未確認生物



UMA
ネッシー
シーラカンス

翼竜・海竜 巨人族


現在の黙示録




UMA


 UMA(Unidentified Mysterious Animal)は南山 宏氏によって造られた造語で、UFOにちなんで未確認動物を意味します。
 代表的なものは雪男やビッグフット、シーサーペント、オゴポゴなどで、日本ではヒバゴンやツチノコ、クッシー、そしてエイリアンにしたてあげられたEBE(イーバ)である河童などがあります。その他にアフリカのテレ湖に棲む竜脚類モケーレ・ムベンベや、同じくアフリカに出現する翼竜コンガマントー、長頸類に分類されるアメリカのシャンプレイン湖のチャンプなどが報告されています。

 こうした古生物型UMAこそ、生物大量絶滅の謎を解く鍵であり、しかも絶滅したとされる時代が古ければ古いほど、意味は大きくなります。先に見たネッシーも、まさに古生物型UMAの典型であり、その正体が古生代に絶滅したとされるタリモンストラム・グレガリウムとくれば斉一論に対し、ただではすみません。一般的な考えの中に、絶滅を逃れた生物がいてもおかしくはなく、化石が発見できないのはただ未発見なだけで、数が少なくなったために化石になる機会がなくなったと考える人もいるはずです。確かにそのとおりです。

 ところが、生物学的な視点から見るとこれが大問題となります。固体数がどれだけあるのかという問題は、種としての存亡そのものにかかわる問題です。大きな理由のひとつに、固体の死が種の死へ大きく影響することがあげられます。1匹しかいない動物が死亡すれば、それはそのまま種の絶滅となります。種によって多少違いますが、自然の状態で急速に絶滅へ向かう固体数の数は、だいたい200といわれています。個対数が200匹を切ると、もはや種としての存続に赤信号が灯り、そのままでは近いうちに絶滅します。さらに個対数が200より減ってくると、今度は近親交配が増えてしまい、同じような遺伝子を持つものが多くなります。そうなると、遺伝的に劣勢の特性が表面化するという現象が起こります。

 特徴的なのは、生物の体の左右のバランスが極端に崩れてくる場合が多く、翼の片方だけが大きい鳥や、ひとつのヒレだけが巨大化した魚など外見的に奇形であることがわかります。こういう兆候が現れてくると、繁殖能力が著しく衰えた固体が増えてしまい子孫ができないため、結果として全体の数が減少し絶滅へのスピードが急加速されます。

 この意味において、斉一論学者は古生物UMAの存在を疑問視します。たとえばネッシーは、その正体が絶滅をまぬがれたプレシオサウルスであると仮定した場合、彼らはネス湖という小さな世界に閉じ込められてきたことになります。しかも、数は決して多くありません。ということは、6500万年という年月の間に絶対数の200を切り、さらに近親交配が進んで、繁殖能力を著しく低下していったに違いなく、現在まで生き残っているはずがない、ということになるわけです。この考えから出た結論は、


斉一論では、古生物型UMAの説明ができないということです。






ネッシー
ネス湖を24時間撮影しているカメラ



 イギリスの北部、スコットランドと呼ばれる地に、細長い形をした淡水湖があります。全長40キロ、最大幅2.4キロのその湖を、土地の人は「ネス湖」と呼びます。見かけによらずネス湖は深く、平均で200メートル、最深部では296メートルもあります。グレートブリテン島のまわりを囲む北海の平均水深の2倍もあります。

 1988年4月、ここネス湖で奇妙な事件が起こっていました。
 この時期、スコットランドは春とはいえ、山を越えて吹きつける北海からの風が冷たいのですが、不思議なことにネス湖の水温は高いのです。モスクワと同緯度にもかかわらず、1年を通じて約6度で真冬でも湖面は凍結しません。そのためか、マスをはじめとして非常に多くの種類の魚が生息しており、なかには体長が2メートルを越えるウナギもいます。地元の人の多くは、そうした魚を捕って生計を立てています。

 その4月のある日、漁師たちがアーカード湾沖で船で漁をしていましたが、しばらくすると天気が悪くなり、風も強くなり波もどんどん高くなってしまいました。とても漁を続けられる状態でなくなってしまった彼らは、やむなく場所を変えることにし、彼らは比較的波が低い南東の沿岸を選びました。普段はほとんど漁をしたことがない場所でしたが、とにかく彼らは網を下ろしました。網が60メートルほどの深さに達したころ、彼らは試しに網を引き上げてみました。あまり漁場が荒らされていないためなのか、結構魚がかかっていました。

