エズラ記 第6〜10章研究解読



第6章22節〜7章1節
第8章15節
第10章19節



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2004/ 5/24  第6章22節〜7章1節、第8章15節 UP
2000/ 6/ 8  第10章19節 UP



第6章22節〜7章1節

第6章22節 喜んで七日の間、種入れぬパンの祭を行った。これは彼らが主を喜ばせ、またアッスリヤの王の心を彼らに向かわせ、彼にイスラエルの神にいます神の宮の工事を助けさせられたからである。
第7章1節 これらの事の後ペルシャ王アルタシャスタの治世にエズラという者があった。エズラはセラヤの子、セラヤはアザリヤの子、アザリヤはヒルキヤの子、


 ここに記されている「アッスリヤの王」とは、かつてのアッシリア州の王であるペルシア君主のことです。エズラ記に記されている王の統治は、必ずしも列挙されてある王の名前の順番とはなっていないようなので、ここで言われている「アッスリヤの王」は誰なのかを正確に判断することは難しくなっています。アッシリアはペルシアに併合される前に、すでに新バビロニアであるカルデヤ王国とメディア(メデア)王国に征服されていることから推測することができます。カルデヤの王ベルシャザルが殺された後にカルデヤを治めたメデア人ダリヨスか(ダニエル5章30〜31節)、イザヤの預言に記されている捕囚された人々の帰還のきっかけを作ったペルシア王クロス(イザヤ44章28節)のどちらかではないかと考えることかできます。

 第6章22節から7章1節までは60年近くの断絶された期間があります。この時期にエステル記の主人公であるペルシア王妃エステルがユダヤ人の虐殺を防ぎ、ひいてはエズラとネヘミヤの命をも救う結果となりました(エステル6章)。エステルの夫アルタシャスタ王はユダヤ人に対して好意的であったことが幸しています。学者であり大祭司の直系子孫でもあったエズラは、律法を教えて故郷の知事たちを指名し、犠牲を捧げて神殿を飾る公式の許可を受けています。エズラのヘブライ語の回顧録が7章27節から始まっています。




第8章15節

15節 わたしは彼らをアハワに流れる川のほとりに集めて、そこに三日の間露営した。わたしは民と祭司とを調べたが、そこにはレビの子孫はひとりもいなかったので、


 レビ族の男性は皆レビ人として数えられることになっていますが、祭司はレビ族のアロンの子孫であることが条件です(出エジプト28章1〜4節)。祭司はレビ人の1つのグループということになります。ここで言われている子孫とは、祭司ではないレビ人、つまりアロンの子孫ではないレビ人のことを指しています。




第10章19節

19節 彼らはその妻を離縁しようという近いをなし、すでに罪を犯したというので、
そのとがのために雄羊一頭をささげた


 この部分は救い主についての言葉が聖書から失われたとされている説に関係があります。

 殉教者ユスティヌスがトリュフォンと交わした対話の中に次のようなことが記されています。ユダヤ人エズラはこのとき、過越の羊を差し出して人々に次のように述べました。「そしてエズラは人々に言った。この過越は救い主と難民のためである。あなたがこの過越を信じ、ひとつのしるしとして主の前にへりくだり、主を信じるということを心に受け入れるならば、この地は永久に滅びることがない、と万軍の主は言われた。しかし主を信じないで、その教えに耳を傾けることをしなければ、あなたは異邦人の笑い草となるであろう。(トリュフォンとの対話72章)」


さらにこの話の中でユスティヌスは、ユダヤ人がキリストに対する憎しみにより、この部分を抹消したと述べています。


 ユスティヌスによれば、そうした敵意と憎しみからユダヤ人が削除してしまった箇所はそこかしこにあることを示しています。彼だけが聖書の失われた部分について指摘しているわけではなく、聖書を研究している学者もそのことを指摘しています。矛盾がみられる箇所は創世記第6章6〜7節、ルカ第11章4節にもあります。



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