ヘブル人への手紙 第11〜13章研究解読



第11章5節
第12章5〜13節



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2008/ 1/14  第12章5〜13節 UP
2002/ 2/ 3  第11章5節 UP



第11章5節

5節 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。


 パウロのこの記事を除くと、聖書の中でエノクに関する記事は創世記5章24節に記されているものだけとなっています。
「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」

 霊感によって記されたパウロのこの言葉と共に、創世記の聖句はエノクの行く末に関して限りない推測を引き出してきました。その多くは彼はどこに行ったのか、天なのかパラダイスなのかというものです。ですがこのどちらでもないという考えが存在します。エノクと彼の街全体は非常に美しかったので、彼らは地上から取り上げられたと言われています。ある教会指導者は次のように発言しています。

 「さて神はこのエノクを彼がその時代に死ぬことがないように取り上げ、月の光栄の体を持つ人々に導きと教えを施す務めを与えられた。そのため彼のことはほとんど明らかにされていない。多くの人々は、身を変えられるということはすなわち人々がただちに神のみもとに取り上げられ、永遠に完全な状態になるということであると考えているが、これは誤った考えである。彼らの住む場所は、月の光栄の状態であって、多くの惑星で導きと教えを施す天使となるために神がそのような人々のために備えたもうた場所である。彼らは、死から甦った人々のように大いなる完きにまだ入っていない」。




第12章5〜13節
5節 「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
6節 主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を、むち打たれるのである」。
7節 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
8節 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
9節 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
10節 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
11節 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。


 多くの人々は、試練や困難に遭遇すると無益と思うばかりか人生における損であるととらえてしまいがちです。ここに記されているものは全く逆の事を述べており、人々の経験する試練や困難は損なばかりか、生きる上での肥やしとなり決して無駄に終わる事はないと言っています。これらは人を教育するのに大いに役立ち、忍耐や信仰、不屈の精神、謙遜な態度など多くの人にとって有益な特質を伸ばすのに貢献してきました。

 人々の経験する全ての事柄、特に忍耐をもって耐えなければならないときに効果は大きく現れてきます。


その効果とは、人格を築き上げ、心を清めて広くし、愛の精神を持たせるものです。


 その忍耐をする時、心に神を思っている場合であればその効果は幾倍にもなるでしょう。悲しみや苦しみ、内容は人それぞれですが、中には到底耐えれそうにないものまであります。しかしこれらのことによって人は教育され、試練や艱難を受ける前よりひとまわりもふたまわりも成長することができます。

 7節には人生に訪れた試練や困難に立ち向かう際の心構えが記されています。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい

 
ある人物は自分に訪れた不幸な出来事を次のように受け止め、冷静な判断を持って解決することができました。彼は商店を経営していましたが火事で店舗を全焼し、さらには近隣の家まで延焼させてしまうという大惨事が起きました。

「これは私の経営者としての信念が試されている。商売を通じて世の中を明るくするという信念が本物ならば、これくらいのハードルなど越えることができる。そのきっかけを天から与えられたのだ。むしろ歓迎し、この「恵み」に応えていかなければならない。」

 この経営者は不幸な出来事を「天から与えられた恵み」ととらえ、以後の積極的な行動により借金を抱えながらも銀行に掛け合って融資を受け、付近まで燃やしてしまった損害を3年で返すことができました。彼には聖書を読む人のように確固たる神は存在していませんでしたが、信仰がありました。その信仰も一般の宗教者のようなものではありませんでした。しかしそのような人でもここまでやれたのです。

 このような経験をした人に何が培われたことでしょう。おそらく彼はこの経験を通して人格が高まり、不幸な出来事によって心をへりくだらせて清く広くし、一緒にがんばってきた仲間たちに愛を示したはずです。そして同じ経験をした人に大きな助言を与えることでしょう。この経営者は経済的に成長したばかりか、その人間性まで高めることになりました。人はこのような経験を踏むことによって成長し、神のような者に近づいていくのでしょう。(黙示録第3章19節)



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