 そこでなんと彼らは、見慣れぬ生き物が3匹、網の中でさかんに動いているのを見つけます。体長は約30センチで、異様に長い首と一対の前足のような突起物を持ち、尾には三角形状のヒレがついています。体は全体に茶色がかった濃い灰色をしており、表面はヌメヌメと光っています。頭の先には目というか、触覚というか、短く柔らかな突起状の角が2本伸びており、何かを探るかのようにしきりに出たり入ったりし、同様に、短い前足のように見える部分の先にも、何かの感覚器官があります。口にはノコギリ状の鋭い歯が並んでいて、舌はありません。首の長さほどの胴体部分はこんもりと膨らんでおり、いくつもの輪状のくびれが走っていて、それが背中のくびれ部分のいくつかを膨らませています。


全体的な印象は、まるで太い一本足のイカのようで、魚などの脊椎動物というより、タコやナマコの仲間に見えたそうです。


 ネス湖に住む生物に関しては、なんでも知っているはずの漁師たちも、こんな生物は見たことはないそうです。地元の漁業組合に無線で連絡を取りましたがらちがあかないので、とにかく港に戻って実物を見てもらうことにしました。漁港に着くやさっそく漁業組合の責任者達がやってきて、漁師達は、漁船のいけすの水槽から問題の生物を取り出し、彼らに見てもらいました。しかし、彼らのだれにもその生物の名前はおろか、一体魚なのかタコなのか、それともナマコなのか、皆目見当がつきませんでした。組合員の一人が、新種の生物か、それともよほど珍しい生物に違いないと思って、英国科学庁の窓口に一報を入れました。

 連絡をした直後、突如見慣れぬ人々が港に現れ、彼らは政府の役人だと名乗ると、捕獲した謎の生物を見せるよう、漁師達に迫りました。イギリスの片田舎に政府の役人が来ることなど、それ自体非常に珍しいことなので、一瞬不信に思いましたが、漁業組合の人々は彼らを水槽まで案内しました。役人と名乗る連中は、興味深そうに水槽の中を覗き込むと、なにやら話し合いを始めました。彼らの中には学者もいるらしく、専門用語がときおり聞こえてきます。

 話が一段落したころ、彼らは漁業組合の人々に詰め寄り、この生物を預かると言い出しました。突然のことで漁師達は困惑しましたが、政府の役人と名乗る以上、彼らに逆らうことはできませんでした。そのうちに役人達は手際よく水槽を運び出し、車に搭載しましたがそのまま連中は謎の生物とともに、いずこへともなく消えてしまいました。


奇怪なのは政府の役人と称する連中とその行動です。学者と一緒にやってきたということは、学術的な価値がある事を、彼らは知っていたに違いありません。





ネッシーの伝説


 ネス湖には怪獣が住んでいると、土地の人はそう信じて疑いません。怪獣の名は「ネッシー」です。
 世界的な知名度で、知らない人のほうが珍しいほどです。ネス湖に怪獣が住んでいると言う噂は古く、研究家によれば正式な記録としては、紀元565年頃の「聖コロンバ伝」が最古と言われています。聖コロンバが伝道のためにネス湖を訪れたときのこと、村人のひとりが、ネス湖から現れた怪獣に襲われました。怪獣はさらに、泳ぎ渡ろうとしていたもうひとりの村人に襲いかかりました。それを見た聖コロンバは、神へ祈って怪獣を退散させたといわれています。その土地の修道院には、怪獣を足で踏み押さえる聖コロンバの像が残されています。これは記録に残っているものであって、伝説としてはもっと古くからあります。地元の人はネス湖に住む怪獣を「水馬」と呼んで恐れていました。

 中世の記録としては、1527年の真夏に起こったキャンベル事件が有名です。
 その日の朝早く、ネス湖から巨大な怪獣が姿を現して岸に上陸して、尾を振って樫の大木を何本もなぎ倒してしまいました。これを見たダンカン・キャンベルをはじめとする数人の村人は、怪獣退治とばかりネッシーに挑みましたが、村人3人がネッシーの尾に叩かれ即死してしまいました。キャンベルらは命からがら近くの木陰に逃げ込みましたが、怪獣はそのまま悠然とネス湖に戻っていったといいます。その後、怪獣目撃の件数は少なくなりますが、ネス湖のまわりに道路が建設されたころから、再び増える事になりました。1933年11月、ついにネッシーは、写真にその姿を捉えられます。

