エレミヤ書 第32〜36章研究解読



第32章1〜5節 第32章6〜44節
第34章1〜7節 第34章8〜22節
第35章
第36章



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2004/ 6/ 3  第36章 UP
2004/ 6/ 2  第32章6〜44節、第34章1〜7節、第34章8〜22節、第35章 UP
2004/ 5/29  第32章1〜5節 UP



第32章1〜5節

3節 ユダの王ゼデキヤが彼を閉じ込めたのであるが、王は言った、「なぜあなたは預言して言うのか、『主はこう仰せられる、見よ、わたしはこの町をバビロンの王の手に渡し、彼はこれを取る。
4節 またユダの王ゼデキヤはカルデヤびとの手をのがれることなく、かならずバビロンの王の手に渡され、顔と顔を合わせて彼と語り、目と目は相まみえる。
5節 そして彼はゼデキヤをバビロンへ引いていき、ゼデキヤはわたしが彼を顧みる時まで、そこにいると主は言われる。あなたがたは、カルデヤびとと戦っても勝つことはできない』と」。


 古代ユダヤ人の指導者がエレミヤに対して断固たる態度で臨んだ理由は、純粋に政治的観点から見れば理解しやすくなります。国家の危機に際して、エレミヤはバビロンへの降伏と隷属を勧めるという、彼らにとって無情とも思える判断を下しましたが、エレミヤは政治的な観点から語ったのではなく、ただ神の言葉を伝えたにすぎません。包囲されているさなかに、目前に迫ったユダの捕囚とバビロニア人による王の敗北を預言したエレミヤは、ユダの王ゼデキヤによって監禁されていました(2節)。それは同時期に預言をしていたエゼキエルが、「そこで死ぬであろう(エゼキエル12章13節)」という言葉をゼデキヤ王に伝えていたからです。

 しかしこれはエレミヤが再三警告したきたことを守ればの結果ですが、王は守らず、またバビロニア人の残虐さを知っているがゆえに、エレミヤの「顧みる時までそこにいる」という預言が信じられなかったので、エレミヤを監禁したと考えることができます。ゼデキヤ王は、エレミヤが先に預言したことを守らなかったので(エレミヤ22章1〜4節、第34章1〜7節)、最後はエゼキエルの預言とよく似たものとなりました(列王記下第25章1〜7節)。2節の「監視の庭」は第32章6〜44節




第32章6〜44節

8節 はたして主の言葉のように、わたしのいとこであるハナメルが監視の庭のうちにいるわたしの所に来て言った、『ベニヤミンの地のアナトテにあるわたしの畑を買ってください。所有するのも、あがなうのも、あなたの権利なのです。買い取ってあなたの物にしてください。これが主の言葉であるのをわたしは知っていました』。
12節 いとこのハナメルと、買収証書に記名した証人たち、および監視の庭にすわっているすべてのユダヤ人の前で、その証書をマアセヤの子であるネリヤの子バルクに与え、
13節 彼らの前で、わたしはバルクに命じて言った、
14節 『万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、これらの証書すなわち、この買収証書の封印したものと、封印のない写しとを取り、これらを土の器に入れて、長く保存せよ。
15節 万軍の主、イスラエルの神がこう言われるからである、「この地で人々はまた家と畑とぶどう畑を買うようになる」と』。


 6節からはエレミヤの土地買収の記録ですが、ユダの捕囚という土地に人がいなくなってしまう出来事があるために、1〜5節までを説明として記載しているようです。エレミヤは近親者として権利があったので、いとこの土地を買い取り(レビ25章25節、ルツ4章)、15節の神の約束を信じる証明として、買収の証拠品をつぼに密封しました(11〜12節)。これによってこの土地はエレミヤの死後、所有権は一番の近親に与えられることになります。32章のこの部分は、散らされた民衆がバビロンから帰ってこの地に住むようになるという、エレミヤに対する神の保証の言葉となりました。

 「監視の庭」とは、ハナメルから買い取った土地をもらい受けに行くためエルサレムを出ようとした時に、ベニヤミンの門で番兵にカルデヤに脱出しようとしていると誤解され、書記ヨナタンの家にある獄屋からゼデキヤ王のはからいによって、居場所を獄屋から移された場所です(37章11〜21節)。




第34章1〜7節

1節 バビロンの王ネブカデレザルがその全軍と、彼に従っている地のすべての国の人々、およびもろもろの民を率いて、エルサレムとその町々を攻めて戦っていた時に、主からエレミヤに臨んだ言葉、
2節 イスラエルの神、主はこう言われる、行ってユダの王ゼデキヤに告げて言いなさい、『主はこう言われる、見よ、わたしはこの町をバビロンの王の手に渡す。彼は火でこれを焼く。
3節 あなたはその手をのがれることはできない、必ず捕えられてその手に渡される。あなたはまのあたりバビロンの王を見、顔と顔を合わせて彼と語る。それからバビロンへ行く』。


 この部分は、バビロンの王ネブカデレザル(列王記ではネブカデネザル)によるエルサレム征服とユダの王ゼデキヤの捕囚と死についての記述です(列王記下第25章1〜7節)。またここで述べているゼデキヤへの預言は、後にゼデキヤが預言者エゼキエルによって伝えられたものとは違っていたと解釈して、エレミヤを投獄することになった原因の預言でもあります(第32章1〜5節、エゼキエル第12章1〜14節)。




