出エジプト記 第4〜7章研究解読



第4章10〜17節 第4章18節 第4章24〜26節
第5章1〜23節
第6章1節 第6章3節
第7章11〜12節



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2004/ 6/14  第4章24〜26節 UP
1999/ 6/30  第4章10〜17節 UP
1999/ 1/ 1  第7章11〜12節 UP
1999/ 1/ 1  第5章1〜23節、第6章1節、3節 UP
1999/ 1/ 1  第4章18節 UP




第4章10〜17節

10節 モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。
11節 主は彼に言われた、「だれが人に口を授けたのか。話せず、聞こえず、また、見え、見えなくする者はだれか。主なるわたしではないか。
12節 それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。
13節 モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。
14節 そこで、主はモーセにむかって怒りを発して言われた、「あなたの兄弟レビびとアロンがいるではないか。わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出てきている。彼はあなたを見て心に喜ぶであろう。
15節 あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、
16節 彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、あなたは彼のために、神に代るであろう。
17節 あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行ないなさい」。


 モーセに代って語る者になることに、かなりのためらいを見せています。それはモーセに軽い言語障害があったらしいという可能性が指摘されているからです。しかし学者によっては、モーセはミデヤン人と40年間も生活していたために、ヘブライ語にもエジプト語にも自信がなくなっていたということを言っていたに過ぎないと考えている学者もいます。その外面的な理由は何であれ、神のモーセに対する答えは極めて明快で、意味深いものであったため反論する余地が全くありませんでした。しかし、自分は不適当であるというモーセの思いはまだ強かったため、なお自分には助けが必要であると訴えました。

 神はこのように何度も自信のなさを訴えるモーセに怒りを発して、モーセに代ってアロンを授けています。自分はふさわしくないと感じる正常な神経の持ち主なら誰でも、モーセに同情することができるでしょう。これらのことから、人は皆、神の力に信頼を置くようにしなければならないと考える必要があります。エノク(モーセ6章31節)やギデオン(士師記6章15節もやはり自分がふさわしくないと感じて、同じようなことを答えています。ですが最終的には、神に心を向けた時に大いなる事がその弱さの中から生まれ出ています。




第4章18節

18節 モーセは妻の父エテロところに帰って彼に言った、「どうかわたしを、エジプトにいる身内の者のところへ帰らせ、彼らがまだ生ながらえているか、どうかを見させてください」。エテロはモーセに言った、「安んじて行きなさい」。


 モーセが受けた偉大な示現がモーセの書第1章に記録されていますが、それはモーセがホレブ山で最初に召しを受けた後のことで、モーセがエジプトに到着する以前に起こったことです。モーセの書1章17節では、燃えるしばの経験が回顧の形で言及されています。モーセの書第1章24、25節では、イスラエルを束縛から救い出すことが、未来の出来事として語られています。




第4章24〜26節

24節 さてモーセが途中で宿っている時、主は彼に会って殺そうとされた。
25節 その時チッポラは火打ち石の小刀を取って、その男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけて言った、「あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です」。
26節 そこで、主はモーセをゆるされた。この時、「血の花婿です」とチッポラが言ったのは割礼のゆえである。


 聖書のこの部分に関しては詳細な記述がないため、何故がモーセを殺そうとしたのか十分な説明をすることは難しくなっています。チッポラの行動を見ると神がモーセを怒ったのは、モーセが息子に割礼を施さなかったことを示しています。チッポラは息子ゲルショムに割礼を施したくないと思っていたので、神がモーセに怒りを発していた時に改心して割礼を施したと考えられています。





第5章1〜23節、第6章1節

5章1節 その後、モーセアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒れ野で、わたしのために祭りをさせなさい』と」。
6章1節 主はモーセに言われた、「今、あなたは、わたしがパロに何をしようとしているかを見るであろう。すなわちパロは強い手にしいられて、彼をさらせるであろう。否、彼は強い手にしいられて、彼らを国から追い出すであろう」。


 は、パロ(ファラオ)に自らの自由意志で、イスラエルを解放して神の礼拝を許すように、その機会を与えていますが、しかしパロは自らこれを拒んだため、招いた結果に対する責めは自分で負わなければならなくなりました。




第6章3節

3節 わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。


 この部分は、エホバの名前がアブラハムイサクヤコブには知らされていなかったと言っているように読めてしまいます。ですが、ここは明らかな間違いです。創世記4章26節で最初に、主(エホバ)という名前がすでに書かれており、さらに主(エホバ)は何度か、アブラハムやイサク、ヤコブやその他の人々に現れています。これゆえに、この3節の翻訳には何らかの間違いがあったことは明らかとなります。この問題は、この3節がただ文尾の部分を抑揚を上昇調にすると、日本語と同じようにヘブライ語でも疑問文として読むことができるということを知っていれば解決します。この場合、翻訳する時に声に出して読まなかったら抑揚の識別ができないので、そのために原著者の意図を見逃してしまったのかもしれません。これらをふまえて解読すると、


わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに現れた。わたしは主なる全能の神、主なるエホバである。
わたしの名は彼らに知られていなかったであろうか。


と、このようになり、モーセ以前の時代にも知られていたことになります。(第3章14節ヨハネ第8章56〜59節




第7章11〜12節

11節 そこでパロもまた知者と魔法使いを召し寄せた。これらのエジプト魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。
12節 すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。


 歴史を通じて、またほとんどあらゆる国に病人を癒したり奇跡を行ったりして、非常に神秘的な力を発揮する人がいました。古代の王の宮廷には占い師、魔法使い、星占い師が見られました。彼らはある力を持っていて、君主の問題や夢などを見抜き解いています。このことをよく現している例が出エジプト記に記録されています。パロは、「知者と魔法使い」を召していますが、彼らもモーセアロンに行うように命じた奇跡の幾つかをまねて行いました。アロンがつえを投げるとつえは「へび」になりましたが、エジプトの魔術師たちが彼らのつえを投げた時もつえは皆「へび」になっています。

 マタイによる福音書7章22〜23節や、ルカによる福音書13章16節には、サタンは男女の体を縛って非常に苦しめる力を持っていると書かれており、サタンが体を縛る力を持っているならば、解き放つ力も持っていると考えられています。サタンは人間にはわからない力と知識を持っているため、神による介入による力がない限り、権力を行使してある程度自然の力を支配することができるという実例が、この11〜12節となっています。同様な魔術師との対決は、第8章、第9章、第10章などにも詳しく記述されています。



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