出エジプト記 第14〜16章研究解読



第14章21〜29節
第15章24節



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2004/ 6/21  第15章24節 UP
2004/ 3/ 2  第14章21〜29節 追加修正
2000/ 6/ 2  第14章21〜29節 UP




第14章21〜29節

21節 モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分れた。
22節 イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。
23節 エジプト人は追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海にはいった。
24節 暁の更に、主は火と雲の柱のうちからエジプト人の軍勢を見おろして、エジプト人の軍勢を乱し、
25節 その戦車の輪をきしらせて、進むのに重くされたので、エジプト人は言った、「われわれはイスラエルを離れて逃げよう。主が彼らのためにエジプト人と戦う」。
26節 そのとき主はモーセに言われた、「あなたの手を海の上にさし伸べて、水をエジプトひとと、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。
27節 モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれに向かって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。
28節 水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。
29節 しかし、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。


 現代の学者の中には、モーセはイスラエルを連れて直接紅海そのもの、つまりスエズ運河を渡ったわけではなく、「葦の海」を渡ったのだと主張する人がいます。ヘブライ語のYam Suphというのは「葦の海」という意味だからです。そして、横切った場所はビッター湖近くの低湿地帯であったと考えられています。彼らは、エジプトの戦車は泥に車をとられ、兵士たちは高波に襲われておぼれ死んだと主張しています。しかし、水が左右に分れて、かきとなっていることからも、突然風が吹いて干上がった沼地を通って行ったなどという生易しいものではありません。

 神がイスラエルに紅海を渡らせた理由は少なくとも2つあると推測されます。ひとつは、その行為によって神の偉大な守りの力があることを示すためです。この戦闘で、ほとんど武器らしい武器を持たない民族が、当時世界で最も強力な軍隊のひとつと戦う相手は、神しかいませんでした。それゆえにこの出来事は、これ以降信頼と従順を求める神の命令の序曲となり、先がけともなっています。2つ目は、この戦いが終わった時にエジプト軍が壊滅したということです。エジブトが力を貯え直す年月の間、イスラエルは何ら攻撃を受けることなく、約束の地で強固な国を造っていくことができました。パウロは、紅海を渡って雲や火の柱の下にいたことは、明らかに水と火によるバプテスマの予形であったと教えています(1コリント10章1〜4節)。

 この紅海割れの出来事は、その頃に起きた太陽系の異変であるとする説が、今出ている様々な説よりもうまく説明されています。それは、この頃の古代世界各地の歴史書に金星の記述がないことから、これは金星が誕生して地球に接近した影響であるという説です。このできたばかりの金星は軌道も安定しておらず、惑星の形成もまだ初歩の段階であって、惑星の放つ磁界や電磁波は強烈であり、それが接近した地球に影響を与えたとされています。実験では、


水に強力な電磁波を当てると、磁界に沿って水が左右に分かれる


ことからもこの説は有力であると考えられます。これらのことから、鉄製戦車の車軸がきしんだのも、この誕生初期の金星が放つ強力な電磁波の影響で鉄が磁石のような反応が起きたと見ることができます。また同様の出来事はヨシュア記にも見られており、モーセがエジプトから脱出する時と同じ、水が分かれる現象が起きています(ヨシュア記3章14〜17節)。

 では、この飛鳥情報がもたらした実験結果と実際に起こった奇跡との関係を考えてみましょう。
 磁場によって水が分かれる現象を発見したのは、日本の九州大学工学部・生体情報システムのグループでした。彼らは磁場が生体にどのような影響を与えるのかを調べる実験の最中に、全くの偶然でこの現象を発見しました。その実験内容とは、長さ1メートル、幅10センチ、深さ5センチの細長い水槽に水を入れて、そこに水平方向から特殊な超伝導マグネット装置で磁気断層撮影装置MRIの4〜8倍、磁束密度8テスラ以上の強磁場をかけます。すると、磁場を中心にして水が両側へ押しやられるように変形し、ちょうど磁場のある所だけを避けるように、水の壁が両側にできます。つまり、紅海が割れの奇跡と非常によく似た現象が起きます。

 通常では水に磁気はないと考えられていますが、分子レベルではわずかながら磁気を持っています。しかもこれが特殊な磁気なので、外部から強い磁場をかけられると、それに反発するような方向に磁場を作り、N極ならN極にS極ならS極に磁場を作ります。そうなると水は、かけた磁場の強い方から弱いほうへ向かって動き、結果として水が両脇に分かれてしまいます。

 紅海割れの奇跡の実態を解く鍵はここにあります。誕生したばかりの金星は内部がまだ安定していないので、地表にも重金属が高熱で溶けた状態で存在しており、それが巨大な地磁気を形成していました。現在の金星は誕生時より安定したためか地磁気はほとんどといっていいほど観測されていません。地球も地磁気を持っているので、惑星規模の大きな相互作用で巨大な磁気嵐が発生したと予想することができます。そこに、潮汐作用によって引き潮が起こり、さらに嵐による強風がより大きな引き潮を作り、いつもの海の深さよりもずっと浅くなりました。このような状態の時に、巨大な磁場の影響で海水が磁場に沿って両脇に分かれて、吹き付ける強風が海底を乾かし、エジプト人の軍隊に追い詰められたイスラエル人はさほどの難もなく紅海を渡ることができました。