第34章8〜22節

8節 ゼデキヤ王がエルサレムにいるすべての民と契約を立てて、彼らに釈放のことを告げ示した後に、主からエレミヤに臨んだ言葉。
9節 その契約はすなわち人がおのおのそのへブルびとである男女の奴隷を解放し、その兄弟であるユダヤ人を奴隷としないことを定めたものであった。
10節 この契約をしたつかさたちと、すべての民は人がおのおのその男女の奴隷を解放し、再びこれを奴隷としないということに聞き従って、これを解放したが、
11節 後に心を翻し、解放した男女の奴隷をひきかえさせ、再びこれを従わせて奴隷とした。
12節 そこで主の言葉が主からエレミヤに臨んだ、
17節 それゆえに、主はこう仰せられる、あなたがたがわたしに聞き従わず、おのおのその兄弟とその隣に釈放のことを告げ示さなかったので、見よ、わたしはあなたがたのために釈放を告げ示して、あなたがたをつるぎと、疫病と、ききんとに渡すと主は言われる。わたしはあなたがたを地のもろもろの国に忌みきらわれるものとする。
20節 わたしはその敵の手と、その命を求める者の手に渡す。その死体は空の鳥と野の獣の食物となる。
22節 主は言われる、見よ、わたしは彼らに命じて、この町に引きかえしてこさせる。彼らはこの町を攻めて戦い、これを取り、火を放って焼き払う。わたしはユダの町々を住む人のない荒れ地とする。


 バビロンの王ネブカデレザルによってエルサレムが包囲された当初、町の人々はヘブライ人奴隷を解放しました。それは出エジプト21章1〜11節および申命記15章2節にあるように古い律法が奴隷の解放を規定していたためでもあり、また包囲された町を守るのに人手を必要としたからでもあると考えられています。どちらにしても、厳粛な聖約によって奴隷の解放が保証されていました。ところがこの時期エジプト人の進軍でバビロニア人がエルサレムの包囲をとくような気配を見せたので(37章11節)、町の人々は厳粛な誓いをしていたにもかかわらず、兄弟愛や通常の正義を無視して哀れな兄弟たちを再び奴隷にし始めています。この不正な行為は、すぐさま神の非難と恐ろしい有罪宣告をもたらしました。




第35章

1節 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの時、主からエレミヤに臨んだ言葉。
2節 「レカブびとの家に行って、彼らと語り、彼らを主の宮の一室に連れてきて、酒を飲ませなさい」。
6節 彼らは答えた、「われわれは酒を飲みません。それは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じて、『あなたがたとあなたがたの子孫はいつまでも酒を飲んではならない。
7節 また家を建てず、種をまかず、またぶどう畑を植えてはならない。またこれを所有してはならない。あなたがたは生きながらえる間は幕屋に住んでいなさい。そうするならば、あなたがたはその宿っている地に長く生きることができると言ったからです』。
18節 ところでエレミヤはレカブびとの家の人々に言った、「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる。あなたがたは先祖ヨナダブの命に従い、そのすべての戒めを守り、彼があなたがたに命じた事を行った。
19節 それゆえ、万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」。


 この章はヨシヤの息子エホアハズに代わって王となった、兄弟エホヤキムの時代の出来事を記したものです(25章)。ここでエレミヤは、かつて酒を飲まないとの誓いを立てて、神の家でエレミヤから勧められても酒を断ったレカブ人の正しい模範をユダヤ人に示しました(12〜16節)。この民はカルデヤ人とシリア人の脅威を感じてエルサレムに移り住んでいたために、難を逃れています(11節)。「カルデヤ人とシリア人の脅威」とあるので、イスラエルの北方の地に住んでいたと考えることができます。エレミヤは、多くの預言者たちを遣わしても一向に行いを改める気のないユダとエルサレムの人々に、聖約の民ではなくても忠実であったレカブ人の模範を伝えるように神から言われました。しかし、結果はレカブ人のことを聞いても変わらぬ態度を取りつつけたために災いが下されています(15章2節、第34章8〜22節)。

 「わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」とは、レカブ人の子孫は神の前に認められるほど優れた人が、終わりの日まで絶えることなく出ることを示しています。




第36章


 36章も35章同様、時代が戻っている部分です。エホヤキムの治世第4年に神の言葉がエレミヤに臨んで、できるものならユダが威嚇の言葉を聞いて立ち返るように、それまでに述べた説教をすべて記録せよと命じられました(1〜3節)。エレミヤはその命令に従って、従者バルクに神の言葉をすべて書物に書き記させ、さらにそれを断食の日に神殿で、地方からエルサレムにやって来た人々に読み聞かせよと命じています(4〜8節)。その後、エホヤキムの第5年の9月に断食が行われて、バルクは神殿のゲマリヤの部屋で集まった民にその預言を読みました。ゲマリヤの子ミカヤがそのことを宮殿に集まっていた王族、家来たちに告げると、彼らは巻物を持ってくるようにとバルクを呼んでそれを読ませました。

 ところが彼らはその内容に驚き、王に知らせる必要があると考えましたが、その預言ゆえに王がエレミヤとバルクに危害を加える恐れがあると感じた家来たちは、エレミヤとバルクに身を隠すように指示しています(9〜19節)。家来たちの進言を受けた王は巻物を持ってこさせて、一部を読ませましたが、幾らも読み進まないうちに王は巻物を切り裂いて、部屋の中に燃えていた炉に投げ込み、バルクとエレミヤを呼ぶように命じるも、神はエレミヤとバルクを隠しました(20〜26節)。巻物が燃えた後に、神はエレミヤに新しい言葉を巻物に書いて、エホヤキム王の屈辱的な運命を預言せよと言っています。そこでエレミヤはもう一度バルクに神の言葉を書き取らせました(27〜32節)。




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