名称の重要性

時代背景

参戦国

ゴグの軍

ふたりの証人 最後の危機 解放

そして、始まり




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 「ハルマゲドン」 この名称はこれまで数々の書物や映画に取り上げられ、数多くの注釈が加えられてきました。ハルマゲドンという言葉は、巨大な軍隊、恐ろしい苦しみ、広範囲な荒廃といった光景を連想させられます。そして多くの人々が聖典とは無関係の数々の憶測をしてきました。世界の歴史的な出来事の中で、この大事件はどの程度知られているのでしょうか。ハルマゲドンについては多くの人たちが様々な事を語っていますが、その中でどの程度信じるに足りる事があるのでしょうか。予言者たちは本当にそれほど多くの事を語っているのでしょうか。現代の予言者たちはどうでしょうか。現代の予言者たちもこの事について何か語っているでしょうか。この名称の起源はどこにあるのでしょうか。

 古今の予言者たちは福千年に先駆けて行われるこの最後の大戦争について、かなり広範囲にしかも詳細にわたって語っています。しかしそれはこの事件が星の栄光の状態にある地球の最後の場面で起こる重大な出来事であることを考えれば驚くことではなく、れっきとした前もって告げられていた出来事だからです。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、ゼカリヤ、ヨハネなどといった人物がこれまでその戦いやそれに伴なって起きる出来事について語っています。

 イザヤ
は神が全世界に戦争を臨ませると言い、エレミヤも同じ事について語り、それらの様々な恐ろしい出来事について触れています。またダニエルも、エゼキエルも、ヨエルも、ゼパニヤもゼカリヤも皆、この終わりの日、すなわち太陽が暗くなり月が血に変わり星が天から落ちるその日には、地の国々がイスラエルに敵対して集まると予言しています。彼らは皆その日のことについて語っていて、その後その日が来ると、キリストが目に見える形で再降臨すると言っています。

 さて、このHPを訪問していただいた機会に、聖書の予言者の記録に何が書かれているのか、一緒に調べてみましょう。根も葉もない空理空論はことごとく排除していくことにします。聖典に書かれている事柄は、正確に翻訳されている限りすべて予言者から与えられたものであり、予言者自身が語りかけてくれます。


当HPは予言者の言葉の研究を助けるものであり、ここで書かれてある事そのものを研究の対象にしてはいけません。




名称の重要性


 現在のイスラエルのガリラヤ南部の、エルサレムから100`ほど北に、広大で豊かな平野があります。ここはイスラエルの国家の中でも最も豊かな農業地帯のひとつであり、しばしばイスラエルの食卓と呼ばれる事もあります。この平野は、北は海外側のハイファ湾から南東はヨルダン川にまで広がる地域です。エスドラエロンの谷という現在もギリシャ語で名がつけられた場所は、一番幅のある所では24`ほどもあり、北のナザレの山系と南のカルメル山、ギルボア山、そしてサマリヤ丘陵との間にはさまれた所に位置しています。

 古代で最も重要な街道のひとつがこの谷を通っていて、ウィア・マリス、すなわち「海の道」はエジプトの海岸に始まり、現在のハイファとカルメル山のすぐ南で内陸部に向かって折れていて、山々を走る重要な峠を越えて、やがてエスドラエロンの平野へ下っています。この道は戦略的にかなり重要であり、この谷の入口には要塞都市が築かれていました。この都市がメギド、すなわちヘブル語で「軍隊の地」という意味の町です。この町は、丘のすぐそばにあったため、ハル・メギド、つまり「メギドの山」という名称でも知られていました。新約聖書ではこの言葉は「ハルマゲドン」に変わっています。

 ごく昔の時代からハルマゲドンの谷、すなわちエスドラエロンの平野では何度も大きな戦闘が行なわれてきました。ここはエジプトの歩兵が行進して、アッシリアの軍隊が雄叫びを上げ、ネブカデネザルのバビロニア軍が通過した場所です。またユダヤ人ゲリラがローマ軍と戦い、十字軍とイスラム教とが凄惨な戦いをし、イスラエル軍がアラブの軍勢に向かって進軍した場所でもあります。メギド、言い換えれば「軍隊の地」です。この地域を言い表すのに、これ以上適切な名称はないでしょう。さらにまた、キリストが降臨する前の最後の世界大戦が行われる場所の名称としても、これ以上に適切なものは見つけがたくもあります。

