コロサイ人への手紙 研究解読


第1章26節 第2章18〜19節 第3章19節


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2007/  8/11  第3章19節 UP
2000/10/ 5  第1章26節、第2章18〜19節 UP



第1章26節

26節 その言葉の奥義は、世々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。


 パウロの言う奥義とは、キリストのことです。肉欲の心を持ってキリストを理解しようとする人々には、キリストは奥義のような存在であり、御霊に従う人々にしか、キリストを知ることはできないと言っています。




第2章18〜19節

18節 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
19節 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。


 グノーシス派は、人は直接神に近づくことはできず、天使かあるいは天使より下位に位置する神聖な御霊を通して神との交流を図らなければならないと考えていました。パウロはここで、この天使礼拝の考えを非難しています。天使礼拝は聖徒たちが真のかしらであるキリスト、つまり人と神との間の唯一の仲保者に従うことを妨げようとするものです。ナグ・ハマディ文書はグノーシス派が残した書物であるとも言われています(新約聖書外典




第3章19節
19節 夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。


 男女を問わず、異性に対して目を転々と移し、心は気まぐれにさまように任せて伴侶以外の者とふざけ合ったり、心を許しあったり、求め合うことに何ら罪悪感を持たないような既婚者が驚くほど多いのを目にすることがあることでしょう。この短い節が訴えていることは次のようなものです。


心を尽くして『妻』を愛し、妻と結び合わなければならない。その他のものと結び合ってはならない。


 「心を尽くして」とは、心を分散させないということです。また妻たる女性に対しては次のように言い換えることができます。


心を尽くして『夫』を愛し、夫と結び合わなければならない。その他のものと結び合ってはならない。


 その他のものと結び合ってはならないという言葉は、他のあらゆる人、あらゆるものを排除することを意味しています。配偶者はその生活において最も優先するものであり、社交、職業、政治、そのほかの利害、人、物が自分の配偶者に優先するようなことがあると、お互いの間に亀裂が生じます。夫より子供のことに心を奪われ、常につきっきりでおり、時には夫と子供たちの間を引き裂く女性を見かけます。このような家庭に落ち着きややすらぎなどというものはありません。子供にしか感心のない夫も同様です。

 結婚とは全面的な忠節と信頼を前提とします。そしてそれぞれの配偶者は相手が全面的に自己を、つまり心、強さ、忠誠、誉れと愛情を自分に与えてくれていると理解している状態の時、強くやすらかな安心感をお互いに与え合います。他人から見ても夫婦としての絆が強く現れている時です。至福であると感じていれば、これらは神の栄光の現われであると実感できることでしょう。愛すべき人から心をそらすのは神の栄光にそぐわない行為、つまりは「罪」となり、改めなければその代償を支払わなければならなくなります。それは時にとてつもなく大きくなるもので、それが原因で相手を傷つけたり、ひどい場合は命さえ亡くすような事態に陥ることもしばしば見られています。

 夫や妻に心を注ぐのは神の栄光に更に栄光を増し加える喜ばしい行為です。これと同様に結婚生活、愛する相手、その間に授かった新しい命や家族に目と心とを一心に向けるようにすべきです。このような家族と環境を地上の楽園、天国というのではないでしょうか。



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