エステル記 第1〜5章研究解読



第1章4〜12節
第2章5〜8節
第3章1〜6節



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第1章4〜12節

4節 その時、王はその盛んな国の富と、その王威の輝きと、はなやかさを示して多くの日を重ね、百八十日に及んだ。
5節 これらの日が終わった時、王は王の宮殿園の庭で、首都スサにいる大小のすべての民のために七日の間、酒宴を設けた。
8節 その飲むことは法にかない、だれにもしいられることはなかった。これは王が人々におのおの自分の好むようにさせよと宮廷のすべての役員に命じておいたからである。
10節 七日目にアハシェエロス王は酒のために心が楽しくなり、王の前につかえる七人の侍従メホマン、ビズタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタルおよびカルカスに命じて、
11節 王妃ワシテに王妃の冠をかぶらせて王の前にこさせよと言った。これは彼女が美しかったので、その美しさを民らと大臣たちに見せるためであった。
12節 ところが、王妃ワシテは侍従が伝えた王の命令に従って来ることを拒んだので、王は大いに憤り、その怒りが彼の内に燃えた。


 エステル記は偉大なペルシアアハシェエロスの宮殿内、スサの大庭園で行われた大宴会の場面から始まっています。スサはペルシャとペルシャ征服したバビロニアに近い場所、チグリス・ユーフラテス川対岸のカルデヤウルの北東方向にあります。アハシェエロスという名はペルシャ語クシャヤルシャのヘブライ語訳で、歴史上ではクセルクセスの名の方がよく知られているようです。学者の多くはエステル記は紀元前482年から紀元前478年頃記録されたと述べています。8節によると、この酒宴の特徴の一つは、多量のぶどう酒が出されることで、招かれた客には欲しいだけ与えられることになっています。これがおそらく王妃ワシテが出席を拒否した理由でしょう。7日間もの間ぶどう酒を飲み続けた来客は、すっかり酔いしれてしまい、そのような状態の人々の前に出て自分の美しさを披露することは、王妃の威信にかかわると彼女が考えたものと思われます。




第2章5〜8節

5節 さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。
6節 彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕らえていったユダの王エコニヤと共に捕らえられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕らえ移された者である。
7節 彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを育てた。彼女は父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。
8節 王の命令と詔が伝えられ、多くのおとめが首都スサに集められて、へガイの管理のもとにおかれたとき、エステルもまた王宮に携え行かれ、婦人をつかさどるへガイの管理のもとにおかれた。


 モルデカイの背景については確かなことはあまり知られていません。ただ、ベニヤミン族の出身で、曾祖父は最初のユダヤ人のバビロン捕囚の際に連れてこられたことが明らかなだけです。彼はペルシャの階級組織の中でも高い地位にいて、宮廷に近づくことができたと信じるユダヤ作家もいます。モルデカイは神に対して強い信仰を持った熱心なヘブライ人であったことは聖文の記述から察することができ、また彼は勇気あるまじめで実務型の人物でした。彼のおじに1人の娘が生まれ、ヘブライ語で天人花(てんにんか)という植物を意味するハダッサという名が付けられており、聖書中では星を意味するペルシャ語の名前でエステルと記されています。彼女の両親が亡くなったときにモルデカイがエステルを養女にして、家に引き取って養育しました。




第3章1〜6節

2節 王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまづいてハマンに敬礼した。これは王が彼についてこうすることを命じたからである。しかしモルデカイはひざまづかず、また敬礼しなかった。
5節 ハマンはモルデカイのひざまづかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、
6節 ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。


 モルデカイがハマンへの敬礼を拒否したことに関して、個人的な理由の可能性は低いでしょう。説明できることは、モルデカイがユダヤ人であるという理由で敬礼の免除を主張したことです。恐らくハマンが敬礼に単なる忠誠心でなく礼拝を要求したのに対して、モルデカイは神の第1の律法を守ろうとしたということが考えられます。もし偶像礼拝に対する恐れが敬礼拒否の背後にあるとすれば、ユダヤ人はだれも敬礼をしないので、ユダヤ人すべてに復讐しようとするハマンの決意に不自然さがなくなります。無差別虐殺を含む類似の復讐行為が、紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスによって記録されています。

 エステル記にはユダヤ人を撲滅しようとするハマンの計画が書かれてありますが、これは明らかな反ユダヤ主義の現れです。20世紀のユダヤ民族に対して非理性的な迫害が起きているのを見ると、1人の人間の傷つけられた自尊心のためにこのような不合理な結論に達してしまうことも現実にあることを認識することができます。ただ、ヨーロッパで起きたユダヤ人迫害は1人の人間の思いではなく、人種を超えた拝金主義者たちの世界的なビジネスであったことが違いとなっています。



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