エレミヤ書 第10〜14章研究解読



第10章1〜16節
第11章1〜14節
第12章1〜4節 第12章5節



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2004/ 5/ 8  第10章1〜16節、第11章1〜14節 UP
2001/ 6/ 6  第12章1〜4節 UP
2001/ 5/30  第12章5節 UP



第10章1〜16節

9節 銀ぱくはタルシシから渡来し、金はウパズから携えてくる。これらは工人と金細工人の工作である。彼らの着ものはすみれ色と紫色である。これらはみな巧みな細工人の作った物である。
14節 すべての人は愚かで知恵がなく、すべての金細工人はその造った偶像のために恥をこうむる。その偶像は偽り物で、そのうちに息がないからだ。
15節 これらは、むなしいもので、迷いのわざである。罰せられる時に滅びるものである。


 エレミヤは深遠ですが単純な論理を展開して、偶像礼拝の愚かさと不合理を示しています。人間は木や貴金属といった材料を用い、好きなように細工して日用の生活物資を作ります。その同じ材料で偶像を作り出し、それに向かって超自然的な力や拝む者に守護を願う摩訶不思議な力を求め、頼ろうとしてきました。




第11章1〜14節

1節 主からエレミヤに望んだ言葉は言う、
2節 「この契約の言葉を聞き、ユダの人々とエルサレムに住む者に告げよ。
3節 彼らに言え、イスラエルの神、主はこう仰せられる、この契約の言葉に従わない人は、のろわれる。
10節 彼らは、わたしの言葉を聞くことを拒んだその先祖たちの罪に立ち返り、またほかの神々に従ってそれに仕えた。イスラエルの家とユダの家とは、わたしがその先祖たちと結んだ契約を破った。
13節 ユダよ、あなたの神々は、あなたの町の数ほど多くなった。またあなたがたはエルサレムのちまたの数ほどの祭壇を恥ずべき者のために立てた。すなわちバアルに香をたくための祭壇である。
14節 それゆえ、この民のために祈ってはならない。また彼らのために泣き、あるいは祈り求めてはならない。彼らがその災いの時に、わたしに呼ばわっても、わたしは彼らに聞くことをしないからだ。


 1〜14節には、モーセが率いたイスラエル人のエジプト脱出の際に神がイスラエルの家と交わした聖約のことが述べられています。出エジプト6章7節にはこのように記されています。「わたしはあなたがを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる」。ユダヤ人の先祖がその聖約を破ったように、ユダの子孫もまた聖約を破ってしまいました(10節)。そのため、宣告された罰を逃れる人はおらず、エレミヤの祈りも民の祈りも聞かれることはなくなりました。聖書学者スペリーはこのように述べています。

 「エレミヤの警告は無駄であった。ユダヤ人の間に陰謀が潜み、先祖の罪悪に立ち返ってしまったことを、主は彼に指摘された。民の神々は町の数ほど多く、バアル神の祭壇はエルサレムの通りの数ほどあった。しかしその神々は苦難のときに民を救うことはないと主は警告された。


彼らの霊的状態から見て、預言者は民のために祈ってはならないと命令された。主も民の叫びを聞かれないであろう。」




第12章1〜4節

1節 主よ、わたしがあなたと論じ争う時、あなたは常に正しい。しかしなお、わたしはあなたの目の前に、さばきのことを論じてみたい。悪人の道がさかえ、不真実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。
2節 あなたが彼らを植えられたので、彼らは根づき、育って、実を結びます。彼らは口ではあなたに近づますが、心はあなたから遠ざかっています。
3節 主よ、あなたはわたしを知り、わたしを見、わたしの心があなたに対していかにあるを試みられます。ほふるために羊を引き出すように、彼らを引き出し、殺す日にそなえて、彼らを残しておいてください。
4節 いつまで、この地は嘆き、どの畑家の野菜も枯れていてよいでしょうか。この地に住む者の悪によって、獣と鳥は滅びうせます。人々は言いました、「彼はわれわれの終わりを見ることはない」と。


 エレミヤは昔から多くの人が疑問に思ってきたことを提起しています。それは義人が恵まれない状況にありながら、悪人が繁栄するようなことがあるのは何故なのか、また悪が罰せられるまで、どれほどまたねばならないのかということです。エレミヤがアナトテの同郷人に抱いた反感は、悪人の隆盛ぶりに対する彼の怒りをさらに強いものとしています。そこで彼は神に語り始めて、その正義によって彼らがその地から放逐されることを要求しており、それに対して神は、状況がさらに悪くなったとしても、辛抱強く耐えなければならないことを告げて、彼の剛腹さと短気を咎めました

 ここの個所は前の章と関連していることは明らかですが、民のどうしようもない腐敗ぶりを具体例で示しており、


罪悪が極点に達した民にどれほど神が忍耐しているかを人々に示すために、預言に入れられています。




第12章5節

5節 「もしあなたが、徒歩の人と競争して疲れるなら、どうして騎馬の人と競うことができようか。もし安全な地で、あなたが倒れるなら、ヨルダンの密林では、どうするつもりか。


 なぜ悪人が栄えるのかというエレミヤの疑問に対して与えられた神の返答は、勇気を奮い立たせる鮮明な効果がありました。この言葉は特別にエレミヤとその民にとって意味のあるものです。もし、当面する最小の悪に過敏に反応して激しい不平を並べるとしたら、預言者の努めにあってさらに強大な敵のさらに大きな悪と遭遇するときに、どうすればよいのでしょう。このことは現代人の日々の生活の中にも言えることです

 ここで、「徒歩の人」とは「通常の悪事」を、「騎馬の人」とはもっと恐ろしい悪事をしている人のことを指しています。この節の意味はこのようなものでしょう。「もしも今平和を享受している国で自分を安全だと思えないなら、ヨルダン川の氾濫に遭ったときはどうするのでしょうか。敵があふれる奔流に国の隅々まで寄せてきているときはどうするのでしょうか」。このように言われるのは、収穫時に起きるヨルダン川の氾濫により、岸に沿った繁みを隠れ家としていたライオンなどの猛獣が追い出されてしまって、それらが国中を襲って人を食い殺し、家畜を奪い、恐ろしい修羅場を呈していたからと言われています。




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