに抜書されています。彼はこの真鍮版の中からたくさんの教えを民に読んで聞かせたと書かれています。そのなかにはイザヤ書の他に、モーセの5書も含まれていました。


これは旧約聖書がかなり昔にアメリカ大陸に渡っていた事を証明しています。


 キリストはモーセについて証をしており、同様にモーセもキリストについて証をしています。現代の聖書を読む限り、モーセの語ったこの証についての記録はあまりありません。しかし、キリストの時代の人々が手にしていた聖典の中には確かに記されていたと考えられます。誤訳がある場合を除いて、聖書の各書が互いに矛盾していないことや、時代を隔てて与えられた啓示の内容がことごとく調和していること、予言者たちの言葉がその生活した時代や場所に関係なくキリストについて証をしていることなどは、本当に聖書を理解しようとする人々の思いを奮い立たせてくれることでしょう。

 キリストは人々に聖典を、現在でいう旧約聖書を読むように強く勧めていました。彼らの崇敬する予言者たちが、たとえ遥か昔の予言者であろうとも、皆キリストの降臨についてはっきりと予言したという点をよく調べてみるように言っていて、聖書の中で実際に予言者たちは、キリストについての証をしています。そしてモーセもそのなかのひとりです。キリストは、モーセの言葉からも他の予言者たちの言葉からも引用してしています。


聖書全体にわたり、キリストが自分自身について書いてある事を説き明かしていることに注目してください。


 深く解釈すると、旧約聖書はキリストに関する言葉で満ちていることがわかります。しかもそれが皆、キリストこそただ一人の救い主であるという事を言っています。律法はキリストについて教える養育掛であり、様々な予表はキリストの影であり、数々の予言はキリストについての予告と言えます。旧約聖書の歴史は、全体にわたってキリストに関する言葉でほぼ満ちています。イサクやヨセフといった人物の中に、キリスト自身をうつして見ることのできない人が多分いることでしょう。しかし、イサクがいけにえとして捧げられようとした話や、ヨセフが売られて、兄達の食料を確保するための準備をした話などは、キリストの生涯の出来事の予表であるという点を否定する人は少ないと思われます。


すべての出来事はキリストを指し示しており、創世記から考えると、キリストは全歴史の初めであって、中核であり、終わりであり、昨日も今日もいつまでも変わる事がありません。


 金版の最初の部分には、先住民の予言者に与えられた示現の記録があります。それによると、聖書に初めに書かれたままの誰にでもわかる部分が異邦人に広く行き渡らないうちに取り去られてしまったことが書かれてあり、その結果が現在の数々の宗派の教会が存在する理由になっています。このことから言えることは、


当初の旧約聖書は現在のものほど断片的ではなかったということです。


 最初に書かれたものには現在の聖書よりはるかに多くのことが書かれていました。しかも、福音を古代のどの民族にとっても解りやすく書き記していたため、頑なな人であっても現代のように迷うことはなかったものと考えられます。それがどのような書物であったかは正確にはわかりませんが、発見された書と聖書を研究するとかなりのことが見えてきます。最も注目しなければならないことは、


最初に書かれたままの旧約聖書はキリストを証しているものであるということです。


 そこにはキリストの福音が、古代のどの神権時代の民族にも宣べ伝えられた記録が載せられていました。その当初の旧約聖書が現存していたら、神(キリスト)についての極めて強力で確実な証を人類に伝えていたことでしょう。

 聖書の製作者は、人や悪魔の様々な破壊工作や妨害工作の中でも、その神聖な教義の真髄だけでも伝えられるように創っています。その方法というのは、霊的な真理を比喩や象徴的な表現で覆って、予言の力を持つ者によってのみ解き明かしができるという方法です。これは「予言のみたま」と言われていて、黙示録19章10節に書かれており、非常に重要な部分は簡単な表現方法を使わずに記録され、利己的な考えを持って聖書に変更を加えようとした人達が隠された部分の意味を理解することもなく、見過ごす結果となりました。


こうしてキリストの教えの大部分は、神の敵の目から隠されつづけています。


 地位、名誉、権力、金銭などに執着のある人は「神の御霊の賜」、すなわち「神の霊感」を受けることができないと書かれています。できないと言うのは、自分から拒否や否定をするような状態になることを指しています。なぜなら、彼らにとって「神の霊感」は愚かなものに見えるからです。


聖書の創作過程で様々な問題があったことは確かですが、たとえ翻訳者たちが聖文の意味を弱めてたとしても、また、誰にもでもわかる貴い部分が多く削り取られたとしても聖書は今現在も、その読者にとって霊感と奇跡と警告とに満ちた、人類に対する「指針の書」といえます。




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