「ナチス絶対悪」のユダヤ戦略



倫理なき狂気?
ヒトラーの民族利益構想
天文学的数字のインフレ

日米経済戦争のモデル 虐殺責任回避不可のヨーロッパ諸国 600万人虐殺の真偽



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2000/10/10 UP




倫理なき狂気?


 かつて、ナチス・ドイツを指導したヒトラーは今日では悪の権化、悪魔そのものだという評価が与えられており、 「ユダヤ人殺し」の張本人などとも言われています。ここでヒトラー、あるいはドイツを考える時に、一つの疑問が生じてきます。それは、


世界で最も倫理的に物事を考えることのできるドイツ人が、なぜ多くのユダヤ人を
殺したのだろうかという疑問です。


 こうした問いについては常に「狂気の独裁者」という言葉が対置され、そして、一人の異常心理を持ったカリスマのミステリアスな魅力に、我を忘れて引き込まれて行く民衆の集団幻想と言った、社会心理学的な説明もされています。あるいは、独裁には常にそうした危険が伴う、真実を知らされない民衆への巧みな宣伝によって、独裁者は思いのままに振る舞い、人々を操作する事が可能となり、そうした状況の中では、人間は通常では思いもよらないことをやってのけるものだ、などと説明づかされています。
 いずれもあり得ないことではありませんが、しかしそれだけでは疑問は氷解しません。つまり、


殺す側の倫理が見えていないからです。


 虐殺する側の倫理などいかなる場合でも認める事ができないとしても、果たして「倫理なき狂気」として見る事が正当なことでしょうか?。それは正しい意味でのナチス・ドイツ、ヒトラーへの批判とはならないものであり、またスターリン同様、ナチス・ドイツも、国際主義の流れに逆らった例として見る事ができることでしょう。



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ヒトラーの民族利益構想


 冷静に歴史をひもといてみればわかるように、ヒトラーは「ドイツ民族のためのドイツ」をその政治目標にしました。決してよく言われるように、ユダヤ民族の抹殺を目標にナチス・ドイツを指導したのではありません。ヒトラーの目的は、


なによりもまず「ドイツ人の財産である社会資本をドイツ民族のために使おうではないか」
というものです。


 ドイツは、第一次世界大戦の敗北によって、当時どん底の状態にまで落ちていました。ベルサイル条約で課せられた莫大な戦争賠償金のために働いても働いても、利益は全て戦勝国に吸い取られてしまいます。そうした、まさに西欧列強国のために働かざるを得なくなった状況下のドイツで、ヒトラーは「ドイツ人の血と汗の結晶はドイツ人のために使うべきである」と主張しました。それは別な言い方をすれば、「ドイツ人のためのドイツなのだから、他の民族はこの国の経済を支配しないでくれ」という、民族利益の主張です。この主張が、国際主義的な考えを持つユダヤ人たちと衝突したのは当然のことと言えます。

 その大戦の敗北でドイツは全てを失いました。かつてのドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国は、東ヨーロッパ一帯に及ぶ広大な領土でしたが、しかし大戦後はその一帯から、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアなどの独立国家が次々と誕生していきました。それもまた当然のことでしょう。しかし問題は、その新しい諸国家にの内側に、1600万人にも及ぶドイツ人が含まれていたということです。それぞれの国が民族国家としての色合いを深めて行く中で、ドイツ人たちは自らの民族がいくつもの国家に分断されているということを意識させられていきました。ヒトラーはこう言いました。