 ハルマゲドンの名称を使ったのはヨハネであり、「三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。(黙示録16章16節)」と記しています。聖句でこのような使い方をされて以来、この名称は大戦争全体を指す言葉として使われるようになっています。しかし、「ハルマゲドンの戦い」という表現が聖典のどこかにあるわけではありません。中には誤って、最後の大戦争の舞台がここであるという結論を下す人もいますが、正確に言うと、最後の戦いはエルサレムを中心にしてその周辺、つまりエルサレムからメギドに至る全領域、あるいはそれ以上の領域で行なわれる可能性があるということです。

 ある教会指導者は、この大戦争はキリストが栄光のうちに降臨する前に起こる最後の出来事のうちの一つであるとして、次のように解説しています。「これらの予言者がはっきり告げていることのひとつは、キリストの再臨に先立つ大戦争はエルサレム攻略をもって終わりを告げるということである。軍隊がパレスチナに集まった時が、主が降臨して裁く時であり、その下す重大な決定により主の民の敵は混乱する。そして主の民は永遠に古代の地に定住することになる。」明らかに、これは世界にとって重大な意味を持つ出来事です。


旧約の神(キリスト)がこれまでに詳細にわたって教えてきたのは、それに耳を傾ける人々が備えをなして、
世界の歴史上最大の戦争が始まるときに慰めを得ることができるようにするためであるということです。




時代背景


予言者たちの言葉によると、実際の戦闘が始まる前に重要な出来事がいくつか起こることになっています。


イスラエルの家が異邦人の中から集められ、その故国へ連れ戻される(エゼキエル36章24節、37章21節)
イスラエルの地は契約の民の手によって再建され、再び人々が住み始める(エゼキエル36章10〜12節)
この地の生産力が著しく向上し、肥沃になってエデンの園のようになる(エゼキエル36章8節、29〜30節、34〜35節)
イスラエルの地には再びひとつの国が興される(エゼキエル37章22節)
エルサレムはイスラエル人の首都として再興される(ゼカリヤ書1章16〜17節、2章12節、12章6節)
ユダは政治的にも軍事的にも強大になる(イザヤ書19章16〜17節、ゼカリヤ書10章3節、5〜6節)
サタンに仕える大連合が終わりの日に組織される。この連合体は様々な名前で呼ばれ、そのうちの「海から上ってくる
獣(黙示録13章1節)」は地上の諸々の国々を表しています(黙示録13章1節、17章8〜14節)

その他に「憎むべき大教会」、「悪魔の教会」、「大淫婦」、「憎むべき者らの母」などと呼ばれています


 終わりの日の悪の連合体でその最もたるものは現代の「共産主義」であると言われています。これはかなり重要な事であり、キリストはサタンの支配が世界に広く及ぶことを知っていたと考えられ、だからこそサタンを世の君と呼んでいます。しかし別の見方をすると、サタンは世界の国々の中にあって世界の政治の面にも入り込み、すでに10億人の人々をもの支配下に置いています。この非常に殺伐とした破壊的な思想のために、これまで幾百万という人々が死に追い込まれ10億という数にせまる人々が奴隷にされていると言ってもよいでしょう。ですが、今現在(1999年)の段階では資本主義の国家ですら「憎むべき大教会」の影響がかなり濃く見られます。これらサタンの影響が少ない国は地上ではほとんど残っていないというのが現状です。



連合体についての詳しい説明はこちら




参戦国


 エゼキエルとエレミヤは戦いの譜代となる特定の地域の名称をあげていて、イスラエルがその戦争の標的になると明確に述べています。エゼキエルは、メセクとトバルの大君であるマゴクの地ゴクが、イスラエルに対して集まる軍勢の長になると具体的に名称をあげています(エゼキエル38章1〜3節)。マゴクとメセクとトバルというのは、古代の国々の名称であって、現在のその地域は大部分が旧ソビエト連邦あるいはその近隣諸国に当ります。ゴクというのは、終わりの日に起こる悪の一大勢力の指導者、あるいは指導者群を象徴的に表す言葉ですが、何も共産諸国に限ったことではなく、権力と利益を必要以上に追い求める団体も含まれます。

