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2007/  4/ 23 序文追加
2007/ 4/ 13 序文追加


 パウロは、モーセの律法の重要な部分がキリストにあって成就しており、さらに高度なキリストの福音の律法がそれに取って代ったことを説き教えるために、この手紙をユダヤ人の教会員に書き送りました。パウロは3度目の伝道を終えてエルサレムに戻ったときに(紀元60年頃)、多くのユダヤ人の教会員がまだモーセの律法に固執しているのを見ています(使徒行伝21章20節)。 これは、エルサレムにおける教会の大会で、モーセの律法の幾つかの儀式は異邦人のクリスチャンの救いに不必要であるとの決議がされてから少なくとも10年後のことと思われます。パウロはそれから間もなく、ヘブライ人(ヘブル人)にあてて手紙を書いて、彼らの聖書と確かな根拠に基づいて、もはやモーセの律法に従う必要のない理由を明らかにしています。

 この手紙が書かれた場所は明らかになっていませんが、「イタリヤから来た人々(13章24節)」という記述から僅かな手がかりを見つけることができます。この時パウロはイタリヤにいて、彼のイタリヤ人の知人からのあいさつを送っている場合と、パウロがローマ帝国の他の場所にいて、イタリヤ人の知人からイタリヤにあいさつを送っている場合ですが、このどちらでも考えられることです。

 また日付に関しても同様でいくつかの説があります。ひとつは、ローマの監督であるクレメンスが彼の最初の手紙に引用しているのを根拠とするもので紀元95年頃であるとするもの、もうひとつはモーセの儀式について度々記されていることを根拠とするものです。その当時はまだエルサレム神殿が存在しており、これを基とするならば紀元70年に神殿が破壊される以前に書かれたことになります。パウロが紀元68年頃に死んだとする説があることから、研究者の間では紀元65年頃に書かれたであろうとする説の支持が多く見られています。

 この書簡には、他の書簡と違って冒頭にパウロのあいさつが記されていません。それを根拠に、この手紙はパウロのものではないのではないかという疑問が生じてきます。しかしペテロは次のような言葉を残しました。

わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがた(ヘブル人)に書き送ったとおりである。・・・その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって・・・(第2ペテロ3章15〜16節)

 ペテロの手紙の最初には、「離散し寄留している人たち、すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ(第1ペテロ1章1〜2節)」 と記されています。「離散している」とは、元々あった人々が何らかの理由で故郷を離れて遠くの地に行ったことを示しています。ペテロは部族的にも信仰的にもへブル人であるので、同じく信仰を共にするへブル人に向けて、それも離散している人々に手紙を書き送りました。よって第2ペテロ3章15〜16節でいわれている「あなたがた」というのは、へブル人であることになります。このHPではこれらを根拠として、このへブル人への手紙がパウロの手によるものであることを支持しています。

 第1〜2章には、キリストが天使よりも偉大な人であることが説かれています。
 第3〜7章は、キリストをモーセとモーセの律法とを比較して、キリストがそのいずれよりも偉大であることを証しています。また、メルキゼデク祭司の業がアロンの祭司の業よりも大きいことを教えていると思われます。
 第8〜9章は、モーセの律法の下で定められていた事柄が、民をキリストの業に備えさせたことや、またキリストが新しい聖約の仲保者であることを説いています。
 第10章には、熱心な働きと信仰の奨励となっています。
 第11章は信仰に関する説教です。
 第13章には、結婚が尊ばれるべきものであることや、また従順の大切さが記されています。



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