「同胞が異国で苦しんでいる。我々は断じて手をこまねいているわけにはいかない。
民族自決を行使しなければならない。一民族、一国家・・・」


 これは1938年、オーストリアとチェコを併合する直前、ドイツ議会で行われた演説の一部です。かつてオーストリア・ハンガリー帝国の主人公であったドイツ人たちは、大戦後はチェコ人に主人公を取って代わられ、一変して被支配階級へと落とされる危機に直面していました。建国後の主人公が自分たちであることを示そうとするチェコ人との間で、衝突事件が絶え間なく続いてしまいます。1938年10月、ナチス・ドイツがチェコのズデーデン地方を併合した時、そこに住んでいたドイツ人たちは、パレードするヒトラーを紙吹雪と喚起の声で向かえました。当時の記録ファイルには、感激にむせび泣く婦人たちや、ドイツ軍兵士と肩を抱き合って喜びを分かち合うドイツ市民たちの姿を、画面至る所に写っているのが確認されています。

 この延長戦上にオーストリアの併合がありました。日本では、ヒトラーがチェコとオーストリアを侵略したと教えられていますが、そこにはこのような民族の問題があったわけです。



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天文学的数字のインフレ


 第一次大戦後のドイツの国民生活の実情を、今日使用されている西ドイツの中学校の歴史教科書には、次のように書かれてあります。「それは恐ろしいことであった。われわれが賃金を受け取る間隔はますます短くなった。はじめは月ごとに、それからは週ごとに、それから後はほとんど毎日のように、紙幣はますます多くなり、金額はますます大きくなった。しかしそれによって手に入れられるものはますます少なくなっていった。会社は毎日のように洗濯かごや旅行カバンで銀行から紙幣を受け取った。金の価値がすぐになくなったので、農民も商人も売る必要がない場合には一人として物を売ろうとはしなかった。品物だけが価値があって金には価値がなかった。」。

 「最も惨めなのは年期生活者と老人たちであった。彼らはそれまでの間、老後に備えて金を銀行に預金していた。恐らく彼らは5万マルクの貯金を持ち、その利子で生活しようと望んだ。その後彼らがその預金で手に入れたものは僅かにボール箱1つのマッチ棒にすぎなかった。多くの老人が当時、絶望して自殺した。祖父は一軒の小さな家を持っていた。今や彼は、家の回りでガヤガヤ騒いでいる数千人の人々を見てすっかり慌ててしまった。彼はまったく利口なことだと思い込んで自分の土地を2万マルクで売った。彼は昔それを1万5000マルクで買っていたのである。しかし半年後に彼が手に入れたものは、僅か4分の1ポンドのバターにすぎなかった。」

 これはヒトラーが政権を握る10年前のドイツの実情です。ドイツの教科書によると、1922年11月に163,15マルクで買えたパンが、1年後の1923年12月には、実に399,000,000,000マルク(3990億マルク)となっており、人類史上最高の天文学的インフレだと言っていいでしょう。ジャガイモ1キロが9000億マルク、卵1個が3200億マルク、牛乳1リットルが3600億マルク、バター1ポンドが2兆8000億マルクになり、失業者はうなぎ上りに増え続け、帰還兵士がもあふれかえり多数の自殺者が相次いでいます。1921年には35万4千人だった失業者が、1926年には200万人、1932年には550万人に膨れ上がりました。ドイツは毎年のように外国からの借金に頼るしかなく、そしてそれもまた、年毎に膨張していきます。

 どのくらいの借金があったのかを表に記しました。


1924年 ・・・ 25億ライヒスマルク
1925年 ・・・ 50億ライヒスマルク
1926年 ・・・ 75億ライヒスマルク
1927年 ・・・ 100億ライヒスマルク
1928年 ・・・ 150億ライヒスマルク


 そして1929年、世界大恐慌が始まりました。外国の債権者たちは、すぐに利子を含めて借金を全額返済するようにと、一斉に要求を突き付けてきました。その借金の半分が短期供与で、改訳通告があればすぐに返還しなくてはならないものです。ドイツは超インフレで失業者の溢れる中、突如として数十億ライヒスマルクを返済なければならなくなり、こうして病めるドイツは完全に再起不能の状態へと落とされていきました



