列王記上 第3〜6章研究解読 |
第3章1節 |
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第6章38節 |
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2004/ 4/29 | 第3章1節、第4章1〜25節、第4章21節、第4章30節、第6章38節 UP |
第3章1節 |
1節 | ソロモン王はエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘をめとってダビデの町に連れてきた、自分の家と、主の宮と、エルサレムの周囲の城壁を建て終わるまでそこにおらせた。 |
ソロモンは治世の初期に、エジプトのパロ(ファラオ)の娘を選んで妻にしました。イスラエルが肥沃な三日月地帯の西端まで統治するようになってから、明らかに、ソロモンはエジプト側の敵意を和らげることが大切であると考えるようになります。エジプトは昔からカナンの軍事行動の基地としていたからです。王家間の婚姻は度々政略結婚として成立し、両国間の同盟関係を示す1つの方法とされてきました。しかしソロモンとパロの娘との結婚は、神に対する信仰を欠いたものです。神はイスラエルを守り、イスラエルのために戦うと約束していたからです(申命記20章4節、ヨシュア23章10節)。 後になって、この結婚や他の異邦人女性との結婚が、イスラエルの堕落を招く主な原因であることが明らかとなってきます。ソロモンは他国の偽りの神々を礼拝するようになり、神から罪に定められました(列王上11章1〜9節)。 |
第4章1〜25節 |
1節 | ソロモン王はイスラエルの全地の王であった。 |
2節 | 彼の高官たちは次のとおりである。ザドクの子アザリヤは祭司。 |
3節 | シシャの子エリホレフとアヒヤは書記官。アヒルデの子ヨシャパテは史官。 |
4節 | エホヤダの子ベナヤは軍の長。ザドクとアビヤタルは祭司。 |
5節 | ナタンの子アザリヤは代官の長。ナタンの子ザブデは祭司で、王の友であった。 |
6節 | アヒシャルは宮内卿。アブダの子アドラニムは徴募の長であった。 |
22節 | さてソロモンの一日の食物は細かい麦粉三十コル、粗い麦粉六十コル、 |
23節 | 肥えた牛十頭、牧場の牛二十頭、羊百頭で、そのほかに雄じか、かもしか、こじか、および肥えた鳥があった。 |
24節 | これはソロモンがユフラテ川の西の地方をテフサからガザまで、ことごとく治めたからである。すなわち彼はユフラテ川の西の諸王をことごとく治め、周囲至る所に平安を得た。 |
ソロモンは即位すると、まず行政上の変更を幾つか行い、3つの役職を新たに設けました。ダビデは新帝国をほとんど1人で統治し、わずかに軍の長、書記官の長、それに数名の秘書を必要としただけです。 ソロモンはこの基本的な高官に加えて、アヒシャルを「宮内卿」とし、アヒシャルは権力においてもソロモンに次ぐ宰相として働くことになります。またアドニラムを「徴募の長」としました。ソロモンの心には遠大な建築計画があり、安定した労働者の供給や確保なしにそれを実行に移すのは不可能だったからです。アドニラムは、外国人の奴隷であるイスラエルに征服された民の子孫と、新たに組織・徴収されたイスラエル人の労働者を管理しました。この労働者たちは、3ヶ月ごとに1ヶ月間の労働が義務付けられています。さらにソロモンはナタンの子アザリヤを召して、イスラエルの12の行政地区の「代官の長」としました。 これまでのイスラエルの政治は、サウルやダビデの時代にあったように「政府」が管理するのではなく、族長やカリスマ的な指導者が個人の魅力と神の霊感により支配することがほとんどです。軍事的にカナンを征服する間、しばしば相争うことさえある12の独立した部族を統合するためには、そのような指導者が必要となりました。しかし、今やイスラエルは平和になり、領土は大きく拡張されたので、効果的に国を治める政治体制がぜひとも必要となります。そこでソロモンはイスラエルを12の行政地区に分けて、各々の人口や資源が均等になるようにしました。新しい地区を定めるに当たってソロモンの独断によるこの分割は、従来の部族の領土を無視したものです。その理由は神殿の努めと系図を除いて、部族分けの実用的な意味がなくなっていたからです。 ソロモンは、各地区に1人の代官を置いてアザリヤに彼らを管理させ、12人の代官は王家のために食物を備えるように命じました。すなわち、各地区が1年に1ヶ月分ずつの食物を準備しなければならず、代官はこの負担を農夫や羊飼いに課しましたがそれは相当な重荷となっています。ソロモンの王室で1日に必要とする食物は、「細かい麦粉30コル(6.900g)」、「荒い麦粉60コル(13.800g)」、肥えた牛10頭、牧場の牛20頭、羊100頭で、その他に雄じか、かもしか、子じか、肥えた鳥がありました。 各代官はそれらの食物を欠けることのないようにしなければならないので、おそらくきつい取立てをしたものと考えられます。また民衆は各々その割り当てに従って、馬、早馬に食べさせる大麦とわらを持ってこなければなりませんでした。しかもこれらは徴税の一部にすぎず、このような徴税は預言者サムエルの預言を成就するものとなっています。サムエルは何年も前にイスラエルの民に、王を立てればどのようなことになるかを警告していました(サムエル上8章11〜20節)。 |
第4章21節 |
21節 | ソロモンはユフラテ川からペリシテびとの地と、エジプトの境に至るまでの諸国を治めたので、皆みつぎ物を携えてきて、ソロモンの一生のあいだ仕えた。 |
この節から明らかなように、ソロモンはユフラテ川からペリシテ人の地、さらにエジプトの境に至るまでの諸国を治めていました。ユフラテ川はソロモンの領土の東限であり、地中海沿岸のペリシテ人の地は西限、エジプトは南限です。したがって、ソロモンはユフラテ川から地中海の間に位置するスリヤ、ダマスコ、モアブ、アンモンの各王国を属国として従えていました。イスラエルはソロモンの時代に最大の領土を持つに至っています。 |
第4章30節 |
30節 | ソロモンの知恵は東の人々の知恵とエジプトのすべての知恵にまさった。 |
これはエレミヤ書49章28節に記されている、ケダルに住むアラビア人に当たり、次第にシリア砂漠の住民一般を指すようになったと言われています。 |
第6章38節 |
38節 | 第十一年のブルの月すなわち八月に、宮の全ての部分が設計どおりに完成した。ソロモンはこれを建てるのに七年を要した。 |
ブルの月は現在の11月とほぼ一致しています。この時代の暦ではブルとは第8の月であり、神殿の着工は第2の月なので神殿建設に要した実際の年月は、厳密には7年半となります。 |
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