エゼキエル書 第37,38章研究解読



第37章15〜17節
第38章2〜6節 第38章8節



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2004/ 5/ 6  第38章2〜6節 改訂
2000/ 7/25  第38章2〜6節、8節 UP
1999/ 6/25  第37章15〜17節 UP




第37章15〜17節

15節 主の言葉がわたしに臨んだ、
16節 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。
17節 あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。


 聖書学者はこれまで、キリスト教徒の従来からの解釈に従ってこの「木」という語は、ある種の記録と言うよりも、むしろ「棒ないしは笏」の意味であると主張しています。ふたつの支族の笏が合わせられるということは、離ればなれになっている支族が再びひとつとなるということの鮮やかな象徴であると結論づけられています。しかし、キース・H・メサービーが指摘しているように、最近の学問研究では末日聖徒の解釈が支持されてきています。最近の目を見張るような数々の発見から、今では末日聖徒の初代預言者であるジョセフ・スミスの解釈の正しさが裏付けられてきており、ある意味では1830年の当時ではあり得なかったことです。しかし、こうした新しい発見について論ずる前に、語学的な問題について目を通す必要があります。

 聖書の中の「木」という語にしろ、ギリシャ語七十人訳の「棒」という語にしろ、へブル語の「エツ」という語の訳語としては極めて異質なものです。へプル語のもともとの意味は「木材」という意味でした。

 現在のイラクには、アッシリアバビロンといった古代の故国であるメソポタミアのほぼ全域が含まれていますが、紀元前598年にエゼキエルが予言者として召されていた時、彼は捕らわれの身でバビロンで生活していました。その頃は通りをあるくたびに、当時の書記にあたるような人がくさび型の鉄筆を湿った粘土版に押しつけて、現在楔形文書として広く知られている複雑な文書を作成している光景が目に入ったことでしょう。しかし、現在では学者たちは当時メソポタミアでは他の種類の記録も作られていたことを知っています。それはパピルス、羊皮紙、そして木版といったものです。千年という長さを生き延びてきたものは粘土版しかなかったものの、


記録者たちは他にも記録の材料はあったとその粘土版の上に書き残しています。そのような記録形式のひとつが「木版」と呼ばれていました。


 現代の考古学者たちはパピルスや羊皮紙がどういう物か解っていますが、この「木版」という物を理解している人は少数です。何年か前の事ですが、サン・ニコロという考古学者は、ローマ人ギリシャ人も記録の目的で板から木製ろう版を作っていたことを思い出しました。この板の表面は縁を少し残して彫り込まれていましたが、それはその内側にろうを薄く塗って流れ出ないようにするためでした。書記官たちはこのろうの上に書いており、縁が盛り上がっていたのは、2枚の版が合わされた時に表面に彫り込んだ文字が損なわれないようにするためでした。これらのことから、バビロンの人々が同じような事をしたと考えることができます。

 それから5年後に、古代のアッシリアのあった地域で行われた発見によって、サン・ニコロの推論が文字どおりに実証されました。考古学者であるマックス・マローワンの監督の下に行われたその発掘は、聖書の中ではカラという名前で呼ばれていたニムロデの町にある、ある井戸の底の深い軟泥の層の中で行われました。その日の作業が終わる前には、作業員たちがすでに2組の木版の断片を発見していて、1組は象牙製でもう1組はクルミの木でできたものであって、それぞれ16枚の版で組んでありました。板の表面は皆2.5ミリほど彫り込んであり、周囲は1.3センチほどの幅で縁取りがしてあって、表面の彫り込み部分はろうを流し込むための場所です。

 丁度薄いビスケットのようになったろうの破片も発見されましたが、これはその板に付いていたものか、あるいは付近の軟泥の層の中に混じったものと考えられています。表面にあたる板には両側にちょうつがいの後があって、それぞれの組とちょうど屏風のように16枚の板がひとつにつながれていたことが明らかになっています。全作業がこうして広範囲にわたって記録されたおかげで、マローワンは世界最古の書物のひとつを発見したと発表することができました。

 こうした事を頭に置いて、この15〜17節の訳を次のように改めることができると考えられます。


「主の言葉がわたしに臨んだ、『人よ、あなたは1枚の木版を取り、その上に「ユダおよびイスラエルの同胞』と書け。
またもう1枚の木版を取り、その上に『エフライムの板であるヨセフおよびイスラエルの全同胞』と書け。
さてこの2枚の板を合わせて、1枚の板とせよ。そうすれば、
これはあなたの手にあって折りたたみ式の木版となる。」