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日米経済戦争のモデル


 このように打ちひしがれたドイツ国民とは対照的に、ドイツに住んでいた国際主義的な生き方のユダヤ人たちは、その富を増やし続けていきました。ドイツ人たちが彼らによくない思いを抱いたとしても、それは仕方のないことです。大森実氏はその著書「ヒトラー」の中で、第一次大戦後のドイツの状況について述べていて、ユダヤ人の力がいかに強大であったかを裂証しています。

 「【マルクの大暴落があったにしても】昼食に10億マルクを必要とし、午前と午後でマルクの為替相場が2倍の暴落を示したのは奇怪であった。国際ユダヤ金融資本によるマルク売りの人為操作があったことは疑う余地もあるまい。ロスチャイルド財閥や、ドイツ三大銀行のような巨大金融資本でなくても、ユダヤ人の高利貸はゴマンといた。彼らは中小企業融資や庶民金融を手掛けていた。ドイツ経済の先行きを危険と見た彼らは、貸し金に対する抵当(工場、土地、家屋)を手に入れることを考えた。大金融資本は、安定したドルやポンドを買いあさり、国外の安全圏に資金を逃避させてマルクをダンピングした。」

 大森氏はさらに続けて、当時のドイツの各銀行が完全にユダヤ系の資本に握られ、かくもその下に各企業が支配されていたという、ユダヤ金融資本寡頭支配の実情に触れています。

 「ドイツの銀行は、現在でもドイツ銀行、ドレスナー銀行、コメルツ銀行の3大銀行がドイツ経済を支配している。いずれもユダヤ資本である。この3大銀行の支配力は恐るべきものがある。彼らは総合銀行制度を採っている。ドイツには証券会社はない。株式、公債業務は銀行の仕事なのだ。大企業も中小企業も、株式と社債面で銀行に牛耳られている。ルール占領事件が起こった当時【マルク大暴落が引き起こされた時】も、現在のドイツの3大銀行支配体制は変わるものではなかった。」

 更に、第一次大戦後のドイツ政府に対して、ユダヤ資本がその内部から多大な影響力を及ぼしていたことが語られています。

 「ドイツ銀行、ライヒスバンク、ドレスナー銀行、ダナート銀行、プロイセン不動産銀行など、ドイツの大銀行はほとんどと言っていいほど、ユダヤ資本が支配していた。敗戦後に労働総同盟を軍産複合体に結び付けた政権を担当したエーベルト政権は、このユダヤ資本の代弁者となり、異常にして衝撃的なほど多くのユダヤ人を政府内に入れた。」

 ドイツがユダヤ人に支配されている、と言うのが当時のドイツの実情でした。この時ヒトラーが「ドイツ民族によるドイツ民族の国家」を声高らかに提唱しています。このように当時のドイツの置かれていた状況を振り返ってみる時、「ヒトラーは悪魔だ」という日本人の常識は「非常識」とも言え、どこか一面だけを誇大に膨らませた情報にのみ基づいているものだということがわかってきます。「勝てば官軍、敗ければ賊軍」という言葉があります。


負けた者は自己主張の口を封じられて徹底的に悪者扱いされて、勝った者は自らに都合の良い
事実を寄せ集め、他を切り捨てることによって歴史を書くことができることになります。


 もちろんここでドイツが戦前にとった行為を正当化しようとしているわけではありません。ここで言いたいことは、第一次大戦後のドイツがユダヤ資本に支配されたために、ドイツの民族利益を守ろうとする勢力とユダヤとの間に大きな衝突が起きたという、歴史的な事実についてです。そこに、日本経済摩擦という、「日本と国際ユダヤ資本との衝突」が重なってきます。それは今から60年ほど前に、ドイツがユダヤ資本と衝突したことの再現と言っても過言ではないでしょう。なぜなら、当時の欧米対ドイツという図式の根本にあったのは、ユダヤ資本対ドイツという図式に他ならなかったからです。

 日本は「日本株式会社」「エコノミックアニマル」という名が着けられ、「日本経済は世界に対立する悪である」というイメージが欧米世界へ拡大していったのも、やはり、1つのプロパガンダの結果でしょう。世界の世論を操作して、それを「国際主義」として掲げつつ日本の民族利益を潰しにかかるアメリカなどは、