 エゼキエルは、ペルシャ、エチオピア、プテ(リビア)、ゴメル、そしてトガルマがゴクと同盟を組むと言っており(エゼキエル書38章2〜6節)、エレミヤも中東にあった古代の国々の名称を幾つかあげていて、それがイスラエルの敵対する国々であるとしています(エレミヤ書25章12〜25節)。こうした具体的な名称があがっていますが、それは必ずしもある特定の国々を指しているわけではありません。むしろこの場合は古代の国々を指しているのであって、ここにあげられている地名をもとにハルマゲドンで戦う国々の名称をすべてあげるのは無理です。数々の予言を見ても、イスラエルに味方する国と敵対する国が現在どのような名称で呼ばれているかということについては触れられてはおらずようするに、神に選ばれた民の残りの者の妥当をはかり、


それを滅ぼそうとする国々の連合体には、ゴクとマゴクという名称が与えられるということです。


 予言者たちは、あらゆる国が何らかの形でこの同盟にかかわることになるという点では一致していました(エレミヤ書25章26節、ヨエル書3章1節、ゼカリヤ書14章2節、黙示録16章14節)。他に、エゼキエル書38章8節、ヨエル書2章1節、3章1〜2節、ゼカリヤ書14章2節などの聖句によると、


この悪の大同盟が戦争を仕掛ける相手はイスラエルです。




ゴグの軍


 予言者たちの中には象徴的な表現ながらも、この軍隊の力と大きさとを生々しく書き残している人も多くあります。エゼキエルは「彼らはみな武具をつけ、大楯、小楯を持ち、すべてつるぎをとる者で大軍である。(38章4節)」と書いています。また「暴風のように」攻め寄せ「雲のように地をおおう(同9節)」とあり、さらに「多くの民」がゴグと共におり、「皆、軍事力の象徴である「馬」に乗り、その軍隊は大きく、その兵士は強い(同15節)」とあって、旧約の予言者ダニエルは「北の王」が「大いなる軍勢」を持って攻め込みますが、「これに立ち向かう力」がないと書いています(ダニエル書11章13,15節)。また、「北の王は、戦車と騎兵と、多くの船を持って、つむじ風のように彼を攻め、国々にはいっていって、みなぎりあふれ、通り過ぎるでしょう(同書11章40節)」とも書かれていて、特にダニエル書11、12章は、これは終わりの日について書いたものであると言われています。

 ヨエルも旧約の予言者ですが、この軍隊はその時点で世界の歴史上最大の軍隊になるであろうと述べています(ヨエル書2章2節)。また、「火」のように地を焼き、攻め寄せる以前はエデンの園のようであったものを「荒れ果てた野(同書2章3節、4〜5節)に変えてしまうと書いています。ヨエルはまた、この軍が極めて高度の軍事訓練を施されており、無敵であるとして次のように書いています。「彼らは武器の中にとびこんでも、身をそこなわない。(同書2章7〜9節)」

 黙示者ヨハネは、雲のように押し寄せるいなご(大災害をもたらすほどの驚異的な数)という比喩を用いています。また、この軍は「ししの歯」のような歯を持ち、「鉄の胸当」のような胸当てをして、その「羽」の音は「馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった(黙示録9章8〜9節)」と書いています。この兵の数は「2億(同書9章16節)」もあり、「火の色と青玉色と硫黄の色の胸当」をつけていて、「その口」からは「火と煙と硫黄(同書9章17節)」とが出ていると書かれてあります。ある注釈者はヨハネとヨエルが使った比喩について次のように解説しています。「古代の予言者たちが見たものは、強力な武具によって身を守られた兵士たちや、戦闘部隊、戦車隊、火炎放射部隊、戦闘機やミサイル、砲弾、その他の邪悪な人々が好んで戦闘を行なった時代に開発された数々の武器であると考えてもおかしくはない。」

 これほど多くの人々がこの邪悪な「同盟」に加わるのは、一つには奇跡を行なう「偽宗教家」たちの後押しがあるからです(黙示録13章15節、19章20節)。この解釈が間違っていないことについて、ある注釈者は、
「キリスト教界全体が深い暗黒に覆われ、祭司たちの偽善売教がひどくなると、それによって人々はがんじがらめになり、理解の目を眩まされ、心をかたくなにしてしまう。さらに次の言葉が成就することになる。主が聖徒たちの上に力を振るい、悪魔が自らの領土を支配する時が来る。悪魔はその力を聖徒たちの上にも及ぼし、聖徒たちを支配する。そして、旋風に吹き散らされるもみがらのように聖徒たちを連れ去ってしまうのである。悪魔は何億という人々をエルサレムの周囲の谷に呼び集め、集合したユダヤ人たちを悪魔的な奇跡を使い滅ぼそうとする。聖書には、地の王たちや大いなる者たちがこの「偽の奇跡」によって欺かれると書かれている。3つの汚れた霊が出てきて奇跡を行なうが、これは悪魔の霊であると説明されている。この霊は地の王たちの所へ行き、王たちを呼び集めて、全能の神の大いなる日に戦いを挑むのである。その場所が『ハルマゲドンの谷』である。」と言っています。
 




