列王記下 第14〜17章研究解読



第16章3節
第17章6節



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2006/ 9/12  第16章3節 UP
2004/ 3/20  第17章6節 UP



第16章3節

3節 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。


 この部分は歴代志下第28章3節にも記されています。聖書学者の多くは自分の息子を火に焼くという蛮行が行われたのは、イスラエルの中ではこれが初めてのことであると言っています。「イスラエルの人々の前から追い払われた異邦人というのは「モアブ人」とされています。列王記下3章にはこの時の戦いの様子が記されており、自分の息子を火に焼いたと書かれてあります(列王記下第3章4〜10節、以降第3章26〜27節まで)。

 による導きが全く訪れなくなると、邪悪の度合いがさらに増して行ってしまう例が見られています。スリヤ人の圧制によってもたらされる目先の暗雲たる状況は人の理性を奪い、かつて敵が行う残虐非道な行為を毛嫌いしていたはずなのに取り入れてしまいました。つまり彼らは、みだらな儀式とそれに伴う子殺しという行いは、これらから離れよという神の勧告より古代から存在する邪教の儀式が魅力的見えていることを示しています。現在も密かにこのような蛮行が行われていますが、古代であろうなかろうと行き着く先は滅亡以外にないことを知るべきです。(古代及び現代の偶像崇拝




第17章6節

6節 ホセアの第九年になって、アッスリヤの王はついにサマリヤを取り、イスラエルの人々をアッスリヤに
捕らえていって、ハラと、ゴサンの川ハボルのほとりと、メデアの町々においた。


 自分の公式名を、2200年前の王から取ったというサルゴン王の統治の1年か2年に、サマリヤを首都とするイスラエル北王国はアッシリアの王によって滅びました。紀元前722〜710年の間のことであると考えられています(列王下17章1〜23節)。北王国のサマリヤの崩壊についてはホセアとミカが預言しています。列王記下の記述は一見するとシャルマネセル王が捕囚しているように見えますが、実際に捕囚したのはサルゴン2世であると考えられています(列王下18章9〜13節)。しかし旧約聖書外典トビト書には、シャルマネセルの時に捕囚があったことが記されています(トビト書1章1〜2節)。



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