 おそらくこれが現在で最も詳しく紅海割れの奇跡を説明できるものでしょう。単純に、強風と引き潮によって紅海の浅い部分が露出したという説もありますが、紅海は浅瀬が少ないので強風と引き潮だけでは
、「水は彼らの右と左に、かきとなった」 という奇跡を説明できません。またこの奇跡が起きる前は、数々の災害がこの地を襲っていることからも惑星規模の干渉があったと考える方がうまく説明できます。


太陽系についてはこちらを参照




第15章24節

24節 ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」。


 この節は、「つぶやく」という言葉が20箇所以上聖書に記されている最初の場所です。イスラエルの人々は、紅海を分けてエジプト軍を壊滅させた奇跡を目の当たりにしながらも(第14章21〜29節)、とうとうに向かって不平を言い始めました。この「つぶやく」という性質は、イスラエルの性格の中でもかなり大きな比重を占めており、また、彼らが当面した問題の原因になったこともあったと考えられているものです。「つぶやく」という行為は真鍮版の中にも見られ、聖書とほぼ同じ回数が記されています。これは、問題の解決のために関心を持っていることや批判をはっきり口に出して言うのではなく、陰に回って言う不平不満のことです。この問題は聖書や真鍮版の民に限られたことではなく、回復された教会の間にもよく見られることです。

 この「つぶやく」行為に関して、教会指導者は次のような声明を出しました。

 「わたしは、忠誠の原則について注意を喚起したいと思う。真理に対する忠誠と神が真理の業を進めるために選ばれた人々に対する忠誠である。わたしは『真理』と『人々』をひとまとめにして言っている。それは、一方を受け入れながら、もう一方を部分的に拒むなどということは不可能だからである。わたしは声を大にして、そのような批判から身を守るよう警告し、勧告する。・・・そのような批判は、時に高い地位にある、あるいはあった人から出てくることがある。そのような人々は、うわべだけは教会の中でよい評価を得ている。そして、自分たちの気持ちを表現するときには、度々、『わたしたちも教会員ですから、わたしたちの気持ちも考えてください』と言うのである。

 そのような人々は、


福音の精神に完全に調和し、教会員として特権を十分享受しながら、同時に教会の指導者やその指導や助言と調和しないでいることができると考えている。そのような考え方はまったく矛盾している


 この教会を導く力の源は、ただ文書かされた言葉だけでなく、絶えざる啓示もそうだからである。主はその啓示を選ばれた指導者を通じて教会に与えられるのであって、それ以外の人を通じては与えられない。それゆえ、福音を受け入れると公言しながら、同時に指導者の勧告を批判し従おうとしない人々に、弁護の余地はない。」

 教会指導者の声明の中には、教会員の中に幾つかの考えを持った人々がいることが示されています。建設的な意見を述べる人、批判や荒さがしを好む人、またはそのどちらにも無関心な人です。無関心な人は建設的とも言えない「散らす者」なので、批判や荒さがしをする人と同じ種類に分けられます。新約聖書に記されている「権威ある者にさからってはならない」とは、言い換えると「不平を言ってはならない」ことを意味しています。つまり、「つぶやき」はキリストによって禁じられた戒めの一つであることが分かります。

 では、教会指導者が間違っていると感じた場合、どのような判断方法があるのでしょうか。まず大前提として、批判する人の多くは人を批判するほど、命じられた、あるいは自分が約束した律法を守ってはいないことが挙げられます。律法を守っていないということは、それだけ神の霊感から遠ざかっていることを示しているので、人を批判する気持ちが強くなってきたら、まず自分はどうなのかを考える必要があります。次に自分がもし指導者であったなら、どのような指示や勧告、助言を与えるだろうかと別の立場になって考えを整理します。これらのことを少々の時間をさいて考えることができれば、人を批判するとはどのようなことなのかを理解する糸口が見つけやすくなってきます。

 批判や荒さがしをする人の性質として次のようなものが挙げられます。


劣等感が強く、妬みやすい
自分の立場を保護しようとする
自己正当化による責任転嫁


 しかしこれらのものは、人であるならば多かれ少なかれ誰でも持っているものです。また人が犯しやすい罪であり、日常的に発生するものなので見分けも困難な場合も多くありますが、自分の状態を知ることによって冷静な判断をすることが可能となってきます。これらのことから、教会から外れているであろうと思われる指導者を判断するには、自分が神の前に正しい行いをし、神の霊感を羅針盤とする生活基盤を築いて、霊感に対して敏感になることが必要となってきます。霊感による理解が深まれば、間違ったことを言っていない指導者が理解できることでしょう。間違った指導者は、自分の行いによって自滅するか、神に直接罰を与えられたりするなど必ず淘汰されていることが、聖書には記されています。もしあからさまな行為が目に付いたなら、他の場所を管理している指導者の意見を聞くなども必要なことであると考えられます。




第16章

4節 そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。
12節 「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らにいいなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたかだの神、主であることを知るであろう』と」。
13節 夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。
14節 その降りた露がかわくと、荒野の表には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い紙ものうであった。
31節 イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
32節 モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。
34節 そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。
35節 イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた。


 



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