まさしくユダヤ資本が従来からとってきた世界支配の戦術の1つです。



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虐殺責任回避不可のヨーロッパ諸国


 超インフレ、莫大な賠償金、大恐慌の嵐、膨大な借金の一時払い、550万人に膨れ上がった失業者、その一方で国の経済を支配操作することで富を増やし続けるユダヤ資本家といった、これ以上ありようもないほどの無残な状況の中で、ドイツが音を立てて崩れ始めた1933年に、ヒトラーは政権を握りました。そして、まず彼が着手したのが、失業者の一掃です。ヒトラーは絶体絶命の淵に立たされていたドイツを救って、民族心を呼びさまして国民を一つにまとめて、失業者をなくして国民にビジョンを与えました。それは疑いようのない歴史的事実です。当時のドイツ国民がヒトラーに熱狂的な支持を与えたのは当然のことでした。それは単に「狂気の独裁者と扇動される民衆」というように理解べきことでは全くあり得ないことです。

 ではヒトラーは、何故ユダヤ民族を殺戮してしまわなくてはならなかったのでしょうか?。その事を直接ドイツ人から聞いた人の話は、以下のようにまとめられています。

 「ヒトラーの目標としたところは第3帝国の建設であった。かつての神聖ローマ帝国といわれたゲルマンの王国、さらにはビスマルクが統一したドイツ、そのように優れたドイツ民族の心を一つにまとめるための帝国が必要だった。そこでヒトラーは国家社会主義を提唱してドイツ国民を一つにまとめた。その時、問題となったのが、ドイツ民族主義と相容れないユダヤ人との摩擦であった。初めは緩やかな迫害の中、金持ちや、あるいは身分あるユダヤ人たちはドイツを後にしてアメリカなどに渡って行く事ができた。しかし、彼らよりも遥かに貧しい多くのユダヤ人たちは、おいそれとドイツから出て行く術を持たなかった。ヒトラーは他の国に彼らを受け入れてくれるように懇願したが、まさに、『なしのつぶて』。

 それに加えるかの如くに、国際ユダヤ資本は、アメリカ、さらにヨーロッパ全体のマスコミを使って、ヒトラーの人種差別政策を痛烈に批判し、それを世界に広めていった。そこで衝突がヒトラーとの間に起き、国内のユダヤ人たちをなお激しい迫害によって追い立てずにはおれなかった。外からと内からの圧力の中、ヒトラーはユダヤ人たちを強制収容所に送り、彼らの商業権を剥奪して行く方向へと動いていった。やがて第二次世界大戦が勃発し、戦争が激しくなり敗北の色がドイツを覆い始めた頃、兵士たちや一般の市民たちにも十分に食糧が回らなく成り出した。当然そのしわ寄せが強制収容所に送られたユダヤ人たちに及んだ。

 戦争の末期になればなるほど彼らを養うことができなくなり、ついに民族心が高じて、彼らを虐殺してしまうという方向に動いた。ヒトラーはアンラッキーな男で、生まれてきた時代があのような時代でなかったならば、彼の指導力はまったく違う評価を受けていたことだろう。」

 『ヒトラーの卓話』という本には、ヒトラーがユダヤ人問題の解決につてい述べた次のような言葉が紹介されています。


「ヨーロッパのユダヤ人問題を解決することが、平和を守るための最大の課題だと私は思う。
次の平和条約では、このユダヤ人問題を解決する気のある国々に対して、植民地の一部を
ユダヤ人に提供せざるを得ないというフランスのケースを解決策の一方法として示そうと私
は考えている。」


 ヒトラーが当初、ヨーロッパ諸国との協力関係の中でユダヤ人問題を解決しようとしていたことが伺えます。それに耳を貸そうとしなかった国々は、果たしてヒトラーの「ユダヤ人虐殺」に全く責任が無いと言えるのでしょうか?。



