ヨハネの黙示録 第13〜15章研究解読



第13章11〜18節
第14章6〜7節



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2006/ 6/ 2  第13章11〜18節 追加
1999/ 3/23  第13章11〜18節、第14章6〜7節 UP



第13章1〜10節

重要事項につき研究中

この部分はダニエル書にも関係があると考えられます。


1節 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
2節 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
3節 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚き恐れて、その獣に従い、
4節 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
5節 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
6節 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
7節 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
8節 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
9節 耳のある者は、聞くがよい。
10節 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。




第13章11〜18節

11節 わたしはまた、ほかの獣が地から上ってくるのを見た。それは小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
12節 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
13節 また、大いなるしるしを行なって、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
14節 さらに、先の獣の前で行なうのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
15節 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
16節 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ
17節 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
18節 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。


刻印に関する詳しい現実的な説明はこちら  


 この獣とはこれから登場するある人物を指しています。背後には龍であるサタンがついており、その龍の持つ力を与えられ様々な奇跡を人々の前で「わざと行なう」事をし、それを見た人の心を捕らえます。この人物は最初たくさんの人々に受け入れられますが、その後に後悔することになります。 それは、この人物に従わない者は非常な窮地に追いやられてしまうからです。獣は一人で世に出てくるわけではなく、ある世界的に大きな規模を持つ「キリスト教」の支持あるいは融合という形で現れてきます。その教会は一見キリスト教に見えますがキリストを拝んでおらず、キリストではない「像」をたくさん造って各教会に置き、皆それを拝んでいます。それらの教会の本部はイタリアにあります。その内部は金銭や権力を求めるがあまり完全に腐敗しており、献金や寄付の金額が大きいほど「救われる」ということになっています。

 日本で起きた奇跡の中で、この教会に属するある教会の像が「血の涙」を流したことで有名になりましたが、実はそこの「管理者」の血液型と成分が一致していたという事が判明しています。明らかなトリックですが、しかし、龍と獣とは闇の力の使いおそらくこれの事を奇跡的にやってみせるでしょう。これらのことの土台となることが起きる時期は、1999年8月のある木曜日と言う説があります。もしこの時期が本当なら、獣は将来「木曜日を聖日」として、あらゆる宗教に圧迫をかけることになるでしょう。(エゼキエル第9章5〜8節、イザヤ第24章2節)。

 また、この部分は象徴が多く、理解するにはとても難しいものであり、いくつかのキーワードを理解する必要があるでしょう。モーセがイスラエルの民を率いてエジプトを脱出したときの出来事がヒントになるかもしれません。以下の表は出エジプト記から引用してこの11〜18節に当てはめたもので、上記の獣=人とは違っている見解に注意して下さい。