 この訳の方が現在における、エゼキエルの時代の言語や文化に沿った訳であるといえるでしょう。




第38章2〜6節

2節 「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴクの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、
3節 言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグを、見よ、わたしはあなたの敵となる。
4節 わたしはあなたをひきもどし、あなたのあごにかぎをかけて、あなたと、あなたのすべての軍勢と、馬と、騎兵とを引き出す。彼らはみな武具をつけ、大盾、小盾を持ち、すへでのつるぎをとる者で大軍である。
5節 ペルシャ、エチオピヤ、プテは彼らと共におり、みな盾とかぶとを持つ。
ゴメルとそのすべての軍隊、北の果のベテ・トガルマと、そのすべての軍隊など、多くの民もあなたと共におる。


 エゼキエルは聖書の読者に向かって、大きな軍の指導者であり政治家でもあり、また終わりの日の指導者ともなるゴグという人物がどこの出身なのか、あるいはイスラエルとの戦いでは誰と同盟を組むのか、といったことを明確に説明しています。エゼキエルは「旧約聖書」の時代に広く知られていた名称を用いましたが、しかしその大部分は、現代の読者にとって全く意味がなくなってしまっています。そのため、以下の一覧表が、この最後の大戦争に参加する国がどこかをはっきりする上で役に立つことでしょう。こうした国々が実質的にエゼキエルの当時知られていた全世界の国々を指していたという事実は、あらゆる国々がイスラエルに対して戦うことを教えています(ゼカリヤ書14章2節)。


古代の名称
現代の名称
注釈
マゴク 黒海とクリミヤの北東にある地域。現在はウクライナ附近。 マゴクには昔はスキタイ人が住んでいましたが、この民はひどく野蛮な民族であり、迅速で残忍な戦闘術にも長けています。マゴクという語はこの民族の好戦的な性格を反映する象徴となっています。
メセク メセクの民は昔は「ムシキ」と呼ばれており、言語学者の中には、この名称が「モスクワ」の語源となったと考える人がいます。現在はロシア連邦。 メセクもトバルも、マゴクと同様にヤペテの子孫です。この3者は地理的にもそのほかの面でも密接な関係があったものと思われます。
トバル この地域はメセク附近にあったものと考えられています。グルジアやトルコの周りの黒海沿岸の地域に相当します。 ゴグがマゴクの出身であることを考えると、メセクとトバルとの関係から、ゴグは必ずしも一人の人物を指しているのではなく、ゴグのような行動をとる一国家、あるいは大勢の指導者の可能性が高いとされています。
ペルシャ イラン エゼキエルの時代には、ペルシャはまだ一大世界帝国とはなっておらず、そのためこの頃の領土はその後の領土に比較して、まだそれほど広くありませんでした。
エチオピヤ アフリカ大陸南部 ヘブライ語では「クシ」という言葉は通常、エジプト南部と北部アフリカ沿岸諸国に当たるアフリカ全体を指しています。
プテ 北部アフリカ諸国 プテは一般的にはエジプトを除く北部アフリカのことです。この地域には現在のリビア、チュニジア、モロッコ、アルジェリアが含まれています。
ゴメル 現在のヨーロッパのほぼ全域と小アジアの一部 メセクとトバルと同様に、ゴメルもヤぺテ(白人種)の子孫であり、大部分の学者は、昔の歴史家がキムメリオス人と呼んでいた民族の先祖であると考えられています。キムメリオス人は、後のゲール(ゴール)族、ケルト族、ブリトン族、チュートン族といった諸民族の祖となっています。
トガルマ 小アジア トガルマはゴメルの息子で、アルメニア人は自分たちはトガルマの子孫であると主張しています。現在アルメニアの国自体は小さいですが、かつては今のトルコ及びシリアを含む広い範囲を所有していました。


 この2〜6節を見ると、ロシア(旧ソ連)がイラン、エチオピア、リビアと連合するように見えますが、この表にとらわれずにもっと広い視野で考察するとよりよく解釈できるでしょう。一説ではこのような連合に中国も加わると言われています。



ハルマゲドン




第38章8節

8節 多くの日の後、あなたは集められ、終わりの年にあなたは戦いから回復された地、すなわち多くの民の中から、人々が集められた地に向かい、久しく荒れすたれたイスラエルの山々に向かって進む。その人々は国国から導き出されて、みな安らかに住んでいる。


 「多くの民の中から、人々が集められた地」とは、いうまでもなく「ユダヤ人」を指しています。「戦い」とは「中東戦争」、「みな安心して」とは「中東和平」のことです。このことから、


イスラエルが建国されていること、そして中東和平が実現してイスラエルに平和が訪れていることの、2つの条件が整って初めてゴグがイスラエルに侵入し、そこで最終戦争(ハルマゲドン)が始まることを意味しています


 このように見るとこれらの預言は2000年7月25日現在では、あまりに現実的となっています。



ハルマゲドン



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