 この快挙を成し遂げたのは、アルミニウム工場の従業員だったヒュー・グレイです。日曜の朝、彼は湖岸から9メートルほどの高さの道を歩いていると、湖の一角で水面が盛り上がっていることに気がつきました。みていると、突然そこから巨大な生物が水飛沫と共に出現しました。全長は13メートルで、暗い灰色をした怪獣は水面を暴れまわるように泳いでいます。グレイはとっさに、いつも自然観察のために持ち歩いている小型のボックスカメラを構えると、夢中でシャッターを切りました。撮影したフィルムは、インバネスに住む科学者の立ち会いのもとで現像しました。

 焼き付けに適したフィルムは1枚だけしかありませんでしたが、コダック社の社員の検証の結果、トリックなどの不正がないことが確かめられています。これを契機に、ネッシーは単なる目撃だけでなく、数多くの写真やビデオに撮られる事になり、1992年8月16日、観光客が湖面を泳ぐネッシーを鮮明なビデオに収める事に成功しています。その正体がなんであれ、とにかくネス湖には謎の生物が存在する事には間違いありません。



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トリック写真


 しかし、その一方で、ネッシーが嘘だったと言う風潮があるのも事実です。1994年3月、イギリスの「サンデーテレグラフ」紙に、世界的なネッシーの写真が、実はまったくのインチキ写真であると報じられました。問題の写真は1934年4月に撮影されたもので、研究家の間では「外科医の写真」として知られています。湖面から突き出た長い首と胴体の一部が写っており、まさに典型的なプレシオサウルスの姿を連想します。ネッシーといえば、まずこの写真が出されることが多いので、目にする機会が多いとことでしょう。

 撮影したのはロンドンの婦人外科医R・K・ウィルソンです。手札型乾板カメラと望遠レンズを使って、2、300メートルの距離から撮影したとされています。しかし、写真の関係者だったクリスチャン・スパーリングが、1993年11月、90歳で亡くなる直前それがトリック写真であることを告白しました。彼によると写っているネッシーの正体は実はオモチャの潜水艦で、それを改造した高さ46センチばかりの模型を、湖に浮かべて撮影したということです。実はウィルソンの写真は、以前からトリック写真ではないかと噂されていました。研究家のひとりスチュアート・キャンベルは、この写真を追跡調査し、その結果、「デイリーメール」紙の写真保管庫から、オリジナル写真を発見しました。その写真には広い湖面が写っており、背景などから分析した結果、問題のネッシーは数十センチという非常に小さな物体であることを確認しました。すなわち最初から、ネッシーではないことが判明していながら報道し続けてきたのです。


しかし、証拠とされてきたもののひとつがインチキであっただけで、ネッシーそのものが存在しないということにはなりません。


 この時の報道は異常です。ネッシー伝説はすべて嘘であり、そんな生物は存在しない、存在してもらっては困るという雰囲気がありました。日本の報道機関もこれに乗り、ネッシー伝説は終わったなどとはしゃぎまくっていました。


これには裏があり、ネッシーの存在を闇に葬ろうとする人たちの意図的な行動によるものです。





捕獲されたネッシー


 ネッシーの正体はなんなのか、これまで多くの人が幾多の議論を重ねてさまざまな説を提唱してきました。
 巨大うなぎ説、アザラシ説、プレシオサウルス説、巨大ミミズ説などです。生物学的に分類すると、魚類説、両生類説、爬虫類説、哺乳類説、無脊椎動物説となります。このなかでも有名なのが、プレシオサウルス説です。プレシオサウルスとは、恐竜が生きていた中生代に栄えた水棲爬虫類の一種「長頸類」で、一般に首長竜と呼ばれている動物です。
 ネッシーの写真を見ると、湖面から少し顔を出した長い首と小さな頭、その後ろに潜水艦のような胴体があります。これから想像すると、恐竜図鑑に載っているプレシオサウルスがもっとも当てはまります。テレビや雑誌でも、ネッシーを描いた想像図のほとんどがプレシオサウルスになっています。しかし、実際に多くの検証を重ねてみるとそれほど強力な説とはいえす゛、決定的な弱点があります。


ネッシーはプレシオサウルスではないのです。


 1934年6月5日午前6時半ごろ、地元の少女がネス湖の西岸を歩いていると、目の前に巨大な生物が横たわっているのを発見しました。それはまぎれもなく陸に上がったネッシーでした。彼女は約25分間にわたってじっくりとネッシーを観察しています。暗灰色をした胴体に、キリンのような長い首、それに一対のヒレのような脚があったといいます。この時期ネッシーはさかんに上陸をくり返していて、少女に目撃された前年、1933年7月22日にも、岸へ上陸したネッシーが目撃されています。その日、スパイサー夫妻はネス湖の北東を走る、B852道路を早朝ドライブをしていました。しばらくすると、前方の道路を湖に向かって横切ろうとする、巨大な怪獣が目に飛び込んできました。怪獣はクネクネと蛇腹のように曲がる首と太い胴体、それに一対の脚ともヒレともつかないような突起をもっていました。

