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2000/ 8/18  序文追加


 預言者ホセアは、ヤラベアム2世の治世後期にイスラエルの北王国で預言しています。
 イスラエルの罪悪が原因で国が衰え滅びていく時代で生活していました。

 この書の基本的な主題は民に対するの愛です。神の懲らしめはすべて愛をもって課せられているので、イスラエルの回復も神の愛の結果であることがわかります。それとは対照的に、ホセアはイスラエルの背信と不実を指摘しています。しかし、それでも神はイスラエルが最期には贖われることを待ち望んでいるということが書かれています。



 ホセアの人々への問いかけは、他の書のように広大なものではなく身近な個人的な感情を対象としていることがあります。これまでに、自分が愛し、信頼し、あるいは厳粛な誓いを交わしていた人から裏切られたことはないでしょうか。または誰かに愛され、信頼されながら弱さゆえにその信頼を裏切り、関係を損なって、もう一度愛され信頼されたいと切望した経験はないでしょうか。いったん聖約を交わしながら信頼を裏切った人々に対する神の思いを語ったホセアの記述を注意して読んでみてください。自分の経験からホセアの教えが理解できるような点がないかどうか、振り返ってみるのも良いでしょう。

 ホセアに時代に、イスラエルはカナン人の礼拝方法から大きな影響を受けています。都市生活を基盤とするカナン農民の洗練された生活ぶりや、家畜や畑の豊かさを豊饒の神々や女神たちのおかげと見ていたことは、イスラエル農民のあこがれでした。豊饒の神々に祈願する彼らの祭式はみだらで猥褻なものです。イスラエルはシナイ山で、祭司の国、聖なる民となることを神に聖約しましたが、ホセアの時代には、本来は拒絶するべきのカナン人の習俗に深く同化してしまいました。

 神はホセアを通して、婚姻関係に例えながら、民は神に不誠実ですが、彼らが戻って来さえすればまだ離縁、つまり民を捨てることをしないと教えます。ホセアは国について語りましたが、同じ原則が個人にも当てはまります。それは、


神に対して非常に不忠実な人であっても、真心から神に立ち返るなら、神はその人との関係を修復するということです。



 真鍮版の預言者は、イザヤが書いた書を理解するにはユダヤ人の預言の仕方を知らなければならないと言いました。これはホセアについても同じことが言えます。彼もイザヤと同じく隠喩や象徴的表現を広範に使っており、どの章にも1つ以上の隠喩を含み、理解するためにはイスラエルの歴史的背景に照らして考える必要があります。


ホセアの教えの中心的な比喩は婚姻です。


 歴史上どの文化にも結婚の聖約には決められたやり方があります。結婚については大抵の人が知っていることでしょう。従って当時の人々は預言者が結婚に関する言葉を用いて神との聖約を象徴的に語るのを聞いて、更によく理解することができています。ホセア書ではエホバとその民イスラエルとの契約関係が夫と妻の関係に例えられています。象徴的なこの結婚聖約で、神は夫で、聖約の民イスラエルは花嫁です。神はアブラハムとの聖約でイスラエルを娶り(創世記17章)、この契約はシナイ山のふもとにおいて、モーセの民と再確認されています(出エジプト19章4〜8節)。

 イザヤ54章5節には「あなたを創られた者はあなたの夫であって」とあり、エレミヤ3章14節には「わたしはあなたがたの夫だからである」と書かれてあります。聖約における夫としての神の役割について、さらにエレミヤ3章20、31、32節、黙示録19章7節で言われています。夫を去って他の神々を拝んだ時に、イスラエルは聖約を破ることとなりました。イスラエルは「主にそむいて、はなはだしい淫行をなし(ホセア1章2節、2章5節、エレミヤ2章20節、3章1、9節、5章7節、出エジプト34章14〜16節、申命記31章16節)」ています。ある教会指導者は次のように説明しました。

 「霊的な面で、それがいかに由々しいことかを強調するために、偶像礼拝という忌まわしい罪を、『姦淫』と呼ぶのである。主の民が主を捨て、偽りの神々を礼拝したとき、エホバに対する彼らの不信仰は、淫行や姦淫として表わされた。主を捨てることにより、主の民は彼らの夫を象徴する御方と結んだ聖約に不誠実になるのである。」

 ホセアの教えは象徴的な表現が中心的であり、イスラエルの主に対する不誠実を、誠実な夫に背いて愛人たちに従う妻の不誠実として表現しています。



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