出エジプト記 第31〜34章研究解読



第32章1〜6節
第33章7節
第34章29〜30節



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第32章1〜6節

1節 民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちにのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。
2節 アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしにもってきなさい」。
3節 そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。
4節 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。
5節 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。
6節 そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。


 この一連の行為は極めて奇妙で、聖書中の出来事として非常に説明しがたい行為のひとつです。疑問点はいくつもあります。山上でと会見するという素晴らしい経験をしてきた直後であるのに(19章9〜19節)、民衆はそんなにも早くその光景を忘れたのでしょうか。アロンは、本当に民衆を助けるために何か神を作ることができるとでも考えたのでしょうか。しかも、アロンが民をいさめた形跡がどこにも見当っていません。恐らく、アロンは民のために、神の力と勢力を示す何かの象徴のようなものを作ろうとしたのではないでしょうか。ちょうど、雲や火の柱のように、神が常時それに力を授けてくれることが、民衆にもはっきりわかるようにしてやりたいと考えたのではないでしょうか。あるいは、装飾品をすべて犠牲に捧げるように言うことによって、そうした神の求めを鎮静化できると考えたのかもしれません。

 しかし、以上の疑問は単なる憶測にしかすぎないものであり、それらを支持する根拠は極めて希薄です。しかしながら、一つ明らかにしなければならない点があります。それは、


アロンには、いと高き神を礼拝することをやめて、他のものを礼拝しようという意図はなかった


と思われる点です。この時アロンははっきり「明日は主の祭である(5節)」と言いました。またこの出来事の時に、正しい礼拝に伴なう適切な儀式が行われていることも6、7節の燔祭や酬恩祭が行われていることで証明できます。以上のことからアロンは、民が鋳物の子牛という偶像的な媒体を通じて礼拝することを許し、また奨励さえしたけれども、真の神だけが礼拝の対象であると考えていたことは明らかです。




第33章7節

7節 モーセは幕屋を取って、これを宿営の外に、宿営を離れて張り、これを会見の幕屋と名づけた。すべて主に伺いの事のある者出て、宿営の外にある会見の幕屋に行った。


 モーセが「会見の幕屋」名付けた特別な幕屋は、出エジプト記25〜30章に記されている「聖所」としての幕屋とは違うもので、これはモーセが作った個人的な幕屋です。聖所の幕屋は、契約が完全に回復される(出エジプト35〜40章)まで作られていないので、また先祖代々伝えられてきた幕屋ができる前に使われていたものでもないので、この幕屋とは違うことが分かります。しかし、雲の柱がこの幕屋の上に降ったために(10節)、一時的な聖所となり、その中でがモーセと語ったため、同じ名称の幕屋という言葉で呼ばれることになりました。ここは神が姿を現す特別な場所なので、神聖さを保つために宿営地の外に場所を設け、神に伺いのある人はこの天幕の所まで行きました。




第34章29〜30節

29節 モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。
30節 アロンイスラエルの人々がみな、モーセを見ると、彼の顔の皮が光を放っていたので、彼らは恐れてこれに近づかなかった。


 天界の影響を受けた人物から光が放たれるなどの現象は、この箇所に限られたことではなく、度々記録されてきました。新約聖書では五旬節の日に、使徒たちから「舌のような(使徒2章3節)」光が輝いて見えたと書かれています。ここで「光を放つ」訳されているヘブライ語は、「garan」という語で、これは「角」を意味する名詞から派生した動詞です。これは「角」のように光を放つ、あるいは日の出前に地平線に朝の光が射すように輝くという意味になります。この現象から、アラブ人は日の出の時の太陽を「gazell」と呼んでいます。ヘブライ語からラテン語に訳す際に誤訳があったために、イタリアの有名な画家ミケランジェロは自作「モーセの像」の頭上に、本当に角をつけてしまいました。




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