ふたりの証人


 予言者の言葉を研究するにつれて、ひとつの疑問がわきあがってきます。それは、現代のイスラエルのような小国家が世界の「連合軍」を敵にまわすことができるのだろうかということです。この疑問を解く鍵とは、この重大な出来事に登場するふたりの極めて重要な人物の役割を理解することにあります。黙示者ヨハネはこのふたりの人物について一番詳しく書き残しています。この「ふたりの証人」あるいは「二本のオリブの木」または「二つの燭台」と呼ばれます(黙示録11章3〜4節)。このふたりは、「ユダヤ人に対して立てられる予言者」であって、「ユダヤ人が集められてエルサレムの町を立てた後にユダヤ人に予言する者」です。彼らは回復された教会に属する人らであり、反抗的なユダヤ人に向かって予言する期間は、キリストがユダヤ人の先祖たちに向かって伝道していた期間、つまり3年半と同じものになるようです(黙示録11章2〜3節)。

 二本のオリブの木とふたつの燭台は、ふたりの証人の象徴です。おそらく新約聖書にあるように、花婿に会うために出て行く者たちの明かりの油をこのふたりが用意をするという意味と思われます。このふたりの予言者には地に向かって大いなる裁きを下す力が与えられています(同書11章5〜6
。彼らにはエリヤのような力が与えられています。エリヤとは、天から火を呼び寄せてその敵を焼き尽くした人であり、また天を閉じて3年半の間イスラエル全土に雨を降らせなかった人です(列王紀上17章18節、列王紀下1章)。またこのふたりにはモーセのような血と疫病をもたらす力も与えられます(出エジプト記7〜10章)。このような奇跡の力によって、イスラエルの壊滅を狙うゴグとその軍の侵攻が阻止されるのでしょう。

 ヨハネは黙示録11章の中で、この出来事に関してより詳細な情報を提供しているといえます。彼の記録では、町と神殿がユダヤ人の手で再建された後、異邦人がそれを42ヶ月にわたって踏みにじるとあり、その間2人の予言者が現われて、絶えず予言をして力ある奇跡を行なうと言っています。つまり、このふたりが予言をしている間は、異邦人の軍隊は町を完全には破壊し壊滅させることができないことを意味しています。旧約の予言者イザヤはこの予言者を「ふたりの子」と呼んで、「主の憤りに満ち」ている点をあげて、イスラエルの解放の唯一の望みであると言っています。




最後の危機


 ヨハネの記録には、ふたりの預言者は最終的には殺され、そのためにイスラエルは非常に危機的な状態に陥ると書かれています。このふたりの証人は捕らえられて敵軍によって殺され、その死体はエルサレムの通りに「3日半」の間さらされ続け、この時に敵の軍勢はふたりの死を大いに喜び祝う(同書11章7〜10節)とあります。ここで人の霊性、あるいは人徳がどれほど落ち込んでいたかということは、邪悪な人々が神の預言者たちを殺害しただけでなく、自分たちの行為を吹聴して、自慢していることがわかります。そのような人々はかつて聖書の中で滅んで行った人々と同じように、罪悪が極点に達していて、今にも滅ぼされ焼かれる寸前であると言えます。

 この予言者たちの死体が大通りにさらされている「3日半」の間に、軍隊がエルサレムの町とイスラエルの残りの人々に襲いかかります(同書11章9節
。つまり、3年半の戦いの終わりにようやく軍隊はこのふたりの予言者を殺すことができ、さらにまた町の大半の侵略にも成功します。彼らは、ふたりの予言者を殺したことで互いに贈り物をし合い、その間死体を墓に納めることを許さず、3日半の間エルサレムの大通りに死体をさらしておきます。ゼカリヤは、「エルサレムの町は取られ、家はかすめられ、女は犯され、町の半ばは捕らえられて行くその時に、この「最後の危機」に生き残る者はイスラエルの国の3分の1でしかない」と言っています(ゼカリヤ書14章1〜2節、13章8〜9節)。




