月の謎



スフィンクス

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 4500年ほど前、月は木星から誕生したばかりの惑星ヤハウェの接近により、月自体が破壊されて内部の水をほとんど放出しています。その放出された大量の泥水は、地球にベルト状に降り注ぎ、砂漠地帯を形成しながら地球を水没させてしまいました。これが、ノアの大洪水です。すでにNASAは実証済みで謎は解かれており、ノアの大洪水は史実であって、普通に生活している人にとってはちょっと信じられない事ですが、表面化していないだけで、すでに科学的に判明しています。


地球からの平均距離 38万4400km
公転周期 27.32日
自転周期 27.32日
赤道半径 1738km (地球の0.27倍 1/4)
質量 7.348×1022kg (7348京トン 地球の12%)
平均密度 3340kg/m
大気組成 ごくわずかの水素、ヘリウム、ネオン
アルゴン
磁場 地球の1/10000

※表は現在までの観測結果



スフィンクス


 エジプトの有名なスフィンクスの像は、顔のモデルが誰なのかの謎を含めて、あまりにも数多い謎に包まれています。1992年2月、アメリカのエジプト研究家のジョン・ウエストと、シカゴ大学のロバート・ショック博士たちが、スフィンクスについて非常に興味深い発表を行っています。それによると、


スフィンクスの制作年代は、古王朝時代(約4500年前)よりも昔である証拠を見つけた


というものでした。スフィンクスは、高さ18m、長さ75mもの獅子の体に人の顔を持った石灰岩の像で、サハラ砂漠の東端に真東を向いて座っています。今ではスフィンクスの全面が、修復のための石のブロックで覆われていますが、巨大な一つの石灰岩をを削って造った世界最大の彫刻物です。今までに何度もスフィンクスは砂に埋まり、ナポレオンがエジプトに遠征したときも頭から下が砂に埋まっていました。この時ナポレオン軍は、大砲の砲撃訓練にスフィンクスの頭部を標的にし、その際に命中した鼻の部分は今も欠けたままになっています。

 スフィンクスを丹念に調べ上げると、全身に侵食跡があり彼らはここに目をつけて、それが「水による侵食跡」であることを証明しました。普通、風による侵食作用は、岩肌に鋭い直線的な侵食跡を残すので、表面に水平方向の窪みを造ります。ところが、スフィンクス全体に残された深い侵食跡はなだらかで丸みを帯びていて、水が流れた跡を示す溝までが縦方向に無数に残っています。これは地質学的な常識として、水による侵食以外には考えられない痕跡です。さらに、合成開口レーダーによる観測でも、かつてサハラ砂漠全体が肥沃なジャングル地帯だった証拠もある以上、その大洪水の時代以前に造られたということができます。同様の水の侵食跡は、スフィンクスの周囲を囲む壁、特に南側に残されていて、軟らかな地層の部分はかなり深くまで窪んでいます。

 彼らは、スフィンクスの顔が、定説だったカフラー王のものではなく、


顎の張り方や唇の厚み、目の大きさ等から、スフィンクスの顔は黒人の顔


であることを骨格的に証明しています。また、スフィンクスの全身のバランスが、手足の位置と長さは獅子と同寸比なのに対して、高さだけが異様に低いと指摘して、そのため顔の位置が本来なら胸に該当するところに来ていると発表しました。

 スフィンクス周辺の地下を地質調査したところ、前半分の周囲の土が後半分よりも侵食が激しかったため、スフィンクスが削り出された年代が、前と後ろでは違うことが判明しています。それはどういうことかというと、前半分の軟らかな土の厚みが2〜2.5mに対して、後ろ半分の土は1.2mしかなく、スフィンクスが露出してた時代を含めて、先に前半分が切り出された後にしばらくたってから後ろ半分が切り出されたということです。また、古王朝時代にスフィンクスを修復した跡があって、その時のブロックの厚みは1mにも達していて、それだけスフィンクスの侵食が大きかった証明にもなります。もし定説通りカフラー王がスフィンクスを造ったとすると、300年で1mの侵食を受けたことになり、4500年後の現代では15mも侵食を受けてしまいます。現在もそのような侵食が見られない以上、


