列王記下 第24〜25章研究解読



第25章1〜7節 第25章18〜26節 第25章27〜30節



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2004/ 5/31  第25章18〜26節、第25章27〜30節 UP
2004/ 5/29  第25章1〜7節 UP



第25章1〜7節

1節 そこでゼデキヤの治世の第九年の十月十日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて、これにむかって陣を張り、周囲にとりでを築いてこれを攻めた。
2節 こうして町は囲まれて、ゼデキヤ王の第十一年にまで及んだが、
3節 その四月九日になって、町のうちにききんが激しくなり、その地の民に食料がなくなった。
4節 町の一角がついに破られたので、王はすべての兵士とともに、王の園のかたわらにある二つの城壁の間の門の道から夜のうちに逃げ出して、カルデヤびとが町を囲んでいる間に、アラバの方へ落ち延びた。
5節 しかしカルデヤびとの軍勢は王を追い、エリコの平地で彼に追いついた。彼の軍勢はみな彼を離れて散り去ったので、
6節 カルデヤびとは王を捕らえ、彼をリブラにいるバビロンの王のもとへ引いていって彼の罪を定め、
7節 ゼデキヤの子たちをゼデキヤの目の前で殺し、ゼデキヤの目をえぐり、足かせをかけてバビロンへ連れて行った。


 第25章の詳しい記述はエレミヤ書39章1〜14節、40〜43章、52章に記されています。古代ユダヤの歴史家ヨセフスは、ゼデキヤと預言者たちの声に従うことについてや、エレミヤの預言(第32章1〜5節)とエゼキエルの預言(第12章1〜14節)の違っていたと見られている箇所について興味深い話を述べています。

 「サッキアス(ゼデキヤ)は預言者の言葉に耳を傾け、そのときは彼を信じ、〔彼の言う〕すべてが真実であり、彼を信じることが自分の利益になると考えた。しかし、〔取り巻きの〕友人たちが、再びサッキアスを堕落させて預言者を遠ざけ、彼に自分たちの欲する〔自堕落な〕生き方をさせたのである。イェゼキエーロス(エゼキエル)もバビュローン(バビロン)で、民を見舞う数々の災禍を預言し、それを書きしるしてエルサレムに送った。しかし、サッキアスは彼ら二人の預言を、次の理由で頭から問題にしなかった。

 二人の預言者は、〔エルサレムの〕都が陥落しサッキアスも捕虜になると預言し、ほかのすべての点でも互いに同じ事を言っていた。しかし、イェゼキエーロスは、サッキアスがバビュローンを見ることはないと広言していたが、イェレアミス(エレミヤ)はバビュローニオス(バビロニアびと)の王が彼を鎖につないで〔かの地に〕連れて行くと言い、〔その点が〕違っていた。王は、このくいちがいのために、口裏をあわせたと思われる二人の警告を真実ではないと非難して〔それを〕信じなかったのである。だが、二人の預言どおりのことが王の身に起きたのであるが、それについては、もっと適当なところで語りたい。(ユダヤ古代誌 X−vii−(2)山本書店刊)」

 7節に記録されているように、2人の預言者の言葉の正しさは、その後の出来事で実証されました。ヨセフスの歴史書には、ゼデキヤの不実と裏切りとを責めた後に、バビロニアの王ネブカデネザルによってなされた仕打ちが記されています(エレミヤ39章1〜10節)。

 「このような罵詈雑言をサッキアス(ゼデキヤ)に浴びせ、彼の息子や友人たちを、サッキアスやそのほかの捕虜が見ている前で即刻処刑するように命じた。そして、サッキアスの両目をえぐりとり、鎖につないでバビュローンに引いて行った。イェレミアス(エレミヤ)と、イェゼキエーロス(エゼキエル)はサッキアスの身に起る事態を預言したが、まさにそのとおりになったのである。すなわち、イェレミアスは『サッキアスは捕らわれて、バビュローニオス(バビロニアびと)〔の王〕のもとに引かれて行き、王と言葉を交わし、自分自身の目で王の目を見る』と預言しており、一方のイェゼキエーロスはさらに『サッキアスは盲にされてバビュローンに連れて行かれるが、そこを見ることはない』と預言していたのである。(ユダヤ古代誌 X−viii−(2)山本書店刊)」

 ここにはゼデキヤの子たちが殺されたことが記されていますが、息子はこの難から逃げのびるという預言が残っています(エゼキエル第17章)。真鍮版にはこの息子の名が「ミュレク」として記されており、北アメリカ大陸で発見されたことがつぎのように記されています。

 「そして彼らはゼラヘムラの民と呼ばれた民を発見した。そのために、ゼラヘムラの民の中に大きな喜びが起こり、またゼラヘムラ自身も、主がモーサヤの民を遣わされたので、ことのほか喜んだ。モーサヤの民はユダヤ人の記録が残っている真鍮の版を持っていたからである。さて見よ、モーサヤが知ったところによれば、ゼラヘムラの民は、ユダの王ゼデキヤがバビロンへ囚われの身となって連れ去られたときに、エルサレムから出てきた民であった。そして、この民は荒れ野を旅し、主の手によって導かれて大海を渡り、モーサヤが彼らを彼らを発見した地に来た。そのときから、彼らはいつまでもそこに住んでいた。(真鍮版オムナイ書1章14〜16節)」