解放


 このイスラエルの歴史上最も悲惨な時ではないかと思われる時に、さらにまた、イスラエルの民がまさに全滅するかと思われる時に、神の怒りが世界の国々の上に下される(エゼキエル書38章18節)とあります。他にも、「その時、主は出てきて、いくさの日にみずから戦われるように、それらの国びとと戦われる(ゼカリヤ書14章3節)」とも書かれています。

 殺されたたふりの予言者は、死体がエルサレムの大通りに3日半さらされた後に、突然神から「命の息」を受けて起き上がり、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われます(黙示録11章11〜12節)。その時、天から「ここに上ってきなさい」と言う声が聞こえてきて、ふたりは敵が見ている前を雲に乗って天に昇って行く姿が見えることでしょう。その後に史上最大の地震が地球を襲い、全世界が影響を受けると書かれています(黙示録11章13節
、16章18節、エゼキエル書38章19〜20節、ハガイ書2章6〜7節)。天変地異は地震だけでなく、次の4つ災害が地球を襲うと言われています。


分離している地球の土地がひとつになり、島々も大陸もみなひとつの陸地となります。
谷という谷は高められ、山という山は低くなり、現在の高低のある地域は一様に平らにされ、
福千年の時には「園」となります。
これまでなかったような地震が、地上の至る所で先のふたつの異変に伴なって起きます。
地殻の移動により、大西洋が北に移動すると言われています。


 これらの天変地異が原因で、エルサレムにはひとつの「大きな泉」が湧き、それが新しい川となって西は地中海に注ぎ、東は死海へと流れ込むようになります(ゼカリヤ書14章8〜9節、ヨエル書3章18節、エゼキエル書47章1〜5節)。この川のために、死海はその水が浄化されて癒されることになり(エゼキエル書47章6〜12節)、岸辺は緑で覆われて死海には魚が住みつくようになるとも書かれています。現在のエルサレム周辺のこの地域は、今は山も多く道も険しいですが、その時には高低がならされて「平地」(ゼカリヤ書14章10節)のようになります。またオリブ山がふたつに裂けてイスラエルの民はそこを通って逃げるとあります(同書14章4〜5節)。

 聖書の予言者たちは皆、この日について予言しており、「その時」がくると神はその姿を隠れた場所から顕わすとされています。その時の状況は凄まじいものであり、ユダヤ人はエルサレムだけでなく、パレスチナ全域に渡って軍隊に包囲されてしまいます。キリストが降臨するのは、まさにユダヤ人が滅びようとするこの時であり、同時に大地震が起こります。この地震はパレスチナ地方だけでなく、オリブ山がふたつに裂けて民が逃げるだけではなく、文字通りに全地が震えるとありますが、他にも恐ろしい事がエゼキエル書38章17〜23節に書かれています。
 ユダヤ人はこの裂け目から逃げると、自分たちのメシヤが救いに来た場面に出会い、感謝と喜びの心でこの「解放者」受け入れ、その体にある傷を見つけることになります。しかしユダヤ人たちは、自分たちのメシヤが遥か昔に先祖のところに来たメシヤと同じ人である事に気づき、そしてユダヤ人国家はやっと自分たちの神に立ち返ることとなります(ゼカリヤ書12章9〜10節、13章6節、14章5節)。


 ゴグの軍に下される神の怒りは、大地震だけではありません。
 ゴグの兵たちは互いに攻撃し合いますが、おそらくこれは大地震のために恐れが生じて大混乱に陥るためと考えられ(エゼキエル書38章21節、ゼカリヤ書14章13節)、火とひょうと大雨が敵の頭上に降り注ぐとあります(エゼキエル書38章22節、黙示録16章21節)。ヨハネはその雹の重さが1タラントほどであると言っていますが、これは約30`の重さと考えられており、エゼキエルはゴグの地には火が送り込まれると書いています(同書39章6節)。エゼキエルの書いたものが核兵器の描写の可能性が非常に高く、イザヤはその火が土地自体にどのような影響を及ぼすかということについて書いています(同書34章9〜10節)。その結果疫病が軍隊を襲い、そのためにひどい病気と災難に苦しめられることになり(ゼカリヤ書14章12節)、その神の裁きに耐え得るのは、侵攻してきた軍隊のうちの6分の1でしかありません(エゼキエル書39章2節)。


