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2000/ 6/13  序文追加


 使徒パウロがガラテヤ一帯の聖徒に書き送った手紙です。
 この手紙の主題は、真の自由はキリストの福音に従って生活することによってのみ得られるというものです。もし聖徒たちが、モーセの律法の遵守を主張するユダヤ主義的キリスト教徒の教えを取り入れてしまうと、すでに見出しているキリストの自由を狭めるか、あるいは失ってしまうということが書かれています。パウロはこの手紙の中で、使徒としての自分の立場を明確にして、信仰による義の教えを説いて、霊的な教えの価値を断言しています。

 第1〜2章では、パウロはガラテヤ人の間に背教が起こっているという知らせに対して遺憾の意を表わしてており、使徒の中における自分の立場を明らかにしています。
 第3〜4章では、信仰と行いについての教義を論じています。
 第5〜6章には、信仰についての教義から実際にどのような成果を得られるのかが述べられています。



 真の自由はイエス・キリストの福音の中にのみ見出すことができるというのが、この手紙のテーマです。パウロはここではっきりと力強く、ユダヤ主義キリスト教徒、つまりキリストよりもモーセの律法に従うことを主張するユダヤ人キリスト教徒の教えが、聖徒たちがキリストの中に見出している新しい自由を制限して、あるいはそこなうものであると語っています。モーセの律法は、キリストがこの世で業を行う以前にはイスラエルの子らにとって価値がありましたが、しかし今は高い律法がそれに取って代っていると、パウロは語っています。

 この手紙の書かれた場所と時とをはっきり断定することはできませんが、紀元57年頃のパウロの第3回伝道旅行中にコリントで書かれたと思われていますこの手紙について最も論じられるのは、ガラテヤの聖徒はだれを指すかということです。ガラテヤは民族的か政治的かによって、ふたつの異なった地域を指し、民族的には、ガリア人が住んでいた小アジアの黒海のすぐ南方の地域を指します。ローマ軍がこれらのガリア人を征服した時に、その地域はガラテヤと呼ばれるローマの県とされました。この県はさらに広く、小アジアの南方まで及んで、この県は政治的に「ガラテヤ」という名前で呼ばれました。

 パウロがガラテヤという言葉を使った時、それらのどちらに対して心を留めていたのかということが、よく論じられます。現在もふたつの説があって、ひとつは北ガラテヤ説と呼ばれるものです。この見解をとっている人々は、パウロは民族的にこの語を用いたとして、ガラテヤは北方に限られるとするものです。しかしこの説で問題となるのが、その地方で伝道した記録がないひとが挙げられます。パウロも同僚であったルカも、主要の北方都市について全く記していません。ふたつ目の南ガラテヤ説を受け入れる人々は、パウロは既存の教会について語る時に、いつも県の名前を用いていると言います。例を上げると、アカヤ、アラビア、アジア、キリキヤ、ダルマテヤなどです。

 これらから考えて、パウロがここで用いているガラテヤは小アジアの南方の地域を指すことになります。彼が第1回伝道旅行で訪れたアンテオケ、デルベ、ルステラ、イコニオムの町々が含まれます(使徒行伝13章13〜14、23節、16章1〜9節)。使徒行伝とパウロの数々の記録から考えると、ふたつ目の説を支持するのが妥当と言えます。いずれの説が正しくても、この手紙の解釈と価値には何ら影響がありません。ここでは南ガラテヤ説とパウロの第1回伝道旅行で設立された教会に宛ててこの手紙を書いたとする説を支持しています。



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