ほかの獣が地から上ってくる 「ほかの獣」というのはこの前に記されている、「角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた」獣とは別のもので、前者は多国からなる統合国家です。ここでいう「獣」は統合国家と全く別の存在と考えられます。
小羊のような角が二つあって 紅海割れという大いなる奇跡を体感したにも関わらず、古代イスラエルは金の子牛を作ってそれを神の代わりと見なしました(出エジプト32章1〜6節)。一連の奇跡は誕生したばかりの金星の影響によるものであり、今回の出来事も巨大な彗星が地球に接近するものと考えることができます。「2つの角」とは、彗星から延びる2つの帯が角のように見えるからでしょう。
龍のように物を言った ここでいう龍のようにとは、龍のような大きな生き物が発するであろう音であると推測しています。巨大な彗星が地球に接近すれば様々な影響を地球本体に及ぼすので、地震や地鳴り、火山活動の活発化があちこちで多発し、事あるごとに大音響が響き渡るとも考えられます。その轟音が「龍が物を言っている」ように聞こえるのでしょう。
先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた 天空に大きく広がる巨大彗星を、先の獣である統合された大きな国はそれを自分たちのいいように利用します。恐らくこの奇跡的な現象を取り込み、さも自分たちに関係があるかのような振る舞いをするのでしょう。あるいはこの巨大彗星を「神」とするのかもしれません。
地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた 統合国家はあちこちで紛争を起こしますが、その内の1つは手痛い敗北を味わうも、奇跡的な復興を遂げます。それにより、歯向かう事は無駄であるという印象を植え付け、反乱する国家を屈服させるとも考えられます。
人々の前で火を天から地に降らせることさえした 巨大彗星は多量のちりや小隕石を引き連れています。これが地球軌道上を通過すると大量にばらまかれた小隕石群に突っ込むので、地球には大流星雨が起き、燃え尽きなかったものは地上まで落ちてくるでしょう。これを地上からみれば、火が落ちてくるように見えます。あらかじめこれらのことを知っている統合国家の「祭司」は、あたかも自分たちの呪文や儀式で火が落ちたかの様に民衆に見せ付けます。
先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた この巨大彗星は地球に甚大な影響を与え、惑わす者どもによって人民の心理は悪用され、全地球の人はもはや無視できないほどにまでなっていることでしょう。ほぼ地上の国家という国家を掌握した統合国家は、その影響力を持って統合国家を象徴する像を作ることを命じると考えられます。
その獣の像が物を言うことさえできるようにし この像には巧妙な細工が施されており、必要に応じて生きているかのような振る舞いをさせることができます。
その獣の像を拝まない者をみな殺させた 多くの人が細工された像を拝み始めるのに対して、思慮深い人はこれらのからくりを見破ったり、神の霊感を受けたりしてこの像を拝するのを拒否します。しかし、公開処刑など見せしめの為に多数の人が殺されるという、残虐な仕打ちを民衆に見せ付けるかもしれません。
すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ 民衆に、獣の像を拝まなければどのような仕打ちが待っているかという心理状態を浸透させることに成功すると、拝む印として刻印を体に入れさせます。
刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした 刻印を拒否した人は、人としての生活基盤を強制的に奪われます。安心感と優越感は、多少の拒否する心を吹き飛ばすほど強烈に人の心を動かすでしょう。しかし拒否した人々は、神の力と知恵によって難を逃れる術を見つけます。この期間が終わる3年半を屈することなく耐え抜いた人々は、キリストと共に福千年を生きることが保証されています。また、拒否したことによって死を受けた人は再臨と共に蘇ります。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである 多くの国家を統合し、多数の人民をその支配化に置くことを成功させた一族は、自分たちの信ずる神の奴隷としてある数字を崇拝しています。
その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である この666という数字が実際にどのような形で現れるのか、諸説あります。暗喩として意味を封じ込めているのか、また直接的に666の数字を使うのか、と意見が分かれますが、そのどちらでもあると考えたほうがいいのかも知れません。国民総背番号制度など、刻印に近い制度は着々と進んできました。今この時期から知恵と思慮を持って生きるべきです。




第14章6〜7節

6節 わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、


 ほとんどの聖書学者は末の日における神の業を否定しているため、この最も重要ともいえる部分を軽く考えています。彼らは、現代における預言や啓示を認めず、「自分の説」を人々に伝えて認めさせようとする傾向にあります。よくよく考えると、人類史上最も人口が多いとされるこの時期に、何も神からのメッセージが与えられないというのも、聖書を否定することになります。旧約にしろ新約にしろ、現在からは数千年も前の出来事であり、時代背景も文化も文明もまるで違うこの時代に、「人を愛している神」はなんの啓示も指示もださないのでしょうか。はっきり申し上げて、それらのような事を勧めたり支持したりする人々には失礼ですが、「悪い所から来ている考え」と言わざるを得ないでしょう。

 彼らはエゼキエル書37章15〜17節の意味を説明できず、第一コリント人手紙15章29節にある死者のためのバプテスマも説明できず、同書15章41節日の光栄月の光栄星の光栄も説明できません。

 創世記に「生めよ、増えよ」とあるのに無駄に独身を貫き、「偶像を拝むな」と他の宗教に対して圧迫しておきながら自分たちは自分たちの偶像を拝んで「善し」としています。聖書の中から自分たちに都合のよい所を人々に伝え、都合の悪い所は触れずあいまいな解釈で済ませています。霊を否定する人たちは、キリストが霊の住む場所であるパラダイスが存在することを十字架上で言っているのを認めているのに、そのような物はないと断言します。彼らは彼らの説ですでに自滅しており、それすらも自分で納得できずに富と名誉と権力を貪り、自分自身の行為が判らなくなっています。1コリントに、「なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。『神は知者たちをその悪知恵によって捕らえる』・・・(3章19節)」とこのように記されており、事実その通りになっています。同様の部分は、1ペテロ3章18〜20節4章6節にあります。

 思うに、彼らは「恐れている」のではないでしょうか。自分の悪い所が世間に知れ渡り、地位や名誉が失われる恐怖感にさいなまれているのではないでしょうか。すでに中空を飛ぶ御使いは来ています。モーセや、エリヤガブリエル、そのほかのキリストの再臨に備えて教会を建設する任にある天使たちはすでに来ており、キリストの教会は回復されています。これらの事を正式に発表し、キリストの業を遂行している教会はただ一つしかありません。これはどういうことでしょうか。聞く耳のある人は、ヤコブ第1章5〜6節を読んでから、書かれていることを実行してみて下さい。



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