 こうして戦争を遂行する力も失ってしまい、エルサレムに関しては7千人が殺され、町の10分の1が破壊されます(黙示録11章13節)。また、その荒廃がひどいために、7年間イスラエルはその軍隊の残した物や戦利品に頼って生活するはめになり(エゼキエル書39章8〜9節)、死体を埋めるのに7ヶ月かかり、さらに地を清めるために絶えず埋葬隊が、残された死体を捜しに出ます(同書39章11〜16節)。イザヤは、主が「彼らをわたして、ほふらせられた。・・・山々はその血で溶けて流れる(同書34章2〜3節)」と言っています。エレミヤは、主が「悪人をつるぎに渡す。・・・その日、主に殺される人々は、地のこの果てから、かの果てに及ぶ(同書25章31、33節)」と書いています。

 ゴグの軍勢に下される神のさばきは、聖典では「主の犠牲の大いなる日」という名前で知られています(イザヤ書34章5〜6節、エゼキエル書39章17〜22節)。また、「主と国々との争い(エレミヤ書25章31節)」、「神の大宴会(黙示録19章17〜21節)」、「神の激しい怒りの大きな酒船(黙示録14章19節、19章15節)」などと呼ばれています。


これまで述べてきた事を要約すると、何年かの後、政策に行き詰まった国々はユダの息子たちの豊かさをうらやみ、何とか口実を
見つけて戦いをしかけて『聖地』を占領して民の物をかすめ、民の宝を奪わせるでしょう。キリストが再臨するのは、苦しみにあえいで
征服されたも同然の時にユダヤ人に対してであり、その運命の日に、数カ国からなる敵の軍隊が街を破壊して戦争の恐怖に
エルサレムの人々が震えているとき、キリストはオリブ山に立ち、ユダヤ人を逃がすためにその山をふたつに割ります。天軍を従えて
降りてくるキリストは、異邦人の連合軍を打ち負かして滅ぼした後に、自分自身を長い間民が待ち望んでいた大いなる救世主、
義の征服者として礼拝する人々に姿を現します。彼らの心は愛と感謝、畏敬、賛美の念で満たされますが、キリストは彼らに十字架に
架かった時の傷を見せて、先祖たちに現れた、「ナザレのイエス」であることを示します。こうして彼らの心から不信の念が離れて
、一部のイスラエル人を「かたくな」にしていたものが取り除かれることになります。




そして、始まり


 ハルマゲドンとは世の終わりのしるしであって、「悪しき者の滅亡」と定義されています。しかし、これはキリストの福千年の統治のために、そして1千年続く平和な時代のために道を備えるものです。人類は義と健康と教育と繁栄と安全の輝かしい時代に入ることになります(イザヤ書65章17〜25節、ゼカリヤ書14章9節、16〜20節)。邪悪な者の滅亡が行われない限り福千年の時代は始まりませんので、ハルマゲドンの戦いに関することは深く考えるほど恐ろしいことです。しかし、これは世の邪悪さのゆえに必要なことであって、最終的には世界を贖うキリストの計画の中で重要な役割を果たすことになります。

 ある教会指導者は次のような意味深い言葉を残しています。

 「こうした事(福千年前の大災害)は確かに決して喜ばしい事ではありません。私にとっても、皆さんの前に立って、聖典にはこう記されていますと申し上げるのは、快い事ではないのです。もし主が国々と争われれば、主は必ずその国々を滅ぼされることでしょう。するとその死体は埋められないまま、まるで糞のように地表に捨ておかれることになります。これは確かに気持ちの良い話ではありません。しかし、私達はそれを知らずにいてよいものなのでしょうか。こうした箇所を読み、それを理解することは私達の義務なのではないでしょうか。主がこうしたものを与えてくださったのは、私たちがそれを心に留め、古代の予言者たちが描いたこの恐ろしい状況から逃れるようにするためであると考えられないでしょうか。だからこそ、私はそうした聖句を今読んでいるのです。その時のために何かしなければと、私は皆さんと同じように強く感じています。

 私はその状態に終わりが来るよう祈っていますが、しかし同時に、御心にかなった方法で終わりが来る望んでいます。そのようなわけで、私は毎日、主がその御業を急いでくださるよう祈っています。こうした事がみな起こらねばならないならば、主がその御業を急いで下さるよう望んでいるのです。すみやかにその状態に終止符が打たれて、平和が来るように望んでいます。ですから、ここで改めて申し上げます。何年か前の話の中で申し上げたことですが、私は世の終わりが来るよう祈っています。それはもっと良い世界の到来を願っているからにほかなりません。
私はキリストの降臨を待ち望んでいます。平和の統治の時代を待ち望んでいます。すべての人が平和のうちに、しかも信仰と謙遜さと祈りの心とを持って生活できる日の来ることを願っているのです。」



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