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600万人虐殺の真偽


 何故あんなに多くのユダヤ人たちを殺す必要があったのかという問いに対して、あるドイツ人の一人は次のように答えています。

 「アウシュヴィッツだけで400万人が殺されたというのは、恐らくユダヤの宣伝でしょう。400万人も数年のうちに殺すことは現実には不可能です。確かに死んだ人々もたくさんいました。しかしそれは、ほとんどがチフスなどの病気が原因だったのです。みんな栄養失調の状態でしたから。また列車を利用してアウシュヴィッツなどの強制収容所にどんどんユダヤ人たちが送り込まれたというのも疑問です。というのは、特に戦争末期になってくると、軍需物資を運ぶことが鉄道輸送の最大の使命になっていたからです。とても人間を運ぶ余地はなかったはずです。」

 また彼は、ダッハウ強制収容所で5万人以上虐殺されたということが、現実にはあり得ないということが、ドイツの学者によって証明されているとも言います。

 「ダッハウにはユダヤ人はほとんどいなかった。連合軍が占領した時『ガス室とはどういものかつくってみろ』という命令に従って造らされたもので、それは一度も使用されていない。5万人の虐殺など統計的にもあり得ないことなのだ。」


実際にこの収容所に行ったことのある人々は、それが使われた痕跡がないことを証言しています。


 評論家である落合氏は、元ナチス将校の証言を紹介していますが、そこでも確かに数字のつじつまが合わないことがわかります。つまり、4年間しか使われなかったアウシュヴィッツ強制収容所で、400万人が殺されたということは、1年間に100万人、一日に3000人という数字になります。この半分がガス室で殺されたとしても一人の死体を焼くのに40分かかります。1500人の焼却には1000時間かかる計算となり、それを一日で処理する設備などは想像すらできません。しかも消費される重油は膨大なものとなり、戦争物資すら枯渇していた戦争末期のドイツに、とてもそんな余裕などありません。また焼却したあとに残った残骸をどこに埋めたのか、焼却しなかつたとして数100万人もの死体を埋めるのにどれほどの場所と掘削機械や人員がかかるのかは、虐殺されたとされるという主張に対してあまり重要視されていないのもある意味「非常識」です。

 それらのことから600万人の大虐殺は、現実には不可能なことと見る必要があります。では、どこからこの数字が出てきたのでしょうか?。収容所での苦しみを体験しながらも、生き残ったユダヤ人たちに聞いたところ、一人のロシア生まれのユダヤ人が次のように語っています。


「600万人のユダヤ人が殺されたという数字の根拠は、第二次世界大戦前、ヨーロッパに居た
ユダヤ人の数から戦後そこに残ったユダヤ人の数を引いたものです。それが600万人なのです。」


 それに対して「病気や爆撃で死んだ人もあるでしょう。またアメリカに渡った人もいるでしょう。」と質問すると、次の返事が返ってきています。


「数字などどうでもいいではありませんか。私たちがやられた、ということが問題なのです」


と、強い語調で答えています。この質問をした人は、他のユダヤ人女性に同じような質問をした時にも、同様の激しい答えが返ってきたと述べています。


これらのことから、明らかに600万という数字は虐殺されたユダヤ人の数ではありませんでした。


 まさに600万はシンボル化された数字であり、ユダヤのプロパガンダの結果というしかないのが、「600万人の大虐殺」という世界の常識となっています。ユダヤ人たちが創り出した国際主義の大きな流れ、その強烈な思想に逆らったドイツ、スターリン体制の下の今は亡きソ連、そして今、日本がその圧力に押しつぶされようとしています。ヒトラーやスターリンは単なる「異常な独裁者」ではありませんでした。彼らの本心は民族利益の主張にあります。このような視点で歴史を見る時、日米経済摩擦の実体が、実はかつてヨーロッパでも戦われた、「ユダヤの国際主義」対「民族利益」の戦いであることがわかるというものです。



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