出エジプト記 第17〜19章研究解読



第18章12節



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2006/ 7/25  第18章12節 UP




第18章12節

12節 そしてモーセのしゅうとエテロは 燔祭と犠牲を神に供え、アロンとイスラエルの長老たちもみなきて、モーセのしゅうとと共に神の前で食事をした。


 この部分とその前後の節は、一見すると離散していたモーセとその家族が合流し、お互いの無事とエジプトから脱出できたことを喜び合って、モーセの義父エテロとモーセの家族とイスラエルの長老たちが祝宴をした、というような情景を思い浮かばせるところです。しかしこれは、義父エテロが何者であるかを記した貴重な場面であって、意図的に隠された「神の権能」に関するものです。この行為は聖書全般に渡ってなされていることであり、おそらく教会運営組織的なものは一般書簡によらない何か別の書に記されているのではないか、と考えさせられるものです。

 モーセは両親もレビ人であるれっきとした祭司の出であり(出エジプト2章1〜2節)、エジプトから多くの民を率いて脱出させた、イスラエルの神に対する代表です。かたや義父エテロはミデアンという砂漠を放浪する民の祭司でした。ですが、そのある意味異教の民であろうとされる祭司はと言葉をかわすほどの人物であるモーセを目の前にして、神に燔祭と犠牲の供え物をささげてイスラエルの長老たちまで呼びました。通常これは全く考えられないことです。本来ならこの燔祭と犠牲は、民の代表であるモーセが取り仕切るべき立場であって、「ミデヤンの祭司」が行えるものではありません。異教の混入はイスラエルが最大限に警戒するレベルのものです(古代及び現代の偶像崇拝)。では、この出来事の意味はというと、


ミデヤンの祭司エテロは異教の祭司ではなく、イスラエルの祭司である


ことを証明しているものです。これはモーセの生立ちを見るとわかってきます。モーセはエジプトの王パロの残虐行為から逃れた数少ないイスラエル人、ヘブル人で、殺そうとした王パロの娘の下で育てられるという、稀に見る神の庇護を受け成長しました。彼が神と相対するようになったのは、ミデヤンの祭司エテロの娘と結婚してからです。この時代、とくにイスラエル、中でもレビ人の結婚意識は他の民族にはない厳格なものがありました。祭司となれるのはレビの家系のみであり、世襲制を維持しながら祭司の家系をつなげて行かなければならないからです。

 エテロが娘チッポラを妻としてモーセに与えたのは、モーセがレビ人の家系であることが分かっていたからでしょう。それでなければ娘を助けた程度のことでここまでモーセに気を許すことは考えられないことです。ここまでの経緯だけでも、エテロが異教の祭司ではなくイスラエルの祭司であろうことが推測できます。これを証明するものが長子の教会の預言者に与えられていました。


教義と制約第84章
6節 そして、聖なる神権によるモーセの息子たち、そのモーセは彼のしゅうとであるエテロの手の下でそれを受け、
7節 エテロはカレブの手の下でそれを受け、
8節 カレブはエリフの手の下でそれを受け、
9節 エリフはエリミの手の下で受け、
10節 エリミはガドの手の下で受け、
11節 ガドはイザヤスの手の下で受け、
12節 イザヤスは神の手の下でそれを受けた。
13節 イザヤスはまたアブラハムの時代に生きていて、彼から祝福を受けた。
14節 このアブラハムはメルキゼデクから神権を受け、メルキゼデクは先祖の血統を通してそれを受け、まことにノアまで至り、
15節 ノアから先祖の血統を通してエノクまで至り、
16節 エノクから、兄の陰謀によって殺されたアベルに至る。アベルは、神の命令により最初の人であった父アダムの手によって神権を受けた。
17節 この神権はあらゆる時代に神の教会の中に存続し、日の初めもなく年の終わりもない。


 この中には、途中アブラハムとイザヤスの間で途切れるも、アダムからモーセまでの代々に渡る権能の系図が述べられています。14節のメルキゼデクはノアの息子セムではないかと考えられている人物で、古代のエルサレムであったサレムの長です。上記のことからこの時代の祭司の長であったエテロは、神によってエジプトの圧制から隔離されていた、あるいは邪悪な影響から守るためにとっておかれた偉大な人物であることが分かってきます。


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