スフィンクスを造ったのはカフラー王ではない


ということになり、彼はスフィンクスを掘り出して修復しただけと言えます。おもしろい事に、現在見つかっている碑文には、


カフラー王の父であるクフ王の時代には、既にスフィンクスがあったことが記されています。


 この碑文を刻んだ石は、縦42cm、横7cmと小さいものですが、十分にアカデミズムの常識をくつがえす力をもっています。碑文が製作されたのは後世とされていますが、他の文面も史実と符号しているため、信憑性はかなり高いことがわかっています。これは「明細目録碑」と名づけられて、今もカイロの国立エジプト博物館に展示されています。不思議なことに、トトメス4世にまつわる伝説の中に、碑文内容を裏付けるものがあります。それはこのような伝承です。

 まだ少年だったトトメス4世が、ナイル河畔の木陰で昼寝をしていた時に、どこからか声が聞こえてきます。そこで目をさましたトトメス4世が耳を澄ますと、声は自分が寝ていた砂の下からきこえてきて、それはこう叫んでいました。「もし自分を砂の中から掘り出してくれれば、お前を偉大な王にしてやる」。 そこでトトメス4世が地下を掘ったところ、そこから巨大なスフィンクスが現れたという内容です。この伝承が、スフィンクスが人間を相手に数々の問い掛けをするという、有名な謎掛け物語として発展していきます。これらのほか、色々な証拠や伝説、伝承などを総合的に考えるとひとつの真実が浮かんできます。それは、


スフィンクスは大洪水以前に建設された古代文明の遺跡である


ということが判明していることです。チャーチワードの提唱する、「ムー大陸」とは、この大洪水前の古代文明である可能性がかなり高いと考えられます。すなわち、パンゲア大陸の頃に栄えた人類が残した巨大遺跡であって、ウエストが見つけた水による侵食とは、凄まじい大洪水を生み出した大豪雨を短期間で受けた痕跡であったわけです。月の崩壊により飛来した物質の量を計算すると、60京トン(京=兆の1万倍)という未曾有の砂を含んだ泥水の豪雨であり、一瞬にしてサハラ砂漠のあった地域を砂で埋めてしまったということです。この砂は、月の深部にあった岩石の成分が、熱対流の中で衝突を繰り返して微細な砂となった形成物です。この砂の中には非常によく研磨されたものがあって、それは「鳴き砂」と言われていて、積み上げると52度ほどの角度になり、ピラミッドの側面角度となぜか一致しています。

 この時に大量の水と砂の直撃を受けた一帯は、サハラ砂漠から東に続いていて、シナイ半島の砂漠から、アラビア半島のナフード砂漠とルブアルハーリー砂漠、さらに東のカビール砂漠、ルート砂漠、カラクム砂漠、そしてタクラマカン砂漠からゴビ砂漠へと、ほぼ一つの帯として連なっています。この帯はパンゲア大陸に大陸を戻した時ほどよくわかり、ほぼ完全な一直線の帯としてつながっています。すなわち、この砂漠の帯の正体は、


月の崩壊により放出された大量の水と砂が、地球上を自転により移動しながら落下した痕跡です。


これらのことから言えることは、スフィンクスはノアの大洪水で削られて、砂に埋もれてしまったということです。さらにまた別のことが判明します。エジプトの衣装として頭にかぶる独特の布冠は、獅子のたてがみを象徴したものであり、それがスフィンクスに由来する以上獅子(ライオン)は大洪水以前に存在していたことを証明してしまいます。これに関連して、メキシコのアカンパロの恐竜土偶の中に、エジプトの布冠をかぶった土偶が発見されています。大昔のパンゲア時代のアフリカと南米は、大西洋が無い状態でつながっていたので、二つの大陸の距離はかなり近くなります。実際にスフィンクスを造れるほどの文明であるならば、ジャングル地帯に道路を建設できた可能性もでてくるわけで、そうなると文明の行き来があるのも納得の行くことであると言えます。



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