7つの教会 | 黙示録概略表 |
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2008/ 1/14 | 7つの教会 追加 | |
1999/ 3/17 | 概略表 追加 |
1999/ 2/22 | 追加文、7つの教会UP |
新約聖書の最期の書で、ゼベダイの子ヨハネに与えられた啓示が載せられています。 黙示録とは、パトモス島に流刑にされた使徒ヨハネが、紀元95年頃に、教会の7つの支部にあてて書いた啓示の書です。ヨハネは世界の歴史、特に終わりの時の状態を見ることを許されています(1章1〜2節)。彼は主の日にパトモス島でこの啓示を受けていますが(1章9〜10節)、このパトモス島はエペソからそれほど離れていません。この啓示が与えられた正確な日時はまだ不明です。黙示録には、この世のすべての時代におけるキリストと人との関係が描写されています。特に、現代の人のために、キリストの再臨、人類の裁き、悪人の滅び、サタンが縛られる福千年、日の光栄の状態となる地球の事が詳細に記されています。 第1〜3章には、この書の序文とアジアの7つの教会への手紙が記されています。ヨハネは聖徒たちが幾つかの問題を解決できるように、助けを与えるためにこの手紙を書いています。 第4〜5章には、神とキリストの尊厳と義なる力を示す、ヨハネが受けた数々の示現が記録されています。 第6〜9章と11章でヨハネは7つの封印で封じられた巻き物を見たことを記録していて、それぞれの封印は地球の現世の歴史の各千年間を示しています。これらの章には、第7の封印に含まれる出来事が主に記されています。(8〜9章、11章1〜15節) 第10章には、ヨハネが食べた巻き物のことが述べられており、この巻き物はヨハネの将来果たすべき使命を象徴しています。 第12章には、サタンが天で背いて投げ落とされたときに始まる「悪」についての示現が記録されています。天で始まったその戦いは、今現在も地上で続いていると言われています。 第13章、17〜19章でヨハネは、サタンに支配された地上の諸々の邪悪な王国につて述べて、悪の最終的な滅亡を含めて、それらの国々の行く末を記録しています。 第14〜16章には、キリストの再臨の直前に悪のただ中にあって義を守る聖徒たちのことが書かれています。 第20〜22章には、福千年と新しいエルサレムの都や、地球の歴史の最期に起こる出来事が書かれていいます。 ヨハネはローマで熱いオイルの入った大きな釜に投げ込まれ、奇跡的に脱出しますがパトモス島に幽閉されました。彼は唯一残った使徒で、死ぬことなく現在まで生き長らえており、行方のわからない10部族とともにイスラエルの集合の準備をしていると言われています。 |
各章の概略表 |
1〜3章 | 各支部への啓示の手紙 |
4章1〜11節 | すべての被造物が主を礼拝する |
5章1〜14節 | 封じられた7つの書 |
6章1〜2節 | 第一の封印:エノクの業 |
6章3〜4節 | 第二の封印:大きな戦争 |
6章5〜6節 | 第三の封印:地を襲う飢饉 |
6章7〜8節 | 第四の封印:死、地獄、戦争、飢饉 |
6章9〜11節 | 第五の封印:キリスト教徒の殉教 |
6章12〜17節 | 第六の封印:時のしるし |
7章1節 | 福音の回復 |
7章2〜8節 | 144,000人に印を押すエライヤス |
7章9〜17節 | 昇栄を得る全国の義なる聖徒 |
8章1〜13節 | 第七の封印:火と荒廃 |
9章1〜21節 | 戦争と災い |
10章1〜11節 | 万物の回復を助けるヨハネ |
11章1〜14節 | エルサレム:殺される二人の預言者 |
11章15〜19節 | キリスト、全地を治める |
12章1〜17節 | サタン、天と地で戦争をする |
13章1〜10節 | サタン、この世の王国を治める |
13章11〜18節 | 奇跡を行う悪魔の教会 |
14章1〜5節 | 小羊、シオンの山に立つ |
14章6〜7節 | 天使により回復される福音 |
14章8〜11節 | 邪悪な者を待ち受ける永遠の苦しみ |
14章12〜13節 | 義なる聖徒たちは、死後平安を得る |
14章14〜20節 | 人の子は他の刈り入れを行う |
15章1〜4節 | 昇栄した聖徒たちは、永遠に神を賛美する |
15章5〜8節 16章1〜11節 |
7人の御使、邪悪な者に災いを下す |
16章12〜16節 | 国々の民がハルマゲドン(ハル・メギド)に集合する |
16章17〜21節 | 人類史上最大の地震のため島々は逃げ、山々は見えなくなる。キリストの再臨 |