 「あなたがたはエルサレムが滅ぼされたという事実に反論するつもりか。あなたがたは、ゼデキヤの息子たちがミュレクのほか皆殺しにされたのに、殺されなかったと言うつもりか。ゼデキヤの子孫がエルサレムの地を追われ、今わたしたちとともにいるのを、あなたがたは見ていないのか。しかし見よ、これだけではない(真鍮版ヒラマン書8章21節)」 (ヒラマン書6章10節)

 他にもゼデキヤの娘たちが生き残っていることが、エレミヤ41章10節にも記されています。




第25章18〜26節

18節 侍衛の長は祭司長セラヤと次席の祭司ゼパニヤと三人の門を守る者を捕え、
19節 また兵士をつかさどるひとりの役人と、王の前にはべる者のうち、町で見つかったもの五人と、その地の民を募った軍勢の長の書記官と、町で見つかったその地の民六十人を町から捕え去った。
20節 侍衛の長ネブザラダンは彼らを捕らえて、リブラにいるバビロンの王のもとへ連れて行ったので、
21節 バビロンの王はハマテの地のリブラで彼らを撃ち殺した。このようにしてユダはその地から捕え移された。
22節 さてバビロンの王ネブカデネザルはユダの地に残してとどまらせた民の上に、シャパンの子アヒカムの子であるゲダリヤを立てて総督とした。
23節 時に軍勢の長たちおよびその部下の人々は、バビロンの王がゲダリヤを総督としたことを聞いて、ミズパにいるゲダリヤのもとにきた。すなわちネタニヤの子イシマエル、カレヤの子ヨハナン、ネトバびとタンホメテの子セラヤ、マアカびとの子ヤザニヤおよびその部下の人々がゲダリヤのもとにきた。
24節 ゲダリヤは彼らとその部下の人々に誓って言った、「あなたがたはカルデヤびとのしもべとなることを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすればあなたがたは幸福を得るでしょう」。
25節 ところが七月になって、王の血統のエリシャマの子であるネタニヤの子イシマエルは十人の者と共にきて、ゲダリヤを撃ち殺し、また彼と共にミズパにいたユダヤ人と、カルデヤびとを殺した。
26節 そのため、大小の民および軍勢の長たちは、みな立ってエジプトへ行った。彼らはカルデヤびとを恐れたからである。


 この部分には、ネブカデネザルが反乱を起こしたユダヤ人の指導者たちを死刑にしたことが記録されています。この時、健康な人々は国外に連れ出されて、バビロンに移されました。このユダの人々が捕え移されたことを、「バビロン捕囚」と呼ばれ、一般的には紀元前586年頃であるとされています。しかし全員が捕囚されたわけではなく、一部の「その地の貧しい者(12節、24章14節)」はとどまることを許され、ぶどうを作る者や農夫としての仕事が与えられました(エレミヤ39章10節)。シャパンの子「アヒカム」は(エレミヤ39章14節)、エレミヤを助けた人物として記されているので(エレミヤ26章24節)、エレミヤとゲダリヤは近いところで接していたと考えると、ゲダリヤの言葉はエレミヤの預言に関わりがあると推測することができます(エレミヤ29章14節)。

 ネブカデネザルは残ったユダヤ人アヒカムの子ゲダリヤを指名して、パレスチナの総督としました(エレミヤ40章5節)。これを知ったユダ王家出身のイシマエル(エレミヤ41章1節)という嫉妬深いユダヤ人は、ゲダリヤが外国人と通じたとして彼を暗殺しました(エレミヤ41章1〜8節)。古代ユダヤの歴史家ヨセフスの記録によると、イシマエルはパレスチナに残っていたユダヤ人を強制的にアンモンの地へ同行させようとしたと述べています(エレミヤ41章10節)。この人々がアンモンに到着する前に、イシマエルがゲダリヤを暗殺したことに怒ったヨハナンという名のユダヤ人愛国者が、イシマエルの支配下にあった同胞を救い出して(エレミヤ41章11〜18節)、エジプトに定住させました(エレミヤ43章5〜7節)。こうした動きはエレミヤの助言に反するものです(エレミヤ42章7〜17節)。

 エレミヤは当時まだパレスチナに居住しており(エレミヤ40章6節)、ヨハナンや他のユダヤ人にも同じようにパレスチナにとどまるよう強く勧めていました。しかし、彼らは自分たちに都合の悪い勧告を拒否して、彼らと一緒にエレミヤとエレミヤの書記官バルクを無理やり連れてエジプトに脱出しました(エレミヤ43章1〜7節)。(ヨセフス 『ユダヤ古代誌』 X−ix参照)




第25章27〜30節

27節 ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十七日、すなわちバビロンの王エビルメロダクの治世の第一年に、王はユダの王エホヤキンを獄屋から出して、
28節 ねんごろに彼を慰め、その位を彼と共にバビロンにいる王たちの位よりも高くした。
29節 こうしてエホヤキンはその獄屋の衣を脱ぎ、一生の間、常に王の前で食事をした。
30節 彼は一生の間、たえず日々の分を王から賜わって、その食物とした。


 ユダの王エホヤキンは、バビロンで長い間投獄されていましたが、ネブカデネザルの息子エビルメロダクによってようやく牢獄から解放されます。このときから死去まで、エホヤキンはバビロンの大王から丁重な扱いを受けました(エレミヤ52章31〜34節)。列王記の年代は「37年の12月27日」ですが、エレミヤ書では「37年の12月25日」となっています。何故日付が違っているのかはよくわかっていませんが、おそらくエレミヤ52章を記した筆記者バルクによる補正か誤りのどちらかと考えられます。



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