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2000/ 2/17  序文追加


 アモスの預言の多くは、イスラエルとその近隣の国々に義に立ち返るように警告を発しています。
第1〜5章では、イスラエルとその近隣諸国に悔い改めを呼びかけています。
第3章では、神が預言者に隠れたことを啓示することや、イスラエルが神に背いたために敵から滅ぼされることが述べられています。
第6〜8章では、アッシリアの侵攻よりもはるか以前にイスラエルが没落することの預言です。
第9章は、イスラエルがやがてその所有の地に回復することの預言です。

 第1〜5章では、イスラエルとその近隣諸国に悔い改めを呼びかけています。アモスは当時の宗教的な社会状況を鋭く観察しています。北のイスラエル王国は繁栄していましたが、富者の間では貧欲、腐敗、悪徳が横行し、貧者の状態は悲惨です。宗教は活力を失い、道徳は忘れられています。神に召された時アモスは羊を飼いながら生活する、畑で働く1人の牧者でした。しかし彼は敢然として立って民の間で働いて、個人や国の将来について預言します。

 
 聖典を手にして読むことの価値の一つは、と神の道について知ることです。人は学ぶことなしには原則を生活に生かすことは難しいものです。現代は多くの知識が与えられている時代であって、キリスト教徒として戒めに従う場合に、その人の責任は大きいと言えます。アモスは祭司に向かって、神から召しを受けたことを恐れずに語りました。自分を脅すアマジヤに勇気をもって答えるアモスの姿には、「わたしは福音を恥としない(ローマ1章16節)」と言ったパウロを彷彿させてくれます。

 アマジヤは旧約聖書の時代に大勢いた、金銭で雇われた祭司でした。彼らは人の聞きたい思うところを教えて、権威ある神の僕を軽視しました。こうしたアマジヤのような人はこの現代にもいないでしょうか。その人たちの手法は変ったでしょうか。神の僕は毅然として歩み、「自称予言者」たちは消えていきました。アモス8章7〜10節には、キリストの再降臨と裁きに関した状況のいくつかが示されています。

 
 アモスはユダの山地のテコアという小さな村の羊飼いでしたが、その教えはイスラエルの全家と世界の国々に向けられたものです。その時代では目新しい教えではありませんが、それは現代にとっても重要な意義を持つものです。アモスは、イスラエルの周辺の国々とイスラエルの家の2つの王国に下ろうとしている裁きについて語っていますが、
 


その教えは、神が世の始めから告げてきた同じ教えです。


 それは、の永遠の生命を得るにはひとつの道があるという厳かな警告を伝えた、単純ですが奥深い言葉です。その道は改心した従順な者には常に開かれていますが、神に対して心を固くする強情な者には閉じられています。命の代わりに死、喜びの代わりに悲しみがあり、罰が祝福に、裁きと破壊が保護と力に取って代ることでしょう。
 アモス書に書かれている教えは、命と平安を見出すために役立つものです。注意深く学んで下さい。



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