コリント人への第二の手紙 第1〜7章研究解読 |
第7章8〜10節 |
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2000/ 9/17 | 第7章8〜10節 UP |
第7章8〜10節 |
8節 | そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間であるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、 |
9節 | 今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。 |
10節 | 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。 |
しばしば人は、自分がした行いは悪い行いであったと遺憾の意を表明する事によって悔い改めたとすることがあります。しかし、真の悔い改めにはその人自身を変えて、変革し、救うような神の意志に添った悲しみがあることでしょう。遺憾に思うだけでは不十分です。刑務所に送られた自分の愚行に対して高い代償を払わなければならないことに気がついた罪人は、罪を犯さなければよかったと思うことですが、これは悔い改めではありません。たとえ自分の行為を非常に悔いていたとしても、重い刑罰のために悔いているのであれば悔い改めにはなりません。単に悲しんでいるのに過ぎないということです。 真に悔い改める人は、あれこれ懸念する前にまず悔いることでしょう。また、誰にも知られないような事でも悔います。 |
通報を受けて捕らえられるような、あるいは罪を終局的に明るみに出されてしまうような周囲の鎖に縛られた罪人は、「神のみこころに添った悲しみ」を抱いてはいない |
場合があって、重大な局面に至って初めて気が付くことがあります。悔い改めの時期を逃してしまうと罪は一層深まり、悔いることが少なくなるので悪を行うことに危機感が薄れ、さらなる罪を犯してしまう悪循環を生むという恐ろしい状態に陥ってしまいます。 |
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