17章1〜18節 | 憎むべき大教会 |
18章1〜24節 | 大いなるバビロンは倒れる |
19章1〜8節 | 小羊の婚姻の大歓声 |
19章10節 | イエスの証、預言のみたま |
19章11〜20節 | 最後の大戦争、大いなる神の宴会 |
20章1〜3節 | 福千年の間しばられるサタン |
20章4〜6節 | 聖徒たちは生きて、キリストと共に治める |
20章7〜10節 | 悪魔とその軍勢は永遠に投げ出される |
20章11〜15節 | 自分のした行いに応じて裁かれる死者 |
21章1〜6節 | 地球は楽園の栄を受ける |
21章6〜7節 | 人々は神の子となることができる。 |
21章8節 | 第二の死 |
21章9〜27節 | 地球は日の光栄の状態となる |
22章1〜5節 | 聖徒たちは神々として治める |
22章6〜16節 | キリストはふさわしい聖徒たちを祝福するために来る |
22章17〜21節 | キリストのもとへきなさい・いのちの水 |
※預言の対象の時期や年代は、章の順番とは違う所があります。 |
現在のトルコの海岸からそれ程離れていないエーゲ海に、パトモスと呼ばれる岩ばかりの小島があります。この荒涼とした小島は、ローマ時代には政治犯や野心家、その他のローマ帝国にとって都合の悪い者たちの流刑の地として格好の島と言われました。イエスの愛弟子として知られている使徒ヨハネも、紀元1世紀の終わり頃にこの小島に流され、今から約1900年前のある日曜日に復活したキリストが訪れたと言われています。その復活したイエスがヨハネの前に立ち、恐れのあまり倒れて死人のようになっているヨハネに、「恐れるな。わたしは初めであり、終わりであり、また、生きている者である・・・」と言いながらヨハネに触れて、これから彼が受ける事柄を書き記すようにと命じました。そしてヨハネは「黙示録として知られる書」を記す事になりました。 手紙の宛先になっている当時の聖徒たちは、現代の聖徒たちと大した違いはなかったと考えられていて、彼らも笑い、愛し、悩み、礼拝し、泣き、諭す同じ聖徒であったはずです。今日の聖徒たちと同じように、男性は教会を管理して指導し、女性は男性を支持して助けて、若者は新しい証と希望を持ち、子供たちは元気に遊んでいたことでしょう。しかし、当時と現在とでは非常に違った一面がありました。それは、現代の聖徒らは平和に生活しており、人々から受け入れられていることです。人が、「私にはキリストのために命を捧げる信仰があるのだろうか」などと自問する時は、ほとんどの場合それは理論的で現実味のないことでしかないのが現状です。ですがヨハネの時代には、それはかなり身近な現実のことです。 当時の聖徒らは、ローマ皇帝を礼拝するように強制した政府の意図を知っていたと思われ、また、ローマ軍が近づいてくる音を耳にした時、大きな恐怖が訪れることも知っていました(マタイ24章15〜22節)。現在までに判っている事によると、ヨハネがパトモス島に流された時には、すでにペテロは十字架につけられ、パウロは打ち首にされ、バルトロマイは生きながらに皮をはがれ、トマスとマタイは槍を体に突かれて殺されてしまい、生き残っていた使徒は、ヨハネただひとりでした。ほかの使徒は全員、彼らの信仰のゆえに暴力によって殺されてしまっています。当時すでに、ネロが大勢のクリスチャンを磔にして血に飢えた群衆が、今も観光場所としてイタリアに現存する大円形競技場の中で血に酔いしれていたことが、教会の史実となっていました。 彼らは現代の聖徒らのように、家庭や家族、友人との楽しい平和な生活の理想などはあっても夢のまた夢となってしまい、日々恐怖と戦い脅えていました。何度自己を見つめて、自分の証と決意の確認を強いられてことでしょう。多くの聖徒たちが、「神は本当に生きているのだろうか」と、問い掛けていたに違いありません。しかし、パトモス島へのキリストの訪れは、神やキリストが実在の存在であることを、ひとり使徒ヨハネに確信させるだけのものではなく、それは教会歴史中、最悪とも言われる時代に住んでいた聖徒たちへの、神からの啓示であるということです。現在20世紀の慰めと平安を受けている人々は、パトモス島から与えられた慰めと勇気を完全に理解することはおそらくできません。 通常では、ヨハネの黙示録のことを不可思議な業であると考えるのが一般的ですが、当時の聖徒たちにとって、それは栄光に満ちたものでありました。というのも、それによってキリストの輝きが訪れて、恐怖の暗黒が霧散し、また実際に救い主であるという存在が実在の人物であり、聖徒たちをなお愛していて、悪の軍勢に勝てる力を持っていることが明らかにされたからです。ヨハネが最初に語ったように、