 この二つの目撃事件で注目すべき所は、ネッシーの脚が一対しかないという部分です。特に少女は長時間じっくり観察しています単なる見落としとは考えにくいのです。どうもネッシーはプレシオサウルスであるという先入観があるためか、ネッシーのヒレを2対に描いてしまう想像図が多いようです。しかし、実際に細かい部分まで観察し、しかも信憑性のある目撃談では、


ネッシーの脚ヒレは一対しかありません。


 1988年の事件で、地元の漁師が捕獲ししたと言う謎の生物は、3匹とも脚ヒレは一対しかありませんでした。長い首やヌメヌメしている皮膚感といい、形態も非常によく似ています。そのまま大きくすれば、まさにネッシーの姿そのものです。。


3匹の謎の生物は、実はネッシーの子供なのです。


 イギリス政府は、すでにネッシーの正体を確認しており、ネッシーそのものを隠し持っています。捕獲された3匹の子供ネッシーは、その後イギリス政府御用達の専門家の手に渡っています。3匹のうち1匹はイギリス政府が飼育し、残りの2匹はアメリカに空輸されています。ということは、アメリカ政府の一部の人間は、1988年の時点ですでにネッシーの正体を知っていた事になります。どういう生物であるかを熟知していたからこそ、ネス湖で謎の生物が捕獲されたとき、それがネッシーの子供であると判断し、すぐさま行動を開始したのです。

 アメリカ政府がネッシーへの正体を知るきっかけとなったのが、1972年に行われたネス湖の大々的な調査です。この年、アメリカのボストン応用アカデミーのロバート・ラインズ博士らは、ネス湖の水中にソナーとストロボ閃光カメラを設置し、長時間に渡ってシャッターを切ったところ、ついにネッシーのヒレの部分の撮影に成功しました。


1975年に、ネッシーの全体像と頭部のアップまでカメラに収めました。


 浮遊する大量の泥炭のために全体がボケていますが、ネッシーの頭部の写真には、ふたつの触覚がはっきりと写っています。プレシオサウルスなどの爬虫類や両生類には見られない特徴です。全体像が写っている写真をよく見れば、プレシオサウルスのような2対のヒレは見えません。見えるのは先の目撃例にあるように、1対の突起だけです。いろいろな分析の結果、これまでの仮説のほとんどが却下され、残ったのは無脊椎動物説です。なかでもイギリスのF・W・ホリディが提唱した、ある古代生物に近いと思われます。捕獲されたネッシーの子供は、まさしくその古代生物でした。その古代生物とはアメリカがネッシーの正体として最終的に出した結論であり、それは古生代の石炭紀に生息し、2億8000万年前に絶滅しました。


ネッシーの正体は「タリモンストラム・グレガリウム」です。


 タリモンストラム・グレガリウムの化石は、アメリカのイリノイ州のメゾンクリーク層で、ノジュールと呼ばれる石灰岩のかたまりの中から大量に発見。されますが分類学的にどこに属するのかはっきりしていません。一説には、ゾウクラゲなどの軟体動物ではないかとも言われている謎の生物です。ネッシーの正体がタリモンストラム・グレガリウムであるという事実が意味する事は非常に大きいと思われます。まさに古生物学の常識を一挙に覆すほどです。さらにそれは、斉一論を引きずりおろすほどの力を持っており、人類にとって重大な事実です。


これを懸念した「シークレット・ガバメント」は、アメリカやイギリス政府に圧力をかけ、この事実を闇に葬り、封印してしまいました。





シーラカンス


 恐竜どころか、恐竜時代以前の古代生物が生き残っている例は一つや二つではありません。その一つにシーラカンスがあります。1938年12月22日、アフリカ大陸の東、コモロ諸島沖で奇妙な魚が網にかかりました。体調1.5メートルで全体に青みがかった色をしています。この日、チャムルナ河口でトロール漁をしていた「ネリン号」の船長フーセンは、自分の船の甲板に転がっている魚が得体の知れないものだけに、南アフリカ共和国のイーストロンドンの市立博物館の博物館職員のマジョリー・コートニー・ラティマー女史に連絡しました。女史は、前からフーセン船長に珍しい魚を見つけたら必ず連絡をくれるように頼んでいました。12月は南半球では夏なので、博物館に持ち帰った魚はかなり腐ってしまい、博物館では厄介もの扱いでしたが、地元のローズ大学の魚類学者のJ・L・B・スミス教授に、謎の魚の資料を送ったところ、翌年の2月16日になって信じられない返事が返ってきました。

