聖書をよく知らない人のための「まえがき」



聖書とは一体何なのでしょう?


これは聖書を読むにあたってとても重要なことです。


ただの昔の中東の物語ではありません。エペソ人への手紙にはこのように記されています。


『わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。』


見えない存在から受ける悪をもたらす誘惑と、その誘惑に身を任せている人々から自分を守る方法が聖書には記されています。


この書は、悪魔の巣窟である地球上で最も安全に、最も自由に生きていくために太古から教えられてきた、


人生マニュアル、人生の手引き書です。


聖書を研究するにあたって、もはや従来からの方法では解読できないことが判明しています。


聖書を読んだことのある方なら感じることのひとつに、「難しくて、分からない」が大半を占めているはずです。


そのとおりです。今の聖書は少し読んだくらいでは理解できません。


というより、理解できないように「造りかえられた」と言ったほうが正解です。


聖書全体がかえられたわけではありません。良い状態を保っている部分も多数存在します。


また、一般に知られている聖書以外に「聖書外典」や、死海のそばで発見された書物、北アメリカで出土した「金版」、


エジプトの地下納骨堂から出た「アブラハム直筆の書物」など、信頼できる文献がこの世紀末にあたり続々と世に出てきました。


聖書学者の中には、これらを全く認めようとしない人が少なくないのです。悲しい事であり、かなり危険な事でもあります。


預言の中に新しい書物が現れることが書かれているのに、それらを見出す事が彼らには出来ないようです。


これらの発見された書をよく読むと、聖書を支えるものであることが理解できます。


聖書に与えられた力の一つに、祈るような気持ちで真剣に研究し、なおかつキリストの名により天の父に尋ねると、


非常にレベルの高いところで理解が得られると約束されているものがあります。ということは、


権能や権限を持たない柔軟性などとは程遠く頭の固い、自称「聖書学者」の曖昧な発言は、もう聞かないでいいということです。


これを機会にどうぞ始めてください。もう一つのキーワードに「疑わずに」というのがあります。先入観をごみ箱に捨ててみましょう。


最初は少々難しい事でしょうが、ここにはその難しさを吹き飛ばすような衝撃的な事実がたくさん書いてあります。


それらを有効に利用して、真実を直接天界から感じとってください。


ここの情報では足りないと感じてくれれば本望です。それは聖霊による導きと言っても良いでしょう。


聖書をご用意下さい。このHPでは日本聖書協会1955年改訳・口語を使用しています



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