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7つの教会 |
黙示録として知られているこの記録の直接の受取人は、エペソ、スルミナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤのアジアの7つの教会です。しかし、これらの教会が選ばれた理由は明らかにはされておらず、別にアジアの他の地域に支部がなかったからというわけではありません。なぜなら、トロアス(使徒行伝20章6〜12節)やコロサイ(同1章12節)、ヒエラポリス(コロサイ4章13節)に聖徒たちがいたことが新約聖書から知られているからです。また、これら7つの教会が、アジアの中で最も重要な都市にあったというわけでもなく、それでもエペソやスルミナ、ペルガモはかなり大きな町であり知名度も高かったようですが、テアテラやヒラデルヒヤはそれほどでもありませんでした。 多くの人々が考えているように、もしもヨハネが紀元1世紀の終わりの数年間、エペソに住んでいたとしたら、7つの教会についてよく知っていたのではないかと考えられます。また、使徒として教会の職務に従事する立場にあったことから、ヨハネはこれらの教会の聖徒たちに勧告を与える権能を保有していたと思われています。新約聖書地理学の著名な学者であるラムゼー卿がかつて語ったところによると、ヨハネが啓示を告げた7つの都市は、アジアを貫く大きな環状道路上に位置していたようです。エペソを出発して、名前の挙げられた順にこれらの都市を巡ると、環状道路を行くことになります。アジアには他にも教会の支部がありましたが、ヨハネが啓示を受けた当時にはすでに他の支部は背教してしまっていて、これらの7つの支部だけが忠実な支部として残っていたと考えられています。 パウロは殉教直前(紀元68年)に、テモテに次のように書き送っており「アジアにいる者たちは、皆わたしから離れて行った。」(テモテへの第二の手紙1章15節)、また7つの支部でさえも(紀元95年)、悔い改めを必要とする状態にありました。特にエペソの教会に対して、キリストは「悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。」と言っています(黙示録2章5節)。 もうひとつ重要な事は、
キリストがヨハネに書き記すように指示した目的のひとつは、末の日に起こる出来事、すなわちヨハネが見た多くの事柄の成就する時代を理解させることにありました。言い換えると、黙示録はアジアの7つの教会の聖徒のためだけでなく、今現在の聖徒、または人類のためにも与えられた物であると言えます。 下の表は7つ教会に送られた、手紙の送り主であるイエス・キリストが自分を表した言葉と、各教会に述べられた祝福とをまとめたものです。特に祝福に関するものは、福千年以後の状態を表しているものと同様なので参考にするとよいでしょう。それらは「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」という言葉で完結しています。これらは7つの教会に宛てられたものですが、その内容は神の御霊に耳を傾ける人に与えられる祝福であり、遥か2000年前の人々たちだけでなく、現代においてもこれらの祝福は約束されているものです。 |
エペソ |
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スミルナ |
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ペルガモ |
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テアテラ |
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サルデス |
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ヒラデルヒヤ |
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ラオデキヤ |
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耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。 |
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