 恐竜どころか、恐竜時代以前の古代生物が生き残っている例は一つや二つではありません。その一つにシーラカンスがあります。1938年12月22日、アフリカ大陸の東、コモロ諸島沖で奇妙な魚が網にかかりました。体調1.5メートルで全体に青みがかった色をしていました。この日、チャムルナ河口でトロール漁をしていた「ネリン号」の船長フーセンは、自分の船の甲板に転がっている魚が得体の知れないものだけに、南アフリカ共和国のイーストロンドンの市立博物館の博物館職員のマジョリー・コートニー・ラティマー女史に連絡しました。女史は、前からフーセン船長に珍しい魚を見つけたら必ず連絡をくれるように頼んでいました。12月は南半球では夏なので、博物館に持ち帰った魚はかなり腐ってしまい、博物館では厄介もの扱いでしたが、地元のローズ大学の魚類学者のJ・L・B・スミス教授に、謎の魚の資料を送ったところ、翌年の2月16日になって信じられない返事が返ってきました。

 その返事を読んだラティマー女史は自分のひざが震えるのを止められないほど驚きました。それは世紀の大発見でありその魚は、恐竜時代以前の古生代デボン紀から中生代白亜紀までの海に栄えた古代魚「シーラカンス」でした。シーラカンスの化石は白亜紀以降の地層では発見されないので、恐竜と共に絶滅したと考えられていました。そこ古代魚が発見されたということは、ネッシーを捕まえたと言っているのと同じようなものです。


シーラカンスはまさに、人類の常識を引っ繰り返す世紀の大発見です。


 シーラカンス発見のニュースが世界中を駆け巡り、標本が博物館に展示されると、1日に2万人もの人が押し寄せたといいます。現地ではそれ以後「シーラカンス」のことを、幸運の魚の意味で「ゴンベッサ」と名づけました。2匹目のシーラカンスが釣れたのは、最初に捕獲したチャムルナ河口から3000キロ以上も北の海域で、それは偶然なことに、1匹目が捕らえられた34年後の同じ12月22日です。それ以後も、同じ海域で何度もシーラカンスが捕獲されており、海底をのんびり泳ぐ姿も撮影されました。釣り上げた漁師に当時の話を聞くと、ゴンべッサは引く力が極端に弱く、糸をたぐれば簡単に引き上げれるそうです。このような弱い魚は、6500万年の長い間生存し続けることは不可能であり、アカデミズムはこれという説明ができません。決定的なことに、シーラカンス自体の絶対数が足りません。

 しかしシーラカンスの能力には非常に興味深いものがあります。


シーラカンスは酸素を取り込む量が、体の割には非常に少なくてすむことが判明しています。


 エラの面積が体重に比べても小さく、15度前後の水温ならば少ない酸素でも無駄なく体内に取り込める構造になっているのです。海水に比べて淡水は酸欠になりやすいのですがコイやフナ、ナマズのように酸欠に強い魚もいます。シーラカンスも15度前後の水温ならコイやフナ並みの強さを発揮し、その能力は海水魚の中ではレベルがかなり高いそうです。つまり、何らかの原因で海水が無酸素状態に近くなっても、じっと耐えることができる古代魚だということです。


このシーラカンス発見に匹敵するのが、1965年に沖縄県の南端、西表島における「イリオモテヤマネコ」の発見です。


 見た目には普通の猫と変わらないイリオモテヤマネコは、1000万年前の地層から発見された「メタイルルス族の古代猫」と同じ生物で、300万年前に地上から姿を消したはずでした。世界中のどこを探しても、メタイルルスは発見されず、絶滅したとばかり思われていたところへ、日本でメタイルルスが見つかったため、世界中に大きなショックが走りました。こればかりではなく、日本では3億年前から全くその姿を変えていない、カブトガニやカブトエビも生息しており、日本は生きた化石の宝庫と言えます。その日本以上に、南米のアマゾンではガーやパドゥルフィッシュなどの古代魚が捕獲されています。このことからもシーラカンスに匹敵する古代生物が南米で発見される可能性は高いでしょう。

 生きた化石は日本やアマゾンだけに生息しているわけではありません。世界中のいたるところで発見されています。あの「ゴキブリ」でさえも1億年前以上から生き続け、大きさはどうであれ「生きた